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■2003/08/30 Sat■  欧羅巴食慾綺譚 (3) [長年日記]

 あっちの連中ってのはなんであんなに大食いなんだろう。そのことにあきれ返るばかり。日本のいわゆるめし屋と言われる、おかずを2,3品とってごはんにみそ汁というパターンは存在しないのか。確かにデリというのはあるけれど。
 今回の旅行でも1週間はなんとかもった。それでもスペインに移ってからは、朝はビュッフェ形式で食べ放題だから、ついつい貧乏くさくあれもこれもと食ってしまう。まずコーヒーは3杯、それにジュース、シリアル、もちろんパン。スペインのバケットはあまり美味しくなかったから食パン。それからハム、チーズ。チーズはクリームチーズに、それから何チーズかわからないチーズ。ホテルによって違ったのだけれど、日本のチーズじゃないから、つい喜んで食う。ボクはあの日本のプロセスチーズってのあまり好きじゃないから。かと言って、カマンベールにしたって、日本じゃ高いからなぁ。ここぞとばかりにチーズは必須。ハムもホテルによってちがったけれど、何種類かあって、だいたいあの日本のハム、つまり肉を集積したような、日本ハムとかプリマハムとかってのあまり好きじゃないから。それにあの類のハムは日本じゃ高いからなぁ。ここぞとばかりにハムも必須。
 だいたい日頃、朝は一人で起きてコーヒー淹れて、そそとトースト焼いて、という生活をしているから、ゆっくり30分もかけて、あれやこれやと朝食、というのは実に至福のときなのです。一通り食べ終ったあとにも、ゆっくりタバコをすいながらコーヒーを飲むなんてのは夢のような。そんな調子で朝食べているから、お昼はおなかが空かない。ちなみにホテルの朝食は決まって朝7時半から11時。ところがヨーロッパはサマータイムで、夜の8時になってやっと日が沈むしね、9時頃まで明るい。だいたい感覚的に2時間ずらして考えたほうがいい。そんなんでお昼を食べるタイミングというのが難しい。というわけで、後半のマドリッド、パリでは1日2食。
 ついでにパリの朝食は、バケット1/2、クロワッサン、デニッシュ、ヨーグルト、クリームチーズ、ジュース、コーヒーで、ハムや玉子はなし。そしてパリあたりではすっかり胃が弱っていたから、朝も食いきれない。ところが残すのはもったいないので、ビンボくさい話、バケットは朝に食べないで、間にバターを塗ってお昼に公園とかでおやつがわりに食べてた。これがまた美味しいんだわ。確か、あっちの習慣ではカフェにもちこみは可だったはず。というか、カフェというのはパブリックな場なので注文などしなくても座っていてもよいなんてことをどこかで読んだけれど、ボクたち気の弱い日本人にはそんなことはできません。だから公園とか、スズメや鳩にパンくずやりながら食べたのだ。もちろん飲み物は水。をー、ビンボくさっ。
 飲み物が水になるのにはひとつ理由があって、そうそうジュ−スばかり飲みたくなるわけでなく、いや、むしろジュースは飲みたくない。しかし連中はコーラや炭酸系好きだよ、あきれるくらい。ところが、炭酸系やジュース、それから水以外の飲み物というのは食料品店においてない。日本じゃ牛乳の500mlパックとかもよくあるのに、牛乳の消費量がぐんと多いはずなのに牛乳がおいてないというのはどういうことなんだろ。マドリッドで入った店で、ミルク、レチェと言って、ちゃんと通じているのに、粉のスキムミルクしかないという始末。パリでは、やっとスーパーで牛乳見つけたけれど、表示がもちろんフラ語だったので、えいっと選んで買ったのがスキムミルクで不味かったなぁ。
 ミルクの話になったのでついでにぼやいておくと、30年前、ヨーロッパのコーヒーは美味しいと思った。それはエスプレッソでシュバっと淹れるのが新鮮だったから。今度の旅行でもコーヒーは楽しみにしてたんだけれど、どうも期待ほどのことはなかった。エスプレッソは今年になって自分ちでも淹れてるしね、カプチーノとかはボクのつくるほうが絶対美味い。その原因は牛乳。どうもオーレにしろ、カフェコンレチェにしろ、フォーム(泡立てた牛乳)作るのは雑だし、何よりも使ってるのがどうやらスキムミルクなのだ。牛乳自体が美味しくないのだ。とくにホテルの朝のコーヒーは美味しくはなかったな。
 一度、ローマの石だらけの遺跡で暑くてたまらなかったので、入ったカフェでメニューを見てたら、「カフェシェーク」というのがあって、これだ!と注文したら、なんとコーヒーをシェーカーでシェークしてカクテルグラスに入れたのが出てきたのにはたまげた。いっこも冷たいこともあらへん。マックシェークじゃないんだって(笑) 元来アイスコーヒーという概念は連中にはないみたい。ただどこだったか、アイスドカフェと注文したら、これでいいかと、コーヒーとは別に、氷を入れたグラスを出してくれて、自分で熱いコーヒーをどどと氷に注ぐ仕組み。それに味をしめて、そのあと2,3度、コーヒーとそれから氷をくれと注文した。でもやっぱり夏でもコーヒーは熱いほうがいい。コーヒーついでに書いておくと、アイスコーヒーというのは、かなり特別なので、缶コーヒーなんてのはありません。もちろんコーヒー牛乳も。

