トップ 最新 追記

うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

2020年
11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
1997|09|10|11|12|
1998|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1999|07|08|09|11|12|
2000|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2001|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2002|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|09|10|
2006|01|04|06|07|08|12|
2007|06|07|10|
2009|12|
2010|01|02|04|09|10|12|
2014|05|
2016|08|

■2004/10/31 Sun■  イラクの人質事件 [長年日記]

 イラクの人質事件は最悪の結果を迎えたわけだが、口を開けばロクなことがないんでね、黙ってようかと思ったけれど、胃の底に重く澱みそうなので吐いてしまおう。
 この前の3人の人質事件のときはあまりにラッキー、奇跡だったとしか思えない。最悪の結果は最悪の結果で、ボクとて無事生還してほしいと思っていて、それは当たり前だろ。だけど戦争状態であることが、あまりに希薄すぎるのだ。こうして安穏と日本で生活している人間にとってはなおさらのこと、誰も日本は戦争しているなんて思っていない。ボクも含めて。
 ボクがまだ小学生だった頃に『山河あり』だったか、親に連れられて見た映画がある。ミッキー・カーチスだったと思うが、戦争敵国である日本でアメリカ人だと虐待を受ける、そのような映画だったような。なんで覚えているのか不思議なんだけど。考えてみれば、1945年にアメリカ人が無装備で日本の国内を散歩などできただろうか。
 この間、唐組の芝居を栗東に観に行ったときに、ボクのすぐ後ろに並んだ人が、かつて20数年前にパレスチナでボランティアをしていた人だった。『風の又三郎』で状況劇場がパレスチナで公演したときに、ちょうどその公演地となった難民キャンプにいた看護婦かでボランティアをしていたという。その彼女が言うのに、「当然ですよ、戦争なんだから。あの『風の又三郎』をやったキャンプもそのあと爆撃を受けて消滅してしまった。2000人が死にました。」
 テロが卑劣で戦争がそうではないなどと聞いたことがない。少なくともnackの言葉を借りれば《ブッシュに尻尾を振ってご褒美を待つ無思想の馬鹿国家》の国民であることを自覚すべきだ。


■2004/10/29 Fri■  サンシャイン・オブ・ヨ・ラブ [長年日記]

背中で呼ぶ声がする振り向くと

光り輝く圧倒的な肉で悩ましげ

に誘惑しますます赤く燃え上が

る肉は包み込み狂わせるとつぎ

の瞬間には急激に色褪せ冷たく

かたまりものいわぬものに戻る




■2004/10/28 Thu■  『私の絵日記』を書いた藤原マキ [長年日記]

 ブクオフでふっと、藤原マキ『私の絵日記』という文庫を見つけた。パッと手にとって、あら、作風が全然変ったなって思いながら、ページを開いてみると、つげ義春を可愛くしたような絵が並ぶ。そこで、佐々木マキと間違えてるのに気がついた。
 じゃっ、藤原マキって誰なんだ? なんか聞いたことあるぞと、あとがきを見ると、げっ、あの藤原マキじゃないか。状況劇場初期のヒロイン藤原マキだったのだ。初代腰巻お仙だったのだ。残念なことにこのごく初期(1960年代)の状況劇場というのは『新宿泥棒日記』の中でしか知らない。李礼仙にばかり目が行ってしまって藤原マキのことはすっかり忘れてた。
 な、なんと、つげ義春の奥さんになっていたのだ。うわーっ、びっくりだよぉ。つげの『貧困旅行記』─これはすごく好きで、一度読んだ後も何度も拾い読みしていたというのに、つげ義春の奥さんが藤原マキとつながってなかった。そう言えば、どこかで聞いたことがあった気もするけど。やっぱりそのつながりはきれいに抜け落ちている。
 ふぅーん、そうだったのか。腰巻お仙を李礼仙に替えられて、公演直前に無断で状況劇場を辞めたのだった。なるほどね。それはともかくとして、過去に話としてだけ知っていた人物が、別のところで、これも話の上だけれど、繋がってしまうのって妙なもんだよ。ところがその当の藤原マキは1999年、5年前に亡くなってしまっていたのだ。
 少し違うけれど、ある女性─Fさんがちょうど5年ほど前に亡くなった。『私の絵日記』を読んで(見て)いると、そのFさんと藤原マキとかぶってくる。Fさんのプライベートなところまでボクがよく知っていたわけじゃないのだが。つい最近、ある人とひょんなところから、お互い、Fさんのことを知っていることがわかって、しばらくFさんの話をしていたところだったのだ。
 こんなふうに、Fさんの話や、藤原マキの話が出てくると、ボク自身の20〜30年前をくすぐって妙にせつない。あのときに、藤原マキもFさんも、そしてFさんの話をしていた人も、ボクの一歩前を歩いていて、出会うこともなかったけれど、同じ時代の空気を吸ってきた。20〜30年と経ち、藤原マキもFさんもいまはもういない。そしてボクはもう50を越えた。ボク自身のルーツになったあの時代をもう一度見つめ直してみる。懐かしんでなんかいない。それをルーツにして何ができるかだ。



メールでツッコミ

1997|09|10|11|12|
1998|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1999|07|08|09|11|12|
2000|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2001|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2002|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|09|10|
2006|01|04|06|07|08|12|
2007|06|07|10|
2009|12|
2010|01|02|04|09|10|12|
2014|05|
2016|08|
トップ 最新 追記
まごアン