ふつうなら、さっさと京都の駅前からバスか地下鉄でどっかへ行ってしまうんだけど、きのう見てた都築響一の『珍日本紀行』に京都タワーが取り上げられてたから、ついボクも。すぐに影響されるんだから(笑) 1階のみやげもの屋が並んだフロアに入ったときから、何十年も変わらない旧態然とした空気が漂う。そして770円だぞ。この770円惜しさに見逃してんだなと、えいっと。やはり想像通りのわびしさに泣きたくなる。それを求めて770円払ったのに、このわびしさはなんなんだい。あのでかい京都タワーに、やっと京都に来ましたという観光客が30人ほどか。その観光客を見に来てるボクだけ異質なのか。 さっさと113mの展望台から下りて、をっと、この113mというのは、京都タワーが建てられた当時の京都の人口が113万人だったからと『珍日本紀行』に書かれてたな。下りのエレベーターは直に1階まで運ばないで、強制的に3階か、4階で降ろされる。そこには閑散とした泣きだしてしまうばかりの展望レストランがあり、タコ焼き6個400円(感涙) それに続くフロアは展示室になっていて、『珍日本紀行』には世界一周のジオラマが展示されているとあったが、それは数年前のこと。きのうは京都の四季。都おどりありーの、かぐや姫ありーの、坂本龍馬ありーの、そしてブラックライトにライトアップされる舞妓のシュールなこと。泣きたくなる過激さとはこのことを言うのだ。やっぱり二度と行きたいとは思わないのは確か。シャレだから....いくらシャレとはいえ.....でもマジに観光でやってくる人もいるのだった。
さてこっから、本日の「老人とカメラ(c)赤瀬川原平」の始まり。京都タワーのわびしさは京都駅周辺の旅館街にも影を落とす。京都の華やかさに比べて、いわゆる駅前旅館の暗さが真昼の明るさの中に漂う。 枳殻亭の裏側を通って河原町筋を東へ。そうすると、またしても会●小●会エリアなのだ。きょうは一人なのでゆっくりと思えども、会●小●会の金看板を見ると、アドレナリンがどっと噴きだす。おまけに黒服が三人ほど。この暑さにご苦労なこと、だなんて思うのは、いまこうして書いてるときで、その現場ではそんな余裕などないのだ。やっぱり金看板に黒服はど迫力。くるっと回って、この前に蘊蓄斎が、モンモンの兄ちゃんを見たところには、会●小●会の建物があり、開け放たれて見える応接間らしきソファにはどかっと腰を下ろした背広を着込んだ男が3人ほど。くわばら、くわばら、やっぱりこのエリアは一人で来てもヤバいのだった。それでも何枚かカシャカシャと、あ、そのおじ様たちを撮ったのではなくて遊廓跡ですね。細い路地を抜けると駐車場の向こうに立派な遊廓の建物が見える。その建物の中から 「もうお帰りだっか。いつもおおきにありがとさんです」 ときれいな京都弁のおばはんの声が。どんな男が出てくるのか見届けてやろうかとも思ったがやめた。
祇園へ。ここらあたりでええかげん疲れてきたんだよな。たぶんに先ほどのアドレナリンが効いてきたのもある。しかしなんで祇園にJRAの場外など作らせたのだろう。馬券を買いに来る人間の人波と車がウザイ。角々に交通整理のガードマンが立ち、「そこは車道ですよ」と注意する。だいたい日曜の花見小路なんてのは歩行者優先だろが、ホコテンにしてもおかしくはないのに、うんざりする。こないだの「たんぽ丶」というおばちゃんの喫茶店で休憩しようかと行ってみたら休みだった。四条通りに出てしまうとスタバがあったので休憩。疲れた。
裏通りをめぐり歩いて、鴨川まで戻ってくると、鴨川の上の空がきれい。そして暑い。その暑さで思いだした。あれは、ちょうど2年前の、ちょうどこの土日だったのだ。あの日も暑かった。が、永観堂の板張りの廊下を裸足で歩いたときのひんやりとした感覚は忘れていない。 さらに裏通りを巡って歩いた。先斗町を抜け、河原町三条。まだ日が明るかったので、河原町を西に入っていって、結局イノダまで。きょうは本店じゃなしに、その手前の三条店でゆっくりコーヒー。本店もいいけど、ボクはこっちのほうが好きなんだよなぁ。