一番の目的だった憧れの森山大道のプリントが見れた。やっぱりこれに尽きるのね。自分で言うのもアレなんだけれど、元来ボク自身は『路上』な人間なわけで、写真を写してはみたりしてはいたけれど、どういうわけだか、これまで《森山大道》という事象に行き当たらなかった。サイコロでいうと、しっかり《森山大道》と彫り込まれたサイコロを振っていたのにその目が出なかった。そういう目があるのにも気づかずにね。確率みたいなもので、説明しようがない。30年も前にきっちり「月笛お仙」を目にしていたのに、その写真から違う方向に走り出してただけ。そうして30年経って、やっとのことでサイコロの《森山大道》の目が出たってこと。 しっかり美術館の表に架けられていたヨコスカを複写した幕を複写してみた。わざと露出オーバーにして飛ばしたかったんだけど、そこまでいかなかったナ。それでも変形された分だけ、エロさが強調されて、自分自身でぞくぞくしてしまってる。もちろんオリジナルの凄みにはとても及ばないけれど。でもこのオリジナルがとても好きだから、このボクの複写も自分ですごく気に入ってる。 そして森山大道だから、その上前を撥ねた2枚目も自分で好きだなぁ。ひゃひゃひゃ係のお姉さんの目を盗んで隠し撮りしたの。そんなのありかって、大道先生がありだっていうんだから。もし森山大道がここを見ることあったらきっと苦笑いするだろうな。 松江って町はボクにとってはとても思い出の深い町で、今回森山大道のプリントを見て、一番がちーんと残ったのはプロヴォーグ2号の写真だったというのは、それが松江だったからかもしれないなと思う。そんなふうに見る側の心のどこかにひっかりを作ってしまう、そんなところがグレイトなんだと思う。
ひょんなことから夜見ヶ浜や大山にも行けて、この頃は目がすっかり町の中に向いてしまっていたから、『路上』というのは決して町の中だけやおまへんでと写神が連れて行ってくれたような気がするのね。 そこでも駐車場で三脚構えて「このままで待ってようか」と、アマチュアカメラマンがいる。ちょっと説明をすると、その時点で4時ちょっと過ぎ。天気は快晴。雪を残した大山が白く輝いている。写真の常識からしたら、あと1時間か、1時間半かすると、光がすごく良くなる。ボクだって、その光が欲しいと思う。でも同じようなアングルでファインダーを覗いてもちっともおもしろくない。いちおうシャッターは切ってはみたけれど、このアングルで光がぐっと良くなったからって、そのときに自分がたまたまそこにいたという偶然性、でか口叩くなら自分の存在証明にもなんにもならないじゃないか。アリバイ工作をやってるだけじゃない。これはいつも思っていたところで、今までずっと写真を写してきてもどこかおもしろくないことの一番大きな原因だった。それで駐車場内をふらふら歩いて、ふっとノーファインダーで写してみたら、写神ってすごいよねぇ。ほんとはもうちょっと左に振るつもりだったのに、しっかり光と影を写し込んでくれてんだもん。写神に感謝。
ほんとはもっと他にも、これどうよって見せたいのあるんだけど、やめとこ(笑) 芸の安売りは身を滅ぼす。所詮、真似っ子だし。