光悦寺を出て、またぷらぷらと歩き始めたら、《血天井》などと書かれた立て札が目に入って、そのまま通り過ぎたんだけど、気になって引っ返してみた。血の天井、何かの血をベンガラ代わりにでもして塗り込めたのか? いや、怨念が籠もってんじゃないのか、なんて想像してみて、ふっと入ってみた。すると、本道脇の入り口の所に30足ほどの靴が脱がれていて、光悦寺なんかよりずっと商売繁盛しておる。と、言っても金閣、銀閣の比ではないけど。伏見城落城の際の血痕らしく、やっぱり怨念がらみか、どうもこの人気、とくに意外と若い子らが多いのは、ホラーだとか言って紹介されたんでしょ。その天井を眺めてみたけど、手形がついているというのもあんまり判然としないしねぇ、そういうホラーにはほとんど興味ないので、とりたてて一生懸命見ようとはしなかった。同じなら処刑した人間の血をベンガラ代わりに塗り込めたというほうがおどろおどろしくてよろしい。 それより、「迷いの窓」「悟りの窓」と称する、四角い窓と円い窓が並んでいて、その窓からお寺の庭が見えるほうが興味深かった。「血天井」を目当て(?)にやってきた人も、血天井にはほとんど目をやらず、その窓の前で記念写真。ピカッ! こりゃ、静かに瞑想しろ、瞑想。ほんまなみんながデジカメなんぞを持つようになって、またそのデジカメが《わたしにも写せます》的オートなもんだから、ところかまわずピカッ、ピカッてのは考えもんだわ。 ボクはね、迷いの窓に正対して、おのが煩悩への思いにはまってたのだよ。それでな、「悟りの窓」に向かうよりは「迷いの窓」に向かっている方が心落ち着くってのも、何かの因業なのか。悟りなどいらない。ずっとずっと迷いの中で生きていたいと。