ページをめくっていくにつれて、それらの写真がすべて夜ということに気づく。ひたすらパリの街を写して歩いたアジェの姿に高梨豊の後ろ姿が重なる。アジェをシュールの文脈の中にとり込みたかった─それはアジェ自身によって拒否されたが─理由が少しわかった気がする。決してレトロ趣味や怒りじゃない。存在そのものをとらえているからなのだろう。そういう意味で、夜はその存在を際立たせる。その影に引かれている自分に気づく。そういえば、春樹の『海辺のカフカ』のナカタさんの影は半分の濃さでしかなかった。
荒木経惟の『東京夏物語』 一転、荒木経惟の饒舌さに圧倒される。圧倒されっぱなしだな。こちらは車に乗って、車の中から、カメラビーム(視線)の無差別攻撃をやらかしまくったような。そういえばボク自身の視線に迷いが生じてきていたことに気づいてしまったよ。 そんなこんなで、またシャッターを押しまくろうとしている自分がいる。