 話がはじめ考えていたのとどんどん逸れて行って、つぎは水の話になります。いくら空気が乾燥していて日本のように暑く感じなかったといっても、やっぱり夏だから水は必需品。とくにボクなんかビール好きちゃうしね、ワインを水替わりになんてとんでもないことなので、水だけはいつも持ち歩いてた。実際、スペイン人はワインを水替わりに飲むなんて、ありゃウソです。それは食事時の話、あるいはバールでちょいと一杯なんてことは日常のようだけれど、水替わりにワインを持ち歩いていたらアル中でしょ。やっぱり、水やなんらかの飲み物を持ち歩いている。あとつくづく日本人でよかったなぁと思ったのはお茶だね。冷たいお茶。冷たくなくてもいい、持ち歩くの、水よりお茶のほうがなんぼいいか。
 ローマでは水に困らなかったです。はじめはペットボトルの水を買ってたんだけれど、スペイン広場の前の泉なんかでは、みんな水をペットボトルに入れてるのを見て、水なんか買う必要ないな、ペットボトルさえあれば、いつでも水はたんまりある。さすがにトレビの泉なんかは無理だけれど、蜂の噴水だとか、バブイーノ通りの泉とか、町のあちこちに飲める水が湧き出ていて、その量は郡上八幡どころじゃない。ただ日本の水とはちがって、かなり硬くて慣れないと辛いけど、冷たくて美味しかった。だいたいヨソで水にやられるから生水はやめたほうがいいというけれど、ローマは別だね。湧き水なんだから大丈夫に決まってる。水道水のほうが信用できないでしょ。
 だからスペイン、パリでは水に困った。昼間はまだいいんだよ。そこらの店で1.5リットルのエビアンが1ユーロくらいで売ってるから。安いからといって、これを大量に持ち歩くわけにいかない。あ、そっか、いま思いついた。ホテルの近くのスーパーで昼間に買って、部屋においとけばいいのだ。ところだ、そういう店はサマータイムであろうが7時か8時に閉まる。感覚的に5時6時に閉まってしまう。そうすると、かの地にはコンビニがない! 日頃、日本にいてあまりのコンビニの多さに辟易してるけれど、これほどコンビニというのが便利だと思い知らされるとは。コンビニの是非については、いまはおいとくけど、9時,10時となると、開いているのはカフェやバールばかり。確かにそこでも水は買えるけれど高いでしょ。たまらずにサンジェルマン・デュプレのクレープ屋台でエビアン買ったけど、0.5リットルが2ユーロ、ざっと6倍だ!
 日本で辟易するもうひとつの代表は自動販売機。これもほとんど全くといってなかったな。あったのはパリのメトロのホーム。もちろんタバコの自販機は1台も見なかった。タバコの自販機がないというのはエエことですが、夜にタバコ切れたらどうしてんだろ。アメリカでは少なくともコンビニがあって、もちろんコンビニ店内に入れなくて、小さな窓口で欲しいものを言って売ってもらうというシステム。そう考えたら、日本って国は、能天気に安全でコンビニ(便利)だとつくづく思った。ただ自販機とコンビニが町の景観を支配してしまっているのも否定できないけれど。

 大食いの話を書くつもりだったのに。それはまたあしたにでも。

(つづく)
 










■2003/08/29 Fri■  欧羅巴食慾綺譚 (2) [長年日記]

 英語はなんとかなっても、イタ語、スペ語、フラ語はどれもからっきしダメで、これって食い物注文するときに非常に困る。カサ・ボティンなどの観光客の多いところなんかでは英語のメニューが用意されてたりしてなんとかなるんだけれど、入ったレストランの大半は現地のことばでしかメニューが用意されてない。いちおうフィッシュ?ミート?とか聞けるけれど、その程度であとは、えい、やぁ〜っと何が出てくるかのお楽しみ。

 まずびっくらこいたのが、バルセロナのノウ・サリューというレストラン。ここは2回行ったのだけれど、はじめは金曜日だったのでその日の定食。適当にこれとこれ、などと注文したら、巨大生ハムメロン。スイカほどのメロンにべろんと生ハムが乗っていて、生ハムメロンは高級なオードブルだと思っていたのに、あんなものがお昼のメインになるとは。もっともメロンと言っても、日本のように高級なネットメロンじゃなくて、瓜のようなメロン。しかし生ハムメロンは生ハムメロンなので満足。生ハムメロンなんてのは日本に入って悪しき高級化してしまったんじゃなかろか。もうひとつの定食は、かつおのような魚をソテーしただけで、かすかすして、そっちは不味かった。
 2度目にノウ・サリューに行ったときは日曜で定食なし。無難にパエリアを選んだから問題なしだったけど、その日はデザート。アレだコレだと思案、推理した結果、出てきたのはクリームブリュレ。それはいいんだけれど、もうひとつのデザートが、ドライいちじくやナッツに甘い果実酒がついてきた。これには唖然。デザートというのは、いちおくケーキ系統を予想してるのに、これっておつまみじゃないの。しかしこれが意外と美味しかったというのも不思議。

 あせったのは、ローマの2日目に行ったテレシアーネ?(THERESIANE)。ピザの窯にごうごうと火が入っているレストラン。日本のようにごたごた乗ったんじゃなしにシンプルにバジルだけのようなピザがいいと思っていたのだが、はたして隣の席の家族連れを見ると、いかにもそのようなピザを食っていた。あれだ!と、店のおにいちゃんに、「隣で食ってるピザ」と注文。ところが出てきたのは、端切れのような、なんちゅうたらエエの?煎餅みたいなピザはピザ。いちおうピザのベースに、オリ−ブオイルにニンニクをなすりつけて焼いただけのワインのあてにしかならないようなピザで、丸い形ではなくて、やっぱりツマミにするのか、一口くらいの大きさにざくざくに切られてごちゃごちゃと乗って出てきた。実はこれも隣のテーブルに、たぶんあれは2人前分くらいだったか、どーんと乗っていて、他にもいろいろと注文していたようで、ほとんど手をつけないままに、しまいには下げてくれと言ってさげてもらってたのだった。失敗、失敗。確かにピザといえばピザだけど。あわてて、カプリチョーザ(ミックスピザ)を注文し直した。

 バスティーユのシェ・ポールというレストランは、るるぶなどにも載っていて、非常に客が多くて、座った席がちょうどウェートレスの子らが料理を運ぶのに行ったり来たりして落ち着かなかった。それと客がぎっしりいっぱいで、パリに限ったことではないが、あの連中は食ってるときも静かにならへん。まぁそれはそれでエエんでしょうが。向かい合わせに座ったら、日頃食いながらでかい声でしゃべらないと聞こえなくて。食事時の会話といえば、カサボティンでちょっと離れたテーブルに座っていた日本人親子、娘が20代後半、お母さんが60近くか、食事の間、もくもくと豚の丸焼きを食ってるの、見ていて全然美味しそうやないんよ。いかにもつまらなさそうに食事をしているという風情で、ああいう類のレストランではわいわい食べる方が楽しいのに。ポール・ボキューズで食ってんじゃないんだからさ。
 話が横にそれた。あとで書くけど、前の日のモンマルトルでは二人とも魚だったので、ひとつは魚、ひとつは肉を適当に注文。いちおうフィッシュ?ミート?ぐらいは通じるのだ。魚はいさぎのような魚を丸ごとソテーにしたもの。醤油がほしい。舌平目とおぼしきものもあったのに、舌平目のムニエルなら日本で食べれるだろうとパスしたのが間違い。丸ごと焼くのなら、やっぱり日本の焼き魚にしたほうが絶対に美味しい。そして、びっくりは肉料理。これもステーキだったらバカでかいからいやだなあとステーキはパスしていた(実際、隣のテーブルででっかいステ−キを食っていたのだ)。出てきたのは直径10cmほどにどんと盛られた極く荒く挽いた生肉の山。一瞬、肉とは思えなかった。こればかりは食ったことない。だからそれは正解なのだ。わけわからないものを注文して、食ったことのないものを食べようという趣旨だから。う〜ん、これは説明しにくい。日本で言うと、ネギトロとでも言うたらいいのか。食材が生肉だからユッヶと言うたらいいのか。どっちかというとネギトロに近い。ケッパーや、ハーブがぐちょぐちょに混ぜ込まれていて、なかばペースト状になっていて、バケットにつけて食うと非常に美味しい。ところがいかんせん量が多くて、摩訶不思議な美味も早々に飽きてしまった。ああいうのはちょっとだからいいんだよ。

 モンマルトルで入ったオゥトゥールデミディ?(Autour de Midi)。はじめモンマルトルの丘に上がっていくとき、美味しそうなレストランを見つけていて、そこに行ったらいっぱいで入れなかった。ところがそこはイタ飯だったのがわかって、入れなくてラッキー。フランスのパスタは茹で過ぎで美味しくないと聞いていたから。そこで勘だけで飛び込んだのがここ。この店はメニューがなくてその日のメニューが黒板に書かれていて、でぇーんとおねえちゃんが持ってくる。話は長くなるけれど、このおねえちゃんがどいうわけか切れていて、たぶん忙しくて、客がまだかまだかとか聞いたりして、厨房とケンカ状態。ただこのおねえちゃん、頭にスカーフを巻いていて、きりっとした顔立ちの美人。そこで勝手に《怒れるフェルメール》と命名。話戻して、その黒板のメニューをまたまたアレだコレだ、きっとこれはまたあの巨大生ハムメロンだろうとか、推理。一つは魚にして、一つは肉にしようかと、いちおう念のために、これは肉やんなぁとおそるおそる《怒れるフェルメール》に英語で尋ねた。それはポークで、足のとこだと、指で足をさしたから、ん?豚足、じゃあ、これにするとやばいなとパスして、また適当に別の魚料理を注文。でもあとで思ったんだけど、フランスで豚足使った料理なんかあったか?たぶんすね肉をどないかしたもんやったんとちゃうやろか。
 さて出てきたのはスズキのような魚を薄くスライスしたものをグリルで焼いてローズマリーかなんかの香辛料を効かせたオリーブオイルをからめたもの。もうひとつは同じ魚をクリームソースで味付けしたもの。どちらもきれいに放射状に魚の身、それにつけあわせの茄子、ズッキーニを並べて盛りつけてあって、さすがフランス。残念だったのは2皿とも同じ食材だったことくらい。ことばがもうちょっとわかってたらなぁ。ちょうど座っていた席から、おやっさんと日本に連れてきたらきっともてもてになるだろう兄ちゃんが厨房で作ってるのが見えて、帰りぎわにはマーニャは厨房の方に行って「美味しかったぁ」とわざわざ言いに行ってんの。《怒れるフェルメール》も、きんきんしてるのだけれど、目が合うたびにニコっとしてたら、ボクらのテーブルには非常に愛想が良くて、ことばも必要だけど、やっぱりスマイルが大事だね。

つづく
 






■2003/08/28 Thu■  カルボーナーラ [長年日記]

 イタリア、スペイン、フランスときたら食う物に困る。アメリカだったら、食うもんなんかなんもないので、バーガーキングで十分なんて、言うてられるんだけれど、この3つの国となると、あれも食いたい、これも食いたいと、だから出る前には、太って帰るんじゃないかと心配だった。

 30年前に、ヨーロッパに旅行したとき、そのときはイギリス、フランス、スペイン、スイスを1ヶ月かけて旅行したんだけど、こんなに美味いクロワッサンがあったのかと驚嘆し、はたまたガーリックの味が忘れられなくて、夢よもう一度ってわけなのです。

 それは夢にまで見た(そ、そんな大袈裟な)、カサ・ボティンのガーリックスープが30年のときを経て目の前に出てきたときは、そりゃあ感激しましたです。少しどろっとしたスープにスプーンを入れて口に運んだとき、臭くはないニンニクの香りとともに口の中にひろがるまったりとしたこくには涙が出てきそうになった。が、感激したのは、そのガーリックスープの美味さにあったのでなくて、30年の時間を経てもう一度口にできたというほうに感動していたのだった。
 考えてみると、この30年間という時間は残酷ですよ。要するに涙を流すほどのガーリックスープでさえも、特別な味とは思えなくなってしまっていたのだ。

 この30年間の間にどれだけ日本の食が進んだか。例えば、スパゲッティは、いつの間にかパスタと呼ばれるようになり、スパゲッティといえば、ナポリタン(なんてのは現地には存在しないらしいのだが)という、良く茹で上げた18mmくらいのスパゲッティにハムとたまねぎ、あとピーマン、ひどいときにはニンジンなどが炒められ、トマトピューレじゃなくて、トマトケチャップで味付けされたイタリア風焼きそばだったのです。なのにアルデンテなんていう言葉まで一般に通用するようになって、日本のスパゲッティは変わってしまった。
 コーヒーしかり。コーヒーも30年前以前にはほとんど大半がネスのインスタント、それもフリーズドライの顆粒じゃなくて細かい粉(いまでも売っているが)をスプーンに一杯。それに今じゃ信じられないだろうが、イチゴにかける練乳を入れる、そんなコーヒーを日本人は飲んでいたのでした。インスタントでないコーヒーを飲みたかったら喫茶店に行けというようなありさまで、ようやくその30年前になって、家庭でもぼちぼちコーヒーをドリップで淹れるようになったころだったのです。だからエスプレッソでブシュっと抽出されたコーヒーが30年前のヨーロッパ旅行のときには、どれだけ新鮮で、美味く感じてしまったものか。

 結論を言ってしまえば、食い物に関しては、わざわざヨーロッパくんだりまで出かけなくても、日本で十分。日本のイタ飯がどんなに美味いか。イタ飯だけでなく、フランス、スペインもそう。
 なんで、こんな淋しい結論に達してしまうかというと、それにはいろんなファクターがあって、ボク自身でまだよくわからないことがある。毎朝、パリのホテルの朝食で出てくるクロワッサンもバケットも確かに美味しかった。それにバターは発酵バターだったしね。コンビニの袋詰めにされて5つほど入ったクロワッサンなんてクロワッサンじゃないけれど、パリで食ったクロワッサンなら日本でも探せば食えるんじゃないか。う〜ん、こうして書きながらも、まだどうなのかと迷ってる。
 我が家で作るヨー飯(面倒なのでイタリア、フランス、スペイン料理をまとめた。洋食とはちょっとちがう)で、カルボナーラ、これはかなり自信ありなんだけれど、本場、イタリアじゃどうなんだと、ローマ4日おる間に2回も食ったんだよ。で、我が家で作るカルバナーラと比べてどうだったというと、?が3つほどつくんだね。まず非常に塩辛い。しょっぱいのだよ。この一番大きな原因は食材の差。チーズが違う。だから、その分でいうと、本場イタリアのほうがもちろん本場の味なわけで、うちのカルボナーラはまちがっている、本ものとはちがう、ごまかした味になっている。が、あのしょっぱさはどうなのか。あれで良しなのか。それとぼそぼそとした食感。これもうちのカルボナーラは玉子を麺の余熱で固められない、つまりそれだけ手際よく作れないのが原因しているのかもしれない。が、そのぼそぼそとした食感と、滑らかなクリーミーな食感と比べると、クリーミーなほうが美味しいと感じてしまうのだ。
 ここでひとつの結論は、日本は、この30年の間に飛躍的にヨー飯に関して進化した。そして日本人の口に合うようにアレンジされてきた。しかも旧来のスパゲティナポリタンと差別化するためにより洗練させてきた。ところが、ヨーロッパでは、それが極く当たり前の食べ物なので、あたかも玉子焼きがそうであるように進化することはないわけだ。う〜ん、その差、エアポケットのようなところにはまってしまったような気がする。
 と、書いてみて、じゃあ、オムレツはどうなんだという疑問が湧いてきた。より早く日本に移入されたオムレットは、どんどん日本で進化して、もとのオムレットとはまったく別の食べ物に変化してしまった。もはや進化じゃなく変化。そうして洋食というひとつの日本料理になってしまった。もはや、オムレツとオムレットは比較できない。ということはカルボナーラも同じ轍を踏んでいくのか。さてイタリア人が日本に来て、カルボナーラは食べたときに、ボクらがヨーロッパで寿司を見て違和感を感じるのと同じことになっているのか。

(つづく)
カサ・ボティン ヘミングウェイが『日はまた昇る』の中でかいた。マドリッドの有名レストラン。高級店ではないので、30年前の貧乏旅行のときにもそこで食べることができた。
 






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