こういうのは年越しちゃ、シャレにもならんでしょから(笑) 別にいいんですけどね
2005年 1月、2月とてくとこ撮り歩いて、flickrで化け物みたいにfavついてる1枚もこの時期に撮った。で、前年の秋から続いたメールのやりとりで、いよいよ腹決めて、じゃ、会いましょうってことに。そのことを、とりあえず、このまごまご日記をひっぱがして確認してみてるわけだけれど、書いてない。じゃ、うらまごはと見てみると、ちょろっとほのめかしてるだけ。そうこうしてたらJRの福知山線事故があって、何か変だぞと思ってたら、案の定、日勤教育が明るみに。とにかく撮りまくらないとアカン日々が続いて、そうするとどう撮りゃいいのか、わからなくなって。夏、秋と悶々。冬近くなって、ふっと撮れた1枚で、やっぱりオレってこれやんと。いよいよ辞表を出そうかという前日にEddieから一緒に写真集出さないかとメールが来て、でもこれは立ち消えになったけど。何だか、運命というか、偶然ではないのだけれど、見えない力にどんどん後押しされた一年だった。
2006年 前年からの見えない力はまだ続くのだが、これもそのひとつなのか、父親がヤバい状態に。3月に香港・ベトナムと撮りに行く。その帰りを待っていたかのように父親入院。余命いくばくかと宣せられる。そして3月末で退職。同時に仕事(23年間)以上に続いたタバコ(37年間)もやめる。6月に父親永眠。10月、ギャラリーを昭和町で開設。
2007年 3時オープンなので、それまでの時間は撮り歩く日々。逆に夜10時クローズにしても誰も来ない(苦笑) その分、ギャラリーにいる間に何やかやと作業はできましたけどね。ちょこちょこと展示は入るものの開店休業状態でどんどん金ばかり減っていく。コネクションの無さが身にしみる。それでもぼちぼちと繋がりができ始める。夏ぐらいから場所的な不利、環境の悪さに辟易し始める。そんなところにみなから引越せコール。11月末に四ツ橋の今の場所を見つけ即断。12月初めで昭和町は閉めて自力で引越し作業。
2008年 2月に四ツ橋にオープン。やっぱり場所って大事。昭和町とは比べものにはならないくらいにコネクションも拡がり、展示もかなり入るようになった。が、まだまだ苦しい。退職金などとうに底をつく。4月に義母永眠。
2009年 で、今年1年。苦しい状態は続く。金がないので、スー玉の日々(笑) ここ2,3年どこにも行けず(もっとも遠いのが京都)に、行動範囲が極端に小さくなる。また写真を撮る時間も極端に減る。ギャラリーのバックヤードを整理して暗室に仕立てる。秋に「詩写真(仮)」を自費出版。ナダールでの「しゃしんのあいだ」展に参加。こんなところかな。2010年代はどんなもんだろね。
みなさんよいお年を。そして来年もよろしく。