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■2003/10/13 Mon■  十年ひと昔、または石の上にも三年 [長年日記]

 朝早い目に目が覚めて、ゆっくりコーヒーを淹れながら、うだうだとパンをかじる。そういうふうに時間を気にせずに朝食というのは至福の時間でもあるんだけれど、それから二度寝して、昼前にやおら温泉に入りに行って、また居眠り。そうして帰りには夜の食材を買って、そこから延々うだうだうだとグにもつかないことで笑って、しゃべって、そうすると一日の経つのがとても早い。これはきのうのテント場での一日。
 夜になって、ほんとに一日が経つのが速いなぁ、としみじみ思ったよ。一日の経つのが早ければ一年が経つのも速いわけで、奇しくも遥山泊が「三年なんて、ついこないだのことだよと言うと、三年前のことなんか昔のことだと、言いよるんよ」 誰が言いよったんか知りませんが(笑)、仮に高校生だとして、その三年前は中学生だったわけで、それは彼ら(彼女ら)にしてみると、ひとつ時代が前のことだと思えるんですