ゴダールの『女と男のいる舗道』に「言葉は愛とおなじだ」という哲学者ブリス・パランとアンナ・カリーナの会話が挿入されている。必要でないものかもしれない、なければなくていいものかもしれない。ただ書き残しておきたい、話してしまいたいという衝動が(言葉も愛も)「それなしに生きていけない」のだなぁと。だからこうしてまた書き残してるんだといえば、かっこいいけど、そんなかっこいいものでもないナ。 そんなことからふっと思ったのに、愛にしても、膨らませるのも、しぼまるのも一瞬だなと、そうしたら『女と男の〜』で、風船を膨らませるパントマイムというか、ちょっとしたコントがはさまっていたのも思いだして。 何かをし始めるとき、もちろん誰かを好きになるというのもおなじなのだが、勢いでやってしまわなければ、何も始まらないなと思う。風船を膨らませるときも同じで、肺にいっぱい貯め込んだ空気を一気に吹き込まないと、ゴムの張力に押し返されて風船は膨らんでいかない。一度、膨らみ始めた風船は、そのあとは徐々に空気を吹き込んでやるだけでどんどん膨らんでいく。ただちょいとさぼっているとひゅるるぅと空気が抜けてしまうものだし、大きく膨らんだ状態を保つには風船の口をぎゅっと握っておいてやらなければならない。たしかに口を括ってしまうという方法もあるけれど、括ってしまうと、風船はポーンポーンと弾くばかりの別の物体に変わってしまう。もちろん、どこまでもどこまでも膨らみ続ける風船があれば、それはいいんだけれど、いつまでも空気を吹き込み続けると、バァーッンと割れてしまうものだから。 どんなに大きく膨らんだ風船でも、口を握る手を離した瞬間、一瞬にしてしぼんでしまう。その風船をどうするかは、あんたの勝手でしょ。ただ一度膨らませた風船は、次には膨らましやすくなっているのもなにかの救いのような気がする。