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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■1997/11/26 Wed■ 

昼休みに一緒にコーヒー飲みながら冗談言うてたやもが4限目の間に救急車で病院にかつぎこまれた。林と大急ぎで病院に見に行ってやる。原因不明の高熱とふるえ。いちおう解熱剤と点滴でそのときはもう落ちついてたけど、かなり朦朧としてるみたい。
放課後の職会サボれるええ口実ができたとやもを家まで送ってやることにする。くるまに乗ったとたん、
「座薬入れられてな」
「看護婦さんにかいな、もうけたやんか(笑)」
「せやんかぁ、はじめお尻のあながわからへん言うて、指でぐいぐいと 押しよんねん」
「ひゃははははは、ええ気持ちやったやろ」
極限のアヌスやわ
と言うてバカ笑いしてるとこ見ると大丈夫みたいやね。それでも
「あかん、笑うたらしんどなってきた」とずっとクルマの中で眠りこけとった。風邪かな、それとバトミントンとかの疲れなんやろね、ムチャするからって、ムチャ言うたら、ぼくのほうがムチャやっとるけどね。南から風がはいって蒸し暑いし、たばこも我慢しといたったから、会議出とくほうが寝れて楽やったかもしれへんな(笑)

■1999/11/26 Fri■  第3世紀

こないだからのRIMの新システム移行とやらで、うちにおいてたほとんどのCGIのデータがぶっとんだ。のに、なぜかこの日記のデータは生き残ってる。生命力強し。
しかしこのまえから500Error出まくりで頭来てるので、Rimから撤退することに決めた。もうひとつ、Rimから撤退する理由はあっちこっちにばらまいたmaggot@yo.rim.or.jpのメアドを消去できる。そうすると、ごちゃまんこと来るspamメールも一掃できるのだよ。思えば、こんなフリーサイトをバカ正直にmaggot@yo.rim.or.jpのメアドでとったのがドヂだったのだ。ばか、ばか、ばか
ぶぅも独立したし、ZIP(いままだエラー出て復活できてない)も準備中だし、そろそろネット生活も第3世紀に突入だな。

■2001/11/26 Mon■ 

Supremes
More Hits By The Supremes
 きのうの日記アップするときになってはじめて気がついた。きのうは11月25日だったのだ。そう
「豊饒の海」完。
昭和四十五年十一月二十五日

だったのだ。ついこないだ『ピストルオペラ』で加藤治子が三島の首の話をしていて、もうすぐだなぁなんて思っていたのに。土曜日にもNと昼飯食いながら三島の話してたとこだったのに。。。情けない。何もなく過ぎてしまった。そんなものかもしれない。

 死びとついでに『ロミオ・マスト・ダイ』の風評をあちこち見てると、リーチェンがどうだこうだというのがほとんど。アリーヤ、やっぱ、かっこいい! フロアに出ていくところでは胸が震えた。。。なんて、どっこにも書いてない。そんなもんなんだ。世間では、宇多田ヒカルだ、MISIAだ、小柳ユキだ、と、騒がれ、ホールがいっぱいになったところで、だからってアリーヤにつながってかないのだ。所詮、RBでしかなく、R&Bではないのだ。そのくせ、"Stop! In The Name Of Love" ってか。どういうことなんよ。

 朝のニュースで「ジョージ・ハリソン余命1週間」だと
 【ロンドン25日=鈴木雅子通信員】脳腫瘍(しゅよう)を治療中の元ビートルズ、ジョージ・ハリソン(58)の余命が1週間足らずであると、英大衆紙サンデー・ピープルが報じた。ハリソンはニューヨークの病院で“最後の治療”を行ったが、効果が表れず、衰弱し切っているという。同紙によると、見舞いに訪れたポール・マッカートニー(59)とリンゴ・スター(60)が、ハリソンと一緒に号泣した。
 ビートルズ1日中かかってるWEBラジオあったで、と言われてもなぁ、あーはいはい、としか言い様がないのです。世の中にはP-FUNKのライブ24時間流れ続けてるのもあるんだから、ビートルズなんかあって当たり前だろ。あ、ジョージね。と、ポールとリンゴが号泣と言われてもなぁ。


--------------本日の食事
朝 トースト1、コーヒー1、ヨーグルト
昼@いも膳 ぴり辛モモちゃん、トマトスパゲッティ
夕 汁ビーフン、肉飯、鶏唐ベトナム風




■2004/11/26 Fri■  無差別攻撃

 高梨豊の『都の貌』という写真集を見て過ごす。まず、見開きでA2のでかさに圧倒される。そしてそこに切り取られた写真のストイックさに押しつぶされる。浅草六区、勝鬨橋、新橋ガード下など、裏表紙に記された飯沢耕太郎のことばを引用すると
《彼もまた、ぼくと同じような怒り(と哀しみ)を抱えこんで、おそらく人類がこれまで経験してこなかったような都市の変貌に立ち合っているような気がしてくる。彼の撮影のスタイルは、感情の表出を抑えて、物や風景に静かに寄り添うものであるが、それだけに逆に怒りや哀しみは深く沈潜しているように思える。》
 「人類がこれまで経験してこなかったような」とはいささか大げさ過ぎると思えるけれど、確かに変貌は進む。そして「怒りや哀しみ」に起因するわけでもなく、単に写真を撮るものの欲望として、それを記録しておきたいと思うのは当然なのだ。以前にも書いたように、ボクも自分が写した街が、とり壊されて、いまはもうないという経験を幾度もしている。写真を撮ったから壊されてしまったのじゃないかと思えるくらいに変貌する。それはひとりの人間の「怒りや哀しみ」などで御しきれるものじゃない。10年ほど前に、ボクが生まれ育った家が壊された。その瞬間に立ち合っていたのに、1ショットさえ撮ることはなかった。撮ろうという気などはなからなかった。そんな欲望なんて湧き起こりもしなかった。
 もし感情を表に出して撮られた写真なら、これほどのインパクトはないだろう。怒りや哀しみを表に出したとき、イジイジとしたとんでもない絵になってしまうことは写真に限ったことではない。そんなことはよくわかってる。だからそんな写真なんか見たくもない。

 ページをめくっていくにつれて、それらの写真がすべて夜ということに気づく。ひたすらパリの街を写して歩いたアジェの姿に高梨豊の後ろ姿が重なる。アジェをシュールの文脈の中にとり込みたかった─それはアジェ自身によって拒否されたが─理由が少しわかった気がする。決してレトロ趣味や怒りじゃない。存在そのものをとらえているからなのだろう。そういう意味で、夜はその存在を際立たせる。その影に引かれている自分に気づく。そういえば、春樹の『海辺のカフカ』のナカタさんの影は半分の濃さでしかなかった。

 荒木経惟の『東京夏物語』 一転、荒木経惟の饒舌さに圧倒される。圧倒されっぱなしだな。こちらは車に乗って、車の中から、カメラビーム(視線)の無差別攻撃をやらかしまくったような。そういえばボク自身の視線に迷いが生じてきていたことに気づいてしまったよ。
 そんなこんなで、またシャッターを押しまくろうとしている自分がいる。






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