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■2003/07/02 Wed■  コレクター的偏愛 [長年日記]

よそ様の日記より 《3 P》 2003/Jul./02 ことこサン
でんでんわかってねえ!コレクター的偏愛をわかってねえ!
と声を大にして言わざるをえない。本を読むことや、その本の内容が面白いことよりも、自分が所有していることのほうが重要になんだっつの。(もちろん面白ければそれにこしたことはない)アホみたいに聞こえるだろうけれども、アホなので許してください(ペコリ)

 もっと他にも引用したいとこあるんだけど、やめとくワ。自分でジャンプして。
 うちの家も猫が何匹も何匹も同居しているのに関わらず、本、CD、アナログレコードと、まさにコレクター状態で、そこらにあふれ返ってしまっている。ここで猫が同居というのが非常につらいものがあって、猫を飼ってたらわかるけれど、ときに猫は毛玉のゲロをところ構わず、ゲロゲロやるからほんとはすべて本棚の中にしまっておくべきなんでしょうけど。もはや扉のついた本棚を置く場所が無い。しかたなくコーナンで安く買ったスチールの棚に積み上げられる。見たくなったときが辛い。しかも下の方にあったら、そっと引き抜いて、ということになって、そうすると、非常に安定が悪くなる。そんなことの繰り返し。もうこの悪癖は誰にも止められない。偉大なるいまは亡き植草甚一の嫁さんのことばを借りるなら、「バカは死ななきゃ治らない」
 さてことこサン同様、「ここで問題になるのが「どんな本を買うか」」
 この傾向と対策が、これまたよく似ていて、話題になっている本、いわゆるごく一般的書店に平積みになっている本を買うというのは、自分の行動学的美意識にそぐわない。で、好きな作家はともかくとして、時として、いやけっこう頻繁に、アテモンをやりたくなる。そしてそのアテモンの決め手になるのが装丁。
 これは本に限らずに、アナログレコードで培った何10年に及ぶ実績がある。1/3近くはジャケ買いよ。だけどもそれがレコードの場合は、まだ直径30cmという企画のためにいいところ、厚さが多少変わるだけで収まりがつく。ところがこれを本に適用するとなると、装丁買いをすると、つい変形本の割合が増えてくる。これはほんとうに収まりが悪くて困る。ある一冊のために棚の高さを変えなければならなくなる。そうなると面倒なので、立てて並べた本の上に横積みにし始める。それが1冊、2冊ならまだしもどんどん増えてくるともうおしまい。
 それからハードカバーマニア、というか、単行本マニアであって、企画された文庫本よりも、持っているなら単行本で持っていたいと考えてしまう。その意味ではBOOKOFFなどというのはけっこう重宝するんですが、とにかく文庫に比べて、単行本の収納の悪さときたら。それでも単行本。文庫になって、だいたい本屋で新刊平積みのところはほとんど見向きしないので、ボクの読書傾向は数年遅れて、文庫になってから、あ、こんなの出てたのだ、などと。あ〜、話がぐちゃぐちゃになってきたぞ。えっと、つまりですね、文庫で読んでしまっても、つい単行本を探したりしてしまう、とんでもない。これはCDでも同じで、つい同じアナログレコードを探してしまう。そのくせかけるのはCDのほうで、アナログは眺めてるだけなんて。もうむちゃくちゃだな。
 1年ほど前からヤフオクに手を出すようになって、若き清貧の日々を送っていたころには買うにも買えなかったもんをどんどこ買込んで、その流れから、オークションでもアテモンをし始める。そうすると、実際に本屋で実物を見てアテモンをするのとは違うので、そういうときに図書館は便利だな。図書館でばしばし借りてくる。そしてオークションで検索してみる。そうして自分の本棚に並ぶ、いや積み上げられる。しかしなんぼ壮年的裕福になったといっても、とても『にっぽん劇場写真帖』17万には手が出なくて、ああ、『薔薇刑』ほしいよなぁ。
 




■2003/07/01 Tue■  廃墟ブームなんて [長年日記]

