脇坂幸之助が交通事故で亡くなったという知らせを聞いたのは1972年か73年か。レポートを提出するのに大学の友人の運転するオートバイの後ろに乗せてもらっていた。オートバイは河原町の市電の線路にタイヤをとられて転倒。投げ出された彼の頭をすぐ後ろから走っていたトラックが轢きつぶした。 全く格好をつけるのでなく、ただ自分のやりたいように鈍くさく生きてきた脇坂幸之助。彼の死に方も彼らしく鈍くさかった、などと言ったところで、天国でぱんぱんに張った頬っぺたを揺らせて笑っているちがいない。彼が生きていたらボクの生き方ももっと変わったかもしれない。が、高校時代、いや小学校からの12年間にボクをひきずりまわしてくれ、好き勝手に生きればいいと教えてくれたのは、脇坂幸之助だった、と思う。