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■2002/03/07 Thu■
[
長年日記
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Rose Royce
STRIKES AGAIN
きのうのラジオでぼちぼち釘煮の季節やなぁ、と言うてたら、きっちり晩ごはんに釘煮が乗ってたのでむちゃうれしかった。でも釘煮が乗っていてもきのうはベトナム風鍋だったのでご飯がなくて、こういうミスマッチなところが何とも言えないっしょ(苦笑) それできょうこそ釘煮と、期待してたら、もうちょっとしか残ってなかった。昼に食ってしまったんだってさ。なんちゅうこっちゃねん。でも釘煮あったらご飯が最高に美味い。
釘煮といえば、忘れられないのが神戸の地震の時のこと。地震直後の混乱も三月末頃には収まって、もう4月になったらよう来んからねって、いつも見に行ってたところを回ったら、お世話になったからと婆ちゃんが作った釘煮をもらった。状況も手伝ってか、その自家製の釘煮はいままで食べた釘煮のなかでいちばん美味しかったし、生涯忘れられないな、と思う。ほかの公園(まだ3月末にはけっこう被災者テントがあった)では被災者のおっちゃんたちが買ってきてくれたホルモンで宴会もやってくれたりもして、自分のテントをその横に張って一晩泊ったりもした。
そんなことやら、配給された被災者弁当もらったこととか、話してたら、「なんだ、悲惨だと言いながら、けっこうまともなんじゃないか」と返ってきたのには驚いてしまった、というかムッと来た。
被災地を知らなかったらそんなふうに思うのかな。被災者なら悲惨な生活してるものだと感じてたのかもしれない。確かに地震直後2週間近くは食べるものもまともに無い状態で、もちろんインフラもずたずただった。
蛇足だけれど、阪急の六甲の駅の北側(山側)はほとんど被害がなく、水道もすぐに復旧していた。逆に南側(海側)は、長田、東灘に並ぶくらいもっとも被害が大きくて2月の10日頃には給水車が出ていた。そんなときに、六甲の駅の北側でで水で車を洗ってるのを見たときには切れそうになった。被災者が車を洗うな、という理屈は通らないけれど、あまりに無神経過ぎると思った。
ボクが決まって見舞いに行ってたのは六甲から葺合のあたりだけれど、そこでも葺合の大安寺商店街などは2月中旬にはかなり元気を取り戻してきていて、ガスはまだ復旧してなかったから、魚屋では炭火で魚を焼いて売ってたりしたから、大阪からわざわざ手弁当持って出かけなくても、そこの市場で焼き魚を買って、そこらの公園で食ったりもした。あれも美味かったなぁ。
そんな状態だったから、3月になると、もう物資の供給も途絶えていたから、ひたすら被災地を回って、おっちゃんらの愚痴につきあったりしてたのだ。もちろん行政からは被災地弁当の配給も続いていたのだが、ほとんど毎日同じメニューで冷えきった弁当などはいきおい余ってしまって、どうせ捨ててしまうから食べるか?と言われて食ったりもした。
ほんと2週間ほどは食べるものどころか、飲む水にさえ、まともに無い状態だったから、「子どもがな、そこらに落ちてる空き缶拾うて、飲んどるんよ。わしら、いらんから、そこ持って行ったってや」とおっちゃんに泣かれたこともある。でもそんな生活を1月以上も続けられるはずがないし、まして経済的に余裕ができれば、配給された被災地弁当より、ぬくいうどんでも食べるだろう。それを外から見て否定したら絶対にアカンと思う。
もちろん3月末になっても、自宅が半壊状態の人でも、寝るのは怖いと学校や被災地テントに寝泊まりしてたし、保証をめぐって夜はテントに泊っている人もいた。そして昼は自宅に戻って釘煮を作っていたのだ。神戸の春はやっぱり釘煮だよってことばに再生の力強さをすごく感じてしまったのだった。
釘煮を食べるたびにそんな思いが蘇ってくる。パワーあげにいったつもりで、逆にパワーもらって帰ってんだよ。
※
釘煮 いかなご(ジャコ)の甘露煮
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まごアン