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■2002/08/04 Sun■  天人五衰 [長年日記]

三島由紀夫
天人五衰
 『春の雪』で清顕がふらふらになりながら雪の門跡に続く道を聡子に会うために歩いたくだりを噛みしめながら、もう5年ほど前の冬、雪の降った次の日に歩いた。 maggot's favorites #2
 だから今回は『天人五衰』で本多が再度、門跡になった聡子に会いに行くくだり、「俗世の結びつきなら、さういふものでも解けませう。」と言われるくだり。
汗がワイシャツを拔けて、背廣の背にまでにじんでゐるのが感じられる。暑さの汗か油汗かわからなかつた。ともあれ年老いてからこんなに汗みづくになつたことはなかつた。

 というわけで、炎天下で汗だらだらで歩かないといけないのだ。だから前からきょうのような暑い真夏の一日をねらってたのだ。帯解までの列車の中で、あらためて『天人五衰』を読み返していると、行き詰まるような暑苦しさが伝わってくる。そしてまた『春の雪』のときと同じように胸が締めつけられるようななんとも言えない感覚にとらわれる。
 帯解の駅から、月修寺のモデルとなった円照寺の上がり口まで、いまではきれいに舗装された田圃の間の道はアスファルトの照り返しで暑かった。まさに「汗がワイシャツを拔けて」なのだ。
 
山門までの昇りの参道は遠く、車は山門まで入れるのに、老人の歩行は無理だと、運轉手は、雲が残りなく晴れて、日がいよいよ烈しくなつた空を見上げて、執拗に本多に勧めたが、本多はしたたかに断わつて、この門前で待つてゐるやうに命じた。どうしても六十年前の清顕の辛苦を、わが身に味ははねばならぬと思つてゐたのである。

 すでに八一歳になった本多がよろよろと昇った参道を歩き始める。同じように雲ひとつない晴れ上がった夏空ではあったが、木立の間を吹く風に救われたようにさきまでのような暑さはない。参道に小さな栗のいがが落ちている右手に
沼があった。沼邊の大きな栗の強い緑のかげにやすんだのであるが、風一つなくて、水すましの描く波紋ばかりの青黄いろい沼の一角に
 ばしゃっと水がはねる音がしたので見ると、大きな蛙がすいと体を伸ばして泳ぎだした。そしてげろげろと鳴いた。そうだな、本多が歩くところに蛙がげろげろと鳴いたのなら物語にならないなと苦笑い。急に杉木立に囲まれると、もはや下界とは遮断されたような静寂がやってくる。物語ではかなりの距離にも思われるが、それは本多の八一歳の脚でのこと。黒門を抜けるとすぐ平唐門、そしてその向こうに、清顕が崩折れた玄関の障子が白く光って見える。
注意深く平唐門の右の門柱を見ると
天下泰平
 奉轉讀大般若経全巻所収
皇基顰固
と刷った札が字もおぼろに貼られてゐた。
の通りの札がやはりあった。三島がここを訪れたであろうときから三十数年を経た今になっても変わらず同じ札が貼られているというのは少なからず感動してしまう。それにもまして
四角い敷石が市松つなぎに内玄関まで敷かれてある。本多が杖でひとつひとつこれを数へて、九十に達したとき、
 本多と同じようにひとつひとつ数えてみた、その九十という数はおおむね九十なんだろうと見たときには思われたのに、なんときっちり九十あったのだ。そして
ひたと閉め切った障子に、菊と雲の紋様の白い切紙細工の引き手のある、内玄関の前にその身は在った。
 さっき遠目にもくっきりと白く光って見えた、清顕と聡子を隔てた障子が目の前に在る。そしてやはり三島が記述したままに「菊と雲の紋様の白い切紙細工」があるのだ。
 あまりの三島の記述の克明さ、そして時を経ても変わらぬ凛としたたたずまいに気圧されてしまうのだった。
 
「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののやうに見せもすれば、幻の眼鏡のやうなものやさかいに」

    

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