さて思い立ったのが、もう夕方の4時半。ひと頃とちがい、十分に明るい。日の入り時刻のサインカーブを思い描いてみると、今の時期は10月の20日頃と同じなんだね。ただ気分的にだいぶちがう。春の期待ってかね。 なかなか前に進まんなぁ。いや行動はパパッと進んだんだけどね。念のため、ジモチーのKチャンに 「岬までどれくらいかかる?」 「今の時間だと、ちょっと混んでるかもしれへんけど、1時間はかからんくらいでしょ。湾岸走ってですけどね」 ということは5時半ちょい過ぎにはなんとか。すると、ちょうどあやしげな刻だな、と。4時40分には湾岸に入ってた。それでも、尾崎、箱作といったあたりは、以前ほどのことはないけれどのろのろ。岬町の分岐で5時半。夕陽は下の方の雲間に沈みはしたけれど、まだ十分に明るい45分頃に淡島神社到着。そうです。3月3日の雛流しに向けて、津々浦々から淡島神社に集まってきた人形を見に来た、写真撮りに来たってわけ。 赤い鳥居をくぐった先に《夜9時から翌朝まで関係者以外立ち入り禁止》と書かれたゲートがあった。夜9時まで、まだ十分すぎる時間がある。というか、とっぷり暮れて、真っ暗になった境内に一人入っていくのはちょっと怖いですよ。住吉っさんならまだしも、雛流しの古人形が集まった淡島神社に真夜中に行ったら、がさっごそっと古人形が動き出すのでないか。 まだ十分に明るさが残っているとはいえ、境内はボク以外に誰もいない。そして本殿の朱の扉はもうすでに閉じられている。その大きな扉の両側、廻り廊下にびっしりと古人形が並べられているのはちょっと壮観。思わず古人形に近寄ってシャッターを切り始める。もちろんデジカメだけでなく、銀塩でもカシャッカシャッと。 ボク自身は霊気など全く感じない人だからなんてことないんだけどな、それでも実際目の前にするよりデジカメの液晶に映しだされた画像のほうがちょっと怖かったりもする。たぶん霊気に敏感だとたまらないかもしれない。確かに日本人形がずらっと並んだ光景はちょっとおどろおどろしくもあるけれど、想像していたよりはずっと美しいというか、むしろ夜になってこの人形をこっそり持ち帰る輩がおったとしても不思議でない。それくらい整った顔立ちであったり衣装であったり、これを海に流してしまうのはもったいないと思えるような古人形たちが居並んでいる。おどろしいというと、塩尻の脇道で見つけた人形祠のほうが怖かったな。さすがにあそこは夜中に一人で行ったことない。行くチャンスは何度もあったのだが、やっぱり躊躇してしまってる。 だいぶと暗くなり初めて、クルマに三脚を取りに戻って、もう一度三脚を据えて写す。シャッター速度1秒ではもう写りこまない。境内にはまったく灯もなくて、10秒、そして最長の15秒として、なんとか写りこんでくる。と、その画像を写しだす液晶はやっぱり怖い。人形たちの霊気のわずかでも吸い込めたか。 ところで出る前にジモチーKからもうひとつ淡島神社の情報を聞いていたのだが、境内には《ここから先は5時以降立ち入り禁止》と柵が閉じられてある。跨いでその向こうへ入ることもできたのだが、ボクはどっかの無法者とはちがいますからね、そっちのほうはベタベタに明るい光の下で見たいので、あえて強引に侵入するなどということはやめにした。また来たら済むことだし。
さて、淡島神社のある加太もそうだし、ここに至る往き帰りは、自分が埋めた地雷だらけなんだねぇ。その地雷こわさにこっちのほうには、あれ以来、ほとんど一人で来るなんてことはなかったんだけど、どういう心境の変化なんだろ。「戦後は終わった」なのか、自分が埋めた地雷は自分で掘りおこしとかなアカンでしょ。でもなぁ、地雷踏んでしまったかもなぁ。帰りのクルマではFM kokoroから、ラバーズコンチェルトという番組なのか、ラブバラードが流れ続け、"I'll never fall in love again"