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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2000/12/31 Sun■  どん詰まり

 20世紀から21世紀に変るったって別にこれといったこともなくて、ジムが年末年始の休館でエアロ出来ないかわりに、きのうと同じようにせっせとお掃除。
 テレビでは20世紀の〜っての特集やってるけど、ほとんどがこの20年、遠くても30年、つまり1970年あたりからこっちの話ばかりでつまらない。20世紀で一番大きな出来事といったら、戦争以外にないと思うんだけど...もちろん、ボクはまだ生まれてなかったけれど、やっぱりそれ以外にないんちゃう。
 ボク個人的にはBと出会ったこと。年をとるごとにどんどんスーパーになってしまって、いまや超スーパーです。以前、だれだったかなぁ、「まごちゃん好きになる子、可哀想。比較されて可哀想」って言われたよなぁ。日頃、ボクが悪さしてるのも、Bの超スーパーのうらがえし...って、これは惚気てるんだろか(汗) ←(笑)にしよか、迷うたけど、やっぱり(汗)です(笑)
 世紀末ったって、興味本位でもっともっと混乱するかと楽しみにしてたけれど、別にどーってことなかったなぁ。でも思い起こせば、オウムとか、ここ最近の少年犯罪とか、それはそれで世紀末だったのかなぁとも思ったりする。あとは神戸の地震か。そうして思い出してみると、決して期待してたと  かいうのは不謹慎きわまりない話だな。
 そうそう21世紀に残す音楽とかの特集もテレビやってたけど、あれもなんだかなぁ〜。ここ数年間まとめたベスト100でしかないような、くだんねぇ〜〜(-.-;) やっぱり20世紀の音楽というのは、やっぱりビートルズなんだろなぁ。最近、初のベストとかなんとかって、レコ屋とかで、うるさいくらいかかってたけど、ボクにしてみたら、いまさらぁという気がしないでもない。やっぱり美空ひばりでしょう(爆)
 よく考えてみりゃ、100年という時間のスパンは、人の一生から見ると、それ以上に長すぎるわけで、そういう人が考える、今世紀の〜〜ってお題自体に無理があるんだよねぇって、最後は小理屈で〆てみました。と、いうことで机の下もワックスかけて、窓もピッカピッカになって、新世紀をお迎えする準備万端よ(笑)

■2001/12/31 Mon■ 

Sly & the Family Stone
There's a Riot Goin' On
 さていよいよどん詰まりの大晦日なわけです。まがりなりに今年1年を振り返ってみるなんてガラにはないのだけれど、反省すれど学習せず、奇しくも今年の元旦に書いたように
Que, Sera,Sera

だったわけで、なるようにしかならへんかった、ってところ。
 日記の方は勘定はしてないけど、結局300日以上アップしたのかな。これは我ながら偉いと自分を褒めておきましょう。その上、おまけに9月からは《まごまごれびゅ》なんかも始めてしまって、こっちのほうも予想をはるかに上回るペースで書いてきた、これも偉い! と自画自賛。すべての原因は金無しにつきるのだけれど、金が無くたって、なんだかんだで遊んでしまえる自分が偉いなぁと思う。
 今年は良い年だったかというと、良い年だったよ。
 いろいろと巡りあう物たち、者たちがいっぱいで、溢れ返って、もうあと数時間だというのに、まだマックの周りはごっちゃごちゃ。きっとこのまま年を越してしまうんでしょう。それもそれでいい。
 そして来年はまたどんな年になるか楽しみ。

 大晦日までつきあってくれてありがとう。こうしてまごまご日記を書き続けられたのは君のおかげだ、と思ってる。心からラブを!


--------------本日の食事
朝 トースト1、コーヒー1
昼 ピザ
夕 にしん蕎麦、太巻き


■2002/12/31 Tue■  ゆく年くる年

Funkadelic
The Electric Spanking of War Babies
 というわけで、紅白も終わって「ゆく年くる年」の時間となりました。 今年もいろいろとご支援ありがとうございました。とくに夏以降、なんでだか、努力もなんもしてないのにねぇ、アクセス数がじりじりと増えてきて、うれしいやら。まごれびゅも、ここ最近はサボり気味なのに、逆にランキングは上がってうれしいやら。バイクのほうも春先には今年は走るぞと思うていたのに、結局ほとんど走らずじまい。来年こそは走ろうーっと(笑)

 をを〜〜っと、ここでカウントダウン

 新年明けまして、と、をを〜〜っとボクは今年は喪中なのね。だからごぉ〜〜んと鐘でも撞いておきます。
 思うに、きのうも電話で話してたのだけれど、いまはぐーっとばねを押し縮めているとき、なんかおもしろいんだよね、今の状態も。びんびんにばねの反発力が伝わってきておるよ。
 ということで来年(いちおう新年は新年で書くとして)もよろしくです。


■2004/12/31 Fri■  ランプシェードの角質

 たかが、正月とはいうけれど、単なるあしたはあしたなのに。でも人間ってどこかで区切りをつけてみるのも大事かと思う。区切りをつけられるようなドラスティックなことでもあると、それはそれで変わって行けるのだろうけれど、とりあえず年が変わるということをきっかけにでもしてみる。
 ということで、年末年始恒例の大掃除、というべきか、普段ほったらかしのところに手をかける。アルミのランプシェードの上には積年の怨みが降り積もってこってりと油汚れしている。それをくしゃみしながら、まずは猫毛や綿ぼこりをざっと落として、住まいの洗剤をぶしゅぶしゅ振りかけて、ざっと拭き取る。が、ここからが大変なのだ。わぁ、こんなに汚れていたんだと思えるくらい、住まいの洗剤でがさっと剥離したはいいけれど、そこは積年の怨み辛みが地層になっているところはその程度では解消しないで、逆にその差が紅燈の元に曝されてしまうからタチがわるい。
 足の裏をいくら高級な石鹸で洗ったところでその角質まで落とすことはできない。お湯にじっくりつけてごそごしごしこすっていると、その摩擦に耐えかねたようにやがて垢と同じようにまるまってぽろぽろと短い糸状の塊となって剥離してくる。それと同じようにランプシェードの積年の怨み辛みも何度もこすっているとそげ落ちてくるのだった。
 たまりにたまった確執も、こんなふうにいつかこそぎ落とすことも大切なんだと、そんなことを考えながら掃除していると、なかなか終わりそうにもない。そうしてまたきょうから少しずつ新しい確執も蓄積されて行く。

 一年間というスパンじゃなかったけれど、ともかく今年一年ありがとう。出会えてうれしかった。




■2006/12/31 Sun■  ありがとう!

とうとうこのまご日記は8月から書けないで2006年は終わってしまう。実際にもうすでに2007年になってしまって、カウントダウンも済ませて、ひとりマックの前に座って書いてます。
この1年をまとめないとなとか思うけれど、まとめたってねぇ^_^; どうなるってもんじゃなし。簡単にいえば、半年は「別れ」で、あとの半年は「出発」といえばいいんでしょう。「別れ」といってもネガティブなものでなくて、そのあとに来るべき出発のための別れで、親父の死もその中にはじめからそう仕組まれてたんじゃないかと思ってる。この1年間に、何がどうなって、何をしたんだとか、それらはうらまごに譲っておこう。きっとボクが死ぬときに、この2006年という年はボクにとってすごい1年だったんだなあと思うんだろうな。

 そして思い切り走り抜いたこの一年をささえてくれたのは、キャサリンであり娘たちであり、母親であり、そして父親。最期になった親父との会話は忘れることはない。大丈夫だよ。そして、ボクのまわりにいる人たちだった。ずっと見続けてくれた人たち、いろいろ教えてくれた人たち、すごいタイミングで声をかけてくれた人たち(それはなぜかやっぱりあの女神様たちなんだけど^_^;)。
だから、すなおに

ありがとう!

しかしこれからの何年かは、この一年間とおなじくらい、ひょっとするとそれ以上の年になるかもしれない、いや、そうならないとアカンのだと思う。


■2009/12/31 Thu■  続・ワタクシの2000 - 2009年

こういうのは年越しちゃ、シャレにもならんでしょから(笑) 別にいいんですけどね

2005年
1月、2月とてくとこ撮り歩いて、flickrで化け物みたいにfavついてる1枚もこの時期に撮った。で、前年の秋から続いたメールのやりとりで、いよいよ腹決めて、じゃ、会いましょうってことに。そのことを、とりあえず、このまごまご日記をひっぱがして確認してみてるわけだけれど、書いてない。じゃ、うらまごはと見てみると、ちょろっとほのめかしてるだけ。そうこうしてたらJRの福知山線事故があって、何か変だぞと思ってたら、案の定、日勤教育が明るみに。とにかく撮りまくらないとアカン日々が続いて、そうするとどう撮りゃいいのか、わからなくなって。夏、秋と悶々。冬近くなって、ふっと撮れた1枚で、やっぱりオレってこれやんと。いよいよ辞表を出そうかという前日にEddieから一緒に写真集出さないかとメールが来て、でもこれは立ち消えになったけど。何だか、運命というか、偶然ではないのだけれど、見えない力にどんどん後押しされた一年だった。

2006年
前年からの見えない力はまだ続くのだが、これもそのひとつなのか、父親がヤバい状態に。3月に香港・ベトナムと撮りに行く。その帰りを待っていたかのように父親入院。余命いくばくかと宣せられる。そして3月末で退職。同時に仕事(23年間)以上に続いたタバコ(37年間)もやめる。6月に父親永眠。10月、ギャラリーを昭和町で開設。

2007年
3時オープンなので、それまでの時間は撮り歩く日々。逆に夜10時クローズにしても誰も来ない(苦笑) その分、ギャラリーにいる間に何やかやと作業はできましたけどね。ちょこちょこと展示は入るものの開店休業状態でどんどん金ばかり減っていく。コネクションの無さが身にしみる。それでもぼちぼちと繋がりができ始める。夏ぐらいから場所的な不利、環境の悪さに辟易し始める。そんなところにみなから引越せコール。11月末に四ツ橋の今の場所を見つけ即断。12月初めで昭和町は閉めて自力で引越し作業。

2008年
2月に四ツ橋にオープン。やっぱり場所って大事。昭和町とは比べものにはならないくらいにコネクションも拡がり、展示もかなり入るようになった。が、まだまだ苦しい。退職金などとうに底をつく。4月に義母永眠。

2009年
で、今年1年。苦しい状態は続く。金がないので、スー玉の日々(笑) ここ2,3年どこにも行けず(もっとも遠いのが京都)に、行動範囲が極端に小さくなる。また写真を撮る時間も極端に減る。ギャラリーのバックヤードを整理して暗室に仕立てる。秋に「詩写真(仮)」を自費出版。ナダールでの「しゃしんのあいだ」展に参加。こんなところかな。2010年代はどんなもんだろね。

みなさんよいお年を。そして来年もよろしく。


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