 廃墟、廃屋は好きだ。廃れ行くものへの哀切とでもいうか、美しさというと違う気がするが、別種の美しさを感じてしまう。石内都が『モノクローム』に書いていたのだが、皴の入った肉体をとらえて醜さを美しいと感じたのと同じように、生活の皴をとらえてみたいとボクも思う。  ところでいま廃墟が隠れたブームなのだ。ネットの中でも《廃墟》をメインにするサイトがずいぶある。例えばたぶん老舗だろう《Ruin Japan》、ここはうちのリンク集《浮気者》からもうずいぶん前にリンクしている。をっと、いま確認したら、いつの間にか.comとってあるじゃないですか。ボクにとっては、《廃墟》は《トマソン》の延長上にあったりもする。ある意味でおもしろい。
 10年ほど前にバイクで走り回っていたときに、京都の亀岡の奥の日吉ダムに水没する直前の廃校にたまたま行き着いたことがある。たまたまという偶然性がたまらなくおもしろい。割れた窓ガラスを踏んで中に立ち入ったときに、子どもたちの文集や図画が散乱しているのに、なんとも言えない気持ちになった。一方でダムによって水没を余儀なくされた憤りもあった。しかし、たぶんにそれはセンチメンタリズムに支配される感情だったにちがいない。
 一方で、ボク自身はいま赤線跡を追いかけている。ついおとついもまた京都の五條楽園に足を運んだばかりだ。これも一種のセンチメンタリズムと言えるかもしれない。と、同時に踏み入ることのできない疎外感を自分自身に感じてしまうこと、一種のマゾヒズムであったりもする。
 なんでこんなことを急に書きだしたかというと、きのうの朝、テレ朝の「スーパーモーニング」で、こともあろうに、『廃墟を行く』などというシリーズが放送されていた。きのうは東京の奥多摩の廃村だった。レポーターが大袈裟に恐怖感を煽り立てながら、あらかじめ見つけ出されている廃屋に向かっていく。と、そこのにあったのは、明らかにあらかじめセットされた人形が映しだされたのだ。そしてずかずかと廃屋に踏み入って抽出しを開け、中から髪の毛の束を引っ張り出す。アラーキーの言葉を借りると、「もう我慢できません」 そして示される映像は『ローマの休日』の広告が掲載された古新聞。「こうでてくる風景が嘘っぱちじゃ、我慢できません」
 なんと下品なメディアなのか。なんと傲慢なメディアなのか。
 その一方で『廃墟の歩き方』などという本まで出版されている。テレビという下品なメディアは、そのような流れに安易にのっかってしまってるにすぎないじゃないか。このようにして、《廃墟》というひとつのテーマ、《廃墟》を求めてしまう衝動をさえ踏みにじっていく。はたしてこのようなブームになってしまっていいのか。これまで《廃墟》を追い求めてきた人たちにとって、このブームは満足なのか? ボクは疑問に思いさえする。
 






■2003/06/29 Sun■  京都ひとり [長年日記]

 マンレイ写真展 チラシを見たらきょうまでだった(^◇^;) この前、16日の月曜に行こうとしたときにもチラシを見たら休館日。よくぞ、見たものだ。その16日の休館日を境に、前半と後半で一部出展を入れ替えているらしい。そのせいからか、ちょっと出展数が少ないような気がする。会場が京都駅に新しくできたイセタンで、スペースの関係もあるんだろうな。
 ボクのいまの感覚は、アラーキーや森山大道にべったりなので、モードフォトにはあんまりぴんと来ない。アンドレ・ケステルに影響されたという風景写真のほうが見てて楽しい。モードフォトとはちがってマンレイはずっと気楽に撮っていたらしいが、例えば、夜のパリのヴァレット通りの陰影に見とれる。反対に写真集でよく見慣れてるキキのヴァイオリン、意外と迫力なかったなぁ。

