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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2003/09/06 Sat■  欧羅巴裏道徘徊(1) [長年日記]

 花のパリで、凱旋門見てません。シャンゼリゼ歩いてません。30年前に行ったから。それならヴォージュ広場だって30年前に行ったのに、今度もしっかり行ってる。だって、シャンゼリゼったって、つまらんでしょ。ルイヴィトンやシャネルがあってもしかたない。シャンゼリゼも裏に回ればおもしろいのかもしれないけど....
 旅行に出る前に図書館で早川雅水『パリの横丁・小路・裏通り』という本を見つけた。パリ大学で学芸員かしてる人が書いているのだけれど、これを地図と首っぴきで読みまくっていたから、おかげでサンジェルマン近辺の地理はほとんど頭に入っていた。まさに地元の人間のように地図なしで町をうろつき回ることができた。だいたいガイドブック片手に、町を歩いている旅行者をすごくよく見かける。パリであってもローマであっても、それに日本人に限ったことでなくて、たぶんアメリカ人だろ、もういつでもどこでもガイドブック。なんか、ガイドブックに書かれているのが間違ってないかチェックして歩くみたい。
 それでもなんぼ人間ナビと自認するボクであってもまったくの地図なしでは歩けなくて、ちゃんと地図は用意してるよ。今回の旅行で持っていったのは、BOOKOFFで買ったるるぶ。地図が大きいというだけね。BOOKOFFで、200〜300円くらいで売られていたものだから、当然2003年版じゃなくて、2000年版とか。アジェでもわかるように、ローマやパリなんてところは、100年間街路が変わってないんだから、数年前ので十分。さすがに30年前のではこころもとないけどね。るるぶを片手に歩いている日本人も何人か見たなぁ。ボクは2〜300円で買ったから、きょう歩くだろうところだけびりびりと本を分解して持ち歩いてた。ああいうガイドブックってさぁ、きれいに使っていてもBOOKOFFに売りに行ったら10円か20円にしかならんでしょ。で、つぎ行くときまで大事にとってるはずがなくて、そのときはそのときでまた買うんだから、ばらばらに分解してしまって正解。シャンゼリゼやフォーブル・サントノレなんか行く気がないんだから、そんなところの情報まで持ち歩く必要ないもんね。
 あと100均で買ったA4のノート。これにはmappy.comからダウンロードした地図を貼り付けた。しまいにはその地図もノートからひっぱがして持っていたけど。とにかく今回は、大まかな地図がほしかったので、るるぶをBOOKOFFで買っただけで、あと地球の歩き方とかのガイドブックの類は図書館で借りてすました。そこからこれはと思うのだけ、そのA4ノートにメモしといて、余ったページは毎日の日記を書き込んで、ほんとこの100円は重宝した。

 ふーっ、前説が長いのだから、断っておきますが、まだ前説です(笑)
 だいたいひねくれもののボクは観光地というのは好きじゃなくて、その裏側というのをうろうろするのが好き。それでも観光地を侮っていたら痛い目くう。例えば、バルセロナのサクラダ・ファミリア。これって30年前のガイドブックにも書いてあったのかなぁ。30年前にバルセロナに行ったときは、ホテルが旧市街にあったせいか旧市街ばかりうろついていた。それからバリオ・チノに迷い込んで、ヤバいなぁと焦っていた。あとからわかったのはそのバリオ・チノのあたりにジャン・ジュネがうろついていたんだとか、それならもっとうろつけばよかったかなぁなんて。結局、今回はバリオ・チノには行かなかったけど。それと30年前にはガウディなんか誰も騒いでなかったぞ。一部の建築やアート関係の人間だけが知る人ぞ知るってところだったのに。30年前の無知と、ガイドブックをちゃんと読んでなかったせいで、ガウディ見たさに、今回のバルセロナ再訪ってことになったわけ。
 バルセロナの旧市街あたりというのは、一歩入り込むと、洗濯物がぶらさがっていて、かなりどころか強烈に生活臭が漂う場所だったりする。ただ、この地域はカテドラルやローマ時代の城壁などがあって、観光地と背中合わせなわけで、そういう生活臭ぷんぷんするところに、異分子である旅行者が迷い込むことが多くて、そこの住人もけっこう慣れてしまっているようで、またアフォな旅行者が来よったぞくらいで済ませてくれる。ところがパリのベルビルあたりいなると、ごくまれにしか異分子が入ってこないので、をい、なんかけったいな旅行者が来よったぞって視線で、なかなか裏の方に入って行きづらかったりする。そんなに治安が悪いとかいう場所ではないから、裏のほうに入っても大丈夫なんだろうけれど、そこでちょっとした不安になるのは言葉の問題で、英語なんて通じると考えられないので、なんか言われたらどうしようという不安が先に立つ。たいてい、ボンジュールって言うとけば済むんだろうけどね。
 ルードバックのちょっと入ったところで、教会の前に座ってるおっさんがいて、こっちをじろじろ見てる。そこで逃げの「ボンジュール」とやったら、おっさんが何やらフラ語で喋りだした。それでジロジロから回避できたのだけれど、わけのわからんフラ語でやとわかったのは「小銭くれ」だった。ようは物乞い。それはともかく、裏道を歩く世界共通の極意は「こんにちは」だね。目があったらぺこっとお辞儀しとくといい。
 何はともあれ、旅行していて、行った先の生活が見えてこないとなんもおもしろくないのは確かなのだ。観光地を巡るだけの旅なんて。

つづく
 












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