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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/10/09 Sat■  私写真(とある日記より)

 ある写真関係の若い女の人の日記を見ていた。女の人というよりも、うちの下の娘と誕生日が2日ちがいなだけだから、ほとんど娘みたいなもので女の子といってもいいかもしれない。
 その彼女のサイトは、偶然、あっちゃこっちゃのリンクをたどってたら見つけたのだけれど、ずばり、超かっこいい。蜷川実花ばりの、俗にいうガーリーな写真がいっぱいで、かっこいいなぁ、こういうのはとてもボクには真似できないよねぇと思っていた。写真関係の大学に行ってるのかな。サイトのつくりもかっこよくて、うちなんてね、ただやみくもにコンテンツが多いだけで、複雑怪奇なだけなのに、すごくシンプルなのに凝っている。いいな、いいなと思ってたの。それ、きのうの話。さっさっと通りいっぺんに見ただけで終わってしまったのだけれど、きょうになってもう一度、ゆっくり日記ページも見に行った。この日記ページも写真日記のようになっていて、その見せ方もかっこいいんだよ。それで一番新しいテキストのページを開いてみた。きのうも日記は開いているのに、どうしてだろ、一番新しいページは見ないで適当にクリックして、うーん、こういうふうに日記を書いて見せるのもいいなぁって思っていた。
 一番新しいページには中年の男の人の写真が貼り付けてあって、写真ページのとってもガーリーな雰囲気とは違う写真で、その写真がまたいい。その写真を見てから、テキストを読み始めると、その男の人は彼女のお父さんで、1か月ほど前に突然亡くなっていたのだった。ボクよりひとつ上なだけ。
 ついこないだ高校の同期生が亡くなった。6月にも同窓会で顔を合わせていての急死だったから驚きもしたけれど、いい加減、この歳になるとまわりで死んでいくというのも不思議じゃないなというくらいにしか思えなかった。悼みのことばなど出るわけでもなく、逆にほかの人間の悼みのことばを見聞きしても妙な空しさを感じていた。
 なのにほとんど全然知らない女の子、ましてそのお父さんは、歳が一つ上だというだけで全く知らないのに、彼女の書いたテキストを読み、そして彼女が最後に死を予想もせずに写した写真を見て、すごく生々しいものを感じてしまった。それは荒木経惟が再三、見せる陽子さんのポートレートと同じように、まさに荒木経惟がいうところの私写真として、見るものに彼女の心況を語りかけてきたのだ。
 その写真に比べれば、あっちにもこっちにもある写真、いくらきれいに撮れていようが、どんなにディティールをとらえていようが、どんないい機材で撮っていようが、全部嘘っぱちですよ。もちろん、ボクのも含めて。
 お父さんの思い出と一緒に、彼女には彼女自身が撮ったお父さんのその写真を大切にしてほしいと強く思ってしまった。



■2007/10/09 Tue■ 

「釜ヶ崎レーニンあんねんけど行くか」
「へ? べぇべぃ〜? 釜ヶ崎べぇびぃ〜って何すか、ろっけんろー?」
べぇびぃ? なんでそんなうまいこと聞き間違うねん^_^;
「レーニンや、レーニン! マルクス・レーニン主義のレーニン」
 あ、話、長くなるので、はしょって....というのはミクシの話で、ここでは、はしょらないの^_^; と、思って書きかけたら、異様に長くなりそう。しからば久しぶりにあっちに行きましょか^_^; と、この段階ではまだあっちというのはうらまごです^_^;
うまい具合にシンスケが電話してきて、これから行ってもいいかと言われても、本日はやっとこさのお休みですよ。お休みでもギャラリーにやってきて、またーりとしてたのに。まぁ、いいや、もうちょっとしたら、『釜ヶ崎レーニン』観に行くけど、で、はい、話は最初につながりました。
でね、シンスケにとったら、「レーニン」なんてことばは思考の外にあるわけ。たとえ「レーニン」というのは知っていても、突如「レーニン」が出てきても結びつかない。ところが「森村泰昌って知ってるやろ」「えっ、森村さん」と「レーニン」以上に「森村泰昌」ということばに反応する。彼にとっては、レーニンは教科書の中だけの話で、「森村泰昌」は教科書になくとも彼の生活の中(どんなんや? )での話ナノである。まぁ、世の中、そんなもんだろ。しかし「レーニン」の格がそこまで下落してるのか、おじちゃん、困っちゃぅぅぅ。

そんなシンスケとミートくんと西成警察の前で待ち合わせ。約束の6時15分ぴったしに西成警察行くと、表の壁にもたれて地べたに座るミートくん。あまりに溶け込んでいる! いや、もうニシナリの風景の一部になっている。そこへタクシーで乗りつけるシンスケ、あぁ、ろっけんろーるぅぅぅぅ

は? 本日のイベントですか? あぁ〜た、もうサイコーぉぉぉ〜〜〜っす。で、どう最高なんかは言うたれへんねん、とミクシでは言ったのだが、ちょっとだけなw
森村さんってのは知ってる人は知ってるわけで、と言いながら、そんな知ってるほうでもなくて、言ってみれば、シンスケの森村-レーニンと逆転ですね。というわけで、ほれ《森村泰昌@WIKI》 をを〜〜っと同じ歳ぢゃないですか。京都市芸、んん? 脇坂(故人)と同じやんか。脇坂、生きてたら、森村さんより先に「毛沢東」演ったかもしれんなぁなどと感慨深い。
話には聞いていた、三島由紀夫、独裁者(チャップリン)−ヒットラー、そして今年の作品『釜ヶ崎レーニン』の3本立。釜ヶ崎でレーニンというのはツボもツボで、ど真ん中の155kmのストレートなわけです。で、これを8月末に中之島でやったのを見逃したんだけど、それが正解。この釜ヶ崎のど真ん中で観るってのがもうズッポシ。
3本の上映が終わった後、森村さんに何か質問とか感想がありますか?と、お決まりのコーナーになったら、「ミシマ」という語に自分の知ってることがらを披歴しはじめるおっちゃん。そしてそれにマジに反応するおっちゃん。中之島じゃそうはいかないだろ。ぶっちゃってるからねぇ。しかし司会は困ってたなぁ、ほっとけば、話は森村作品とはどんどんかけ離れて、ミシマ論や、革命論に突っ走りそうな勢いで。それがおもろいんですけど^_^;

「三島由紀夫が自決したとき介錯に失敗して...」
「あんた、それは楯の会の内部の話で、右翼が美化するための....」
「レーニンは世界革命の....」
「あ、あの、革命論について論じられても困るのですが」

あ、『釜ヶ崎レーニン』の前に、世界ホームレスアート大会だかに行ったおっちゃんたちの釜ダンスもありんした。


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