 ふつうなら、さっさと京都の駅前からバスか地下鉄でどっかへ行ってしまうんだけど、きのう見てた都築響一の『珍日本紀行』に京都タワーが取り上げられてたから、ついボクも。すぐに影響されるんだから(笑)
 1階のみやげもの屋が並んだフロアに入ったときから、何十年も変わらない旧態然とした空気が漂う。そして770円だぞ。この770円惜しさに見逃してんだなと、えいっと。やはり想像通りのわびしさに泣きたくなる。それを求めて770円払ったのに、このわびしさはなんなんだい。あのでかい京都タワーに、やっと京都に来ましたという観光客が30人ほどか。その観光客を見に来てるボクだけ異質なのか。
 さっさと113mの展望台から下りて、をっと、この113mというのは、京都タワーが建てられた当時の京都の人口が113万人だったからと『珍日本紀行』に書かれてたな。下りのエレベーターは直に1階まで運ばないで、強制的に3階か、4階で降ろされる。そこには閑散とした泣きだしてしまうばかりの展望レストランがあり、タコ焼き6個400円(感涙) それに続くフロアは展示室になっていて、『珍日本紀行』には世界一周のジオラマが展示されているとあったが、それは数年前のこと。きのうは京都の四季。都おどりありーの、かぐや姫ありーの、坂本龍馬ありーの、そしてブラックライトにライトアップされる舞妓のシュールなこと。泣きたくなる過激さとはこのことを言うのだ。やっぱり二度と行きたいとは思わないのは確か。シャレだから....いくらシャレとはいえ.....でもマジに観光でやってくる人もいるのだった。

 さてこっから、本日の「老人とカメラ(c)赤瀬川原平」の始まり。京都タワーのわびしさは京都駅周辺の旅館街にも影を落とす。京都の華やかさに比べて、いわゆる駅前旅館の暗さが真昼の明るさの中に漂う。
 枳殻亭の裏側を通って河原町筋を東へ。そうすると、またしても会●小●会エリアなのだ。きょうは一人なのでゆっくりと思えども、会●小●会の金看板を見ると、アドレナリンがどっと噴きだす。おまけに黒服が三人ほど。この暑さにご苦労なこと、だなんて思うのは、いまこうして書いてるときで、その現場ではそんな余裕などないのだ。やっぱり金看板に黒服はど迫力。くるっと回って、この前に蘊蓄斎が、モンモンの兄ちゃんを見たところには、会●小●会の建物があり、開け放たれて見える応接間らしきソファにはどかっと腰を下ろした背広を着込んだ男が3人ほど。くわばら、くわばら、やっぱりこのエリアは一人で来てもヤバいのだった。それでも何枚かカシャカシャと、あ、そのおじ様たちを撮ったのではなくて遊廓跡ですね。細い路地を抜けると駐車場の向こうに立派な遊廓の建物が見える。その建物の中から
 「もうお帰りだっか。いつもおおきにありがとさんです」
ときれいな京都弁のおばはんの声が。どんな男が出てくるのか見届けてやろうかとも思ったがやめた。

 祇園へ。ここらあたりでええかげん疲れてきたんだよな。たぶんに先ほどのアドレナリンが効いてきたのもある。しかしなんで祇園にJRAの場外など作らせたのだろう。馬券を買いに来る人間の人波と車がウザイ。角々に交通整理のガードマンが立ち、「そこは車道ですよ」と注意する。だいたい日曜の花見小路なんてのは歩行者優先だろが、ホコテンにしてもおかしくはないのに、うんざりする。こないだの「たんぽ丶」というおばちゃんの喫茶店で休憩しようかと行ってみたら休みだった。四条通りに出てしまうとスタバがあったので休憩。疲れた。

 裏通りをめぐり歩いて、鴨川まで戻ってくると、鴨川の上の空がきれい。そして暑い。その暑さで思いだした。あれは、ちょうど2年前の、ちょうどこの土日だったのだ。あの日も暑かった。が、永観堂の板張りの廊下を裸足で歩いたときのひんやりとした感覚は忘れていない。
 さらに裏通りを巡って歩いた。先斗町を抜け、河原町三条。まだ日が明るかったので、河原町を西に入っていって、結局イノダまで。きょうは本店じゃなしに、その手前の三条店でゆっくりコーヒー。本店もいいけど、ボクはこっちのほうが好きなんだよなぁ。

 



 


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