それはさておいて、福岡の地震に触発されたわけでもなく、きょうはすごくのどかな一日だったので、つい足が神戸を向いていた。10年前の1月の下旬から続いた毎週の神戸行きも、そう3月の下旬ともなると、ポカポカ気分で顔なじみになったおっちゃんたちの顔を見てまわるだけ。自分では「ご機嫌伺い」などと言ってた。やっと重苦しい雰囲気からようやく春が見えてきて、みんな動き始めてた。そんなことを思いだし、あらためて、そのときの元気をいま吸いたかった。 阪神の西灘で降りる。駅の南側を回るとすぐ岩屋公園がある。その公園で避難生活を送っていたおっちゃんに会いに行った。印刷屋のおっちゃん。「もう今さら立て直すわけにもいかんし、警備員でもやって暮すわ」と言っていたのに、1年後に訪ねたときは、元通り印刷屋を立て直していて、「あのときはおおきにな」と缶コーヒーをくれたのだった。 公園のすぐ近くのおっちゃんの家はもうなかった。おっちゃんの家があったと思しきところは取り壊され、基礎のコンクリートだけが残っていた。 だいたい神戸の町の写真を撮ろうなどとしても、そのあたりにはもう過去の姿なんてほとんど見当たらない。この10年の間にほとんどすべての家が建て替えられてしまっているのだ。岩屋公園のすぐ西側の家もほとんど全壊状態で、それをクレーンで引き倒すのを10年前に目撃した。その場所には新しく家が建てられている。写真にできるような町並みなんて見当たらないまま、JRの高架下を西向いて歩く。バイクで走るとすぐだったと思っていたのに、歩いてみると大安亭商店街まではずいぶんあった。 生田川公園。いまは新神戸トンネルがこの下にできるようでもう公園はなくなっている。4月になって行ったときに、「神戸ではどこの家もくぎ煮を炊くんよ」とボランティアのお礼にもらった。地震でひっくり返っていても、春になるとくぎ煮をつくる。くぎ煮をつくれるまでその3ヶ月近くの間に戻ったのだ。その家ももう10年の間にどこに移ったのか、わからない。そしてあのはったりのおっさんもどこにいるのかわからない。
きょうも葺合の露地を歩いていると、どこからかくぎ煮をつくるにおいがしてきた。大安亭商店街に戻って、くぎ煮を買った。