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■2003/10/19 Sun■  文士の時代 [長年日記]

 東京都写真美術館でかなり前に開催されていた林忠彦展のカタログ(『林忠彦の世界』)を手に入れた。林忠彦というと、かの銀座のバールパンでの大宰のポートレイトを撮った写真家といえばわかるでしょ。林忠彦は1950年頃を中心にして、当時の作家のポートレイトを写していて、それは『文士の時代』と言われる写真集にまとめらた。そのカタログにはそこからの抜粋が20ほど収められている。
 眼光鋭い川端康成だとか、谷崎潤一郎だとか、それはそうそうたるめんつが集められてる。そして『文士の時代』を編集されたときに林忠彦自身の一文がそえられていたらしく、それもそのカタログのほうに転載されている。
 例えば、かの大宰のルパンは、織田作を撮っていたら大宰が「おれも撮ってくれ」とからんできて、1つだけ残っていたフラッシュバルブでの一発撮りだったとか。あのバーカウンターの脚の長いイスも含めて全体像を撮るのにトイレのドアを開けて、便器にまたがって撮ったというふうに。
 はたまた『オリンポスの果実』の田中英光は、大宰に憧れて、自分も同じようにルパンで撮ってくれと林忠彦にせまってきた。あまりにしつこく言うので、しかたなく同じようなバーで撮ってやったら、自分も大宰と同じようになれたと、写真ができあがった直後に大宰の墓の前で自殺してしまった。このエピソードなんて強烈すぎて言葉にならない。
 ここで一人ひとり引用するわけにいかないから、『文士の時代』なりそのカタログなり探してきなさい(笑)
 安吾がいいなぁ。内田百間(※日→月)なんかもう最高。その『文士の時代』に収められている作家の人間性が写しこまれていて、というより、それらの作家が強烈な個性、オーラを発していたからこそ、そういう写真が撮られたといってもいいんじゃないか。まさに「作家」「小説家」じゃなくて「文士」だったんだ。その「文士」たちと比べれば、いまの作家たちは...なんてつい考えてしまうのは年寄りの繰り言なんでしょかね。
 一人で見ているのももったいないので、友だちに見せてやった。友だちといっても、田中英光って誰なんというようなのに見せても仕方がないので、写真を見てこれは志賀直哉と言えるような友だちね。『文士の時代』のパートは、そりゃちょっと文学なんてのをかじっていたらおもしろいわ。
 ところでそのカタログにはほかに『カストリ時代』や『ニューヨーク1955』といったところもいくつか収められている。その中でグリニッジビレッジのカフェらしきところにばあさんが一人座っているだけの写真があったんだけれど、その写真がすごく好きだな。言葉で説明するのは難しいんだけれど、難しいから写真があるわけですが、いわゆるブレのスナップで、ばあさんが写っているといっても顔の表情なんか全然わからない。とにかく煤けた壁が写真の2/3ほどを占めていて、壁にはわけのわからないフライヤーらしきものが貼られてあって、テーブルが整然と並んでいるだけで、ほかに客、人物は誰も写っていない。
 それで、その写真をさきの友だちに「これいいだろう」って見せたんだけれど、首をひねるばかり。背景の壁が何であるとか、フライヤーらしきものが具体的になんだかわからない。それに何より唯一写っている人間の表情が見えないでは、何がいいんだかわからないと言い出す。これには困った。まぁ仕方ないか。このブレ加減とかほんとたまらないし、何といっても写真全体からあふれるセンチメンタルな情景なんて、その種の写真やってないとわからないんでしょうね。
 






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