4都市回って思ったのは映画館の多さ。もちろんハリウッドがヨーロッパにも進出してきてはいるけれど、町の中心からちょっと外れたところ、例えば、マドリッドでも、ソル広場から5分も歩けば、観光客もあまり来ない生活臭がぷんぷん漂うところ、肉屋の隣なんてところに、町の小さな映画館がある。をっ、『ANA+OTTO』やんか。こんなところでめぐりあうとはネ。スペイン映画だからスペインでかかっていて当たり前だろうけれど、『セクシャリティーズ(La Mirada del Otro)』もかかっていて喜んでしまう。パリになると当然のように映画館が多いなぁ。カルチェ・ラタンなんかには何軒も小さな映画館があって、ちょうど前を通ったときにフェリーニがかかっていて、前に並んでいる人種が、やっぱり日本でフェリーニやゴダールがかかったときに並んでいる人種と似てたりして笑えた。ちゃんと値段を見てないけれど、きっと日本なんかに比べれば安いんだろうな。それくらいヨーロッパじゃまだまだ映画がウェイトしめてのがちょっと羨ましかった。日本はテレビ見過ぎなんだよなんてぼやいてみたりして、あ、アメリカじゃ、いくらでも見かけたレンタル・ビデオ屋がほとんどなかったな。やっぱり映画はビデオじゃなしに映画館で見るものなんだ。
100年前にユジューヌ・アジェという写真家がいた。彼は写真そのものが誕生してまだ間がないときに箱形カメラを抱えてパリの町をひたすら撮り歩いていた。ただただパリの町の記録としての写真を撮り歩いた。荒木経惟も森山大道もハナブサリュウもアジェの残した写真に魅せられて、パリの町を撮り歩いたのだ。
旅行に出かける前に、ネットでEugene Atget Project 2002を見つけた。さらにそこから、96年アジェ計画を成し遂げたGerald M. PanterのAtget's Paris: Then and Now も見てしまった。(96年アジェ計画については、17日にヨーロッパ写真美術館に行ったとき、その写真集を発見。重いから買わなかった(^_^ゞ)となると、じっとしてられなくなって、そっとTASCHENの『ATGET'S PARIS』をかばんにしのびこませていた。
アジェの作品には、例えば《25 rue Charlemangne》というように撮影場所データがほとんどについている。だから直前になってmappyで、《25 rue Charlemangne》と検索すればおおかたの位置が知ることができた。そして多分自分が歩き回るだろう地域で20ヶ所くらい地図にチェックも入れた。
それでも30年ぶりのパリは、ほかにもいろいろと見たいものは山ほどあって、アジェにばかりかかってるわけにはいかない。それに意外とポイント探しというのは退屈なことはわかっている。ガイドブック(『ATGET'S PARIS』はガイドブックじゃないが)で見た場所に行き、その場所で記念写真を撮ることで満足してしまう旅なんて、と日頃からバカにしてたから、時間があれば、アジェの写した場所に行ってみたいなというくらいにしか考えてなかったのだ。