それでトマソン、これはやっぱり外すわけにいかないのだな。でもURLが変わるので吉野さんにメールする。そのメールにも書いたのだけれど、ボク自身、いまはもうトマソン漁りの目になってなくて、トマソンがあればあったでよいというくらい。鬼海弘雄の『東京迷路』でもトマソンは写ってはいるけれど、単にひとつのオブジェになっているだけで、そこに移されているのは町そのもの。トマソンを切り取ってくるんじゃなくて、町を切り取る。トマソンの目で見ると、この写真の何がおもしろいの?と言い出すんだろうけれど、小理屈なんか必要としないおもしろさなんだよ。そうそう、きのう見に行った永原トミヒロの絵に描かれた影もそうなんだ。 去年の夏、ヨーロッパに旅行したとき、あっちはトマソンだらけで、例えばフィレンツェのウフィツィ美術館の壁面にまでトマソンがへばりついてるのを目にすると、トマソンってのはあっちの世界では当たり前のことじゃないかと思えてしまう。2年前に東京で吉野さんと会ったときに「トマソンが欧米でもっと受け入れられるかと思っていたのに」と言ってたけれど、トマソンなんてのは、日本だからこそ生息できたんじゃないか。日本の町の変遷と経済性との間の単なる歯ぎしりにすぎなかったんじゃないかと思い始めた。 もうひとつ、『野次馬画報』以来、これまでずっとボクにとってはアイドルであった赤瀬川原平が『老人力』あたりからつまらなくなった。「老人力」という一種の開き直り、人はみな齢をとる。それを「老人力」だと開き直ってどうなるってもんじゃない。原平先生がライカで撮ったトマソンを見せられても全然欲情させられないのだよ。逆にそれをとうとうと語られれば語られるだけ、「老人力」によるダンゴ理屈としか感じられなくなった。もはやトマソンに過激性を感じられなくなったんだよ。 かれこれ20年近くトマソンを探し続けてきたけれど、すっかり町を見るボクの目も変わってしまって、そろそろボクの中では潮時だな。が、これまで出会ったトマソン、とくに堺燈台などを目の前にすると、とても愛着が残っる。WEB上にボクが集めたトマソンたちはそのまま残しておくよ。たぶん よほどの物件に出会わない限り更新することもないかもしれないね。