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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2010/02/10 Wed■  アリババ的tumblr術 [長年日記]

 いまに始まったことじゃないんだけど、tumblrがおもしろすぎ。twitterよりtumblrのほうが、ボクの性にあってるかも。人によるけどね。かつて70年代に植草甚一がやってたように、おもろいもんはなんでも見てみたい。自分とこにおいときたいって、ちょっとした所有欲だね。金持ちだったら、現物で集めてしまうんだが、それは無理。だいたいさぁ、Boschなんて所有できるわけないだろが。あ、いや、書きたいことからどんどん離れていくから、この話はこれにて打ちきり。
 所有は絶対無理にしても、この時代、ささやかながらデジタルで我慢さえすりゃ、所有してる真似ごとでとりあえず満足できるのね。あれ?また話、それてんだけど、まぁ、いいかぁ。画集やら写真集やら買えば済むだろうけど、いまや赤貧だから。それでもいいものだけは見ていたい、おもろいもんは見ていたい。「何でもみてやろう(c)小田実」(小田実に脱線するのはまたいつか)。というわけで、そういう欲望にけっこう合致するのがtumblrってわけです。
 tumblrって何?ってわからん人には、到底わからんだろうけど、まぁ、それはおいといて、現在フォローしてるのが74人。うちアクティブなのが何人だろ。40人くらい。彼らがpostもしくはreblogしてくるのが、一日にどれだけダッシュボードに流れるんだろ。200? ちょっと時間おいたら、いわゆる未読がたまるもんねぇ。もちろん全部が全部読んでたり、じっと見てみるわけじゃなくて、ピピっときたものだけ、ふっとカメラを向けて、次にシャッターを切る。そこのところは写真と似てるなぁ。ちょっと最近シャッター切りすぎ、つまりreblogしすぎかもしれないけれど、まぁ、それはそれでいいです。
 はぁ、やっと本論。で、だーっと溜ってるのをみていくときに、ここらあたりはきのうの晩に見たよなぁ、ん?どこまで見たっけ?となることしばしば。メールみたいに未読、既読がマークできれば、つまり本でいうところのしおりがあったらいいのになぁと思ってたの。そしたら、きょうtwitterに

と、流れてきて、をー、そりゃ便利だとリンクを見てみたら、なんてことはない。原始的に手動で「ここまで読んだ」をprivateでポストするだけ。またスクリプトとか入れんのかと思ったけど、いちいち手動でするほうが意外と楽なんだよ。ところが、ちょっと実験的にやってみて、textでポストすると、ふっと見逃してしまう。そこで「ここから」という500x500の画像をつくって、これを見始めるときにphotoとしてprivateでポストしておく。そっからだーっとダッシュボードを遡っていって、前回の「ここから」が出てきたらおしまい。その前回の「ここから」を削除して、これにてこの回のtumblingはとりあえず終了。その間にも新しいpostが今回の「ここから」の上に積み重なってるわけです。

 って、ことを自慢気にtumblrにポストしてやった。そこではたと気がついた。いまんとこその兆候がないからいいのだが、このポストが誰かにリブログされて、ぼこぼこ出てきたら困るよなぁ。それじゃまるですべての戸口に×を描いてまわったアリババじゃないか。まぁそのときは、「ここから」しおりの画像をこっそり変えればいいだけです。


■2010/01/26 Tue■  『ねじまき鳥クロニクル』読了 [長年日記]

 ねじまき鳥、ようやっと読了。うらまごを検索したら9/25に読み始める(mixiで検索しても見つからない。自分の日記を検索できないなんて)と書いてるから、まる4ヶ月か。意地で読んだけど、とてもつまらなかった。
 読みかけてすぐ次の日くらいにmixiでクロニクル読了と書いてる人がいて、
《ニートの、弁明インタビュー映像をだらだら見てるみたい》
 それでその日記にコメントつけたのだが、
《春樹のことばの使い方がどうしても好きになれない。例えば、「カフェでパスタを食べながら」で十分なのを、「カフェテリアでボルチーニのフィットチーネを食べながら」(この文章は実際にありませんが)などと、あまり関係ないんですよね。そういう使い方が目についてうざくてうざくて。。。こういうのがスタンダードになって妙なフォロワーが続出してるのも確か。》
 この過修飾のうざさがずっとずっとつきまとう。
 それにもまして登場人物の名前。例によって主人公は「僕」、して加納クレタだのマルタだの。はてはナツメグにシナモン。これってほとんどネットのハンドルの乗りです。きもち悪い。ネットのオフ会などで、ハンドル名で呼ぶのがすごくイヤで、ほとんど名前を呼びません。いや、正確には二音、ないし三音の名前はたとえば「チキ」だとか「マイチ」だとかはいいんだけど、7音もあるハンドルの人なんてまともに呼んだことない。というより、それに「さん」付けまでしてる自分が許せない。後ろの3音で呼んだことはあるけどね、はい、キミです(笑) それは余談として、「牛河」という名前もいけない。ひょっとして「牛河」さんという苗字の人がいたら失礼かとググってみたが、あんまり見当たらない。それどころか『1Q84』にも「牛河」なる人物が出てくるらしい。もうきっと読まないから好きにしてくれていいんだけど。この「牛河」というの「笑ゥせぇるすまん」にダブるんだけどね。究極が「笠原メイ」。いや別に「笠原メイ」という名前が変なわけでなく、他の登場人物に比べればしごくまともです。が、彼女が「ねじまき鳥さん」と発するのが、どうにもこうにも。「ねじまき鳥」で6音ですよ。それに「さん」付けして「ねじまき鳥さん」と呼ばせるのは、これってヲタクでしょが。そんなセンスしかないんかい、村上春樹クンよ。ねじまき鳥じゃなsくて、シラケ鳥が飛んでしまってます。
 そんなのだから出てくる人物の誰ひとりとして存在感を感じさせない。それはある意味では、春樹の思うツボかもしれないが、それにしてもだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだろだっでにだなならだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらと、人間の不在を読まされたってねぇ〜。正直なところ、ラストで暗闇でクミコと対峙するところなんてハイライトで一気に駆け抜けるように読まされるはずなのに、そこんとこだけで1週間かかってる。確かにtwitter三昧でギリギリの眠さの中で読んでいたとしても、そこらあたりで、はい、わかった、わかった、もうわかったから早く終わってよという感想しかもてないのでした。

 話は変わるけど、もう5年ほど前にとある女性としばらく毎日メールのやりとりをしてたんだけど、「今、何、読んでる?」と聞かれたので、「春樹の「風の歌を聴け」」と答えたところ。「それ読んでないから読んでみる」と。それからしばらくすると「読みかけて吐き気がしてきた。あんなもの読むんじゃない」とレスが来た。そのとき、そうだよなぁと思いながら『海辺のカフカ』も読んでしまって、殴りたくなった。そして性懲りもなく、せっかく買ってあったのに、もったいないからと『ねじまき鳥』。はい、もう読むことはないと思います。


■2010/01/17 Sun■  阪神大震災から15年 [長年日記]

 ボクなんかがあのときはどうだったかとか言うても始まらないのだけれど。
 とりあえず、地震が起こった時、とある事情でその時刻まで起きていて、直前に地響きのような音が聞こえたのを覚えている。次の瞬間に激しく揺れて、隣で寝ていたキャサリンにキャーと抱きつかれて、首筋を爪でひっかかれた。大慌てで本棚を支えに行ったんだけど、いま考えたらバカだな。本が何冊か飛び出していた。猫たちは腰を低くしておろおろかけずり回っていた。
 あのときもボクなんかが、ああだこうだと論じたところで始まらないという感が強かったのだが、とにかく1週間ほどして、ようやく落ち着いてから、ボランティアにも行った。カメラはよう持っていかんかった。きのうtwitterで、《@me_sou: 違和感を感じたのは「傷ついている人たちにカメラを向けるなんて暴力的なことできない(意訳)」みたいなところ。写真ってのは相手が健康だろうと何だろうと本来そういう容赦のないものだろう。と思った…》これは然り。だが、このことでもそうなのだが、自分が記録しても始まらないし、記録すべき誰かが記録すればいいという思いの方が強かった。だから4月になって初めてカメラを持ち込んで、撮った時の元気になったおっちゃんの顔は今でも覚えている。その写真とネガはどこに行ったやらわからんけど。それと「長いことありがとう。神戸の春は釘煮で始まる。」ともらった釘煮は今でも一番美味しい釘煮だった。
 瓦礫の中から連れ帰ったバタコはうちで10年ほど暮らして死んだ。あすからの「ローファイ写真展」にわざわざバタコの写真をセレクトしたわけでもないのに奇しくも展示しているのも何かの縁かもしれない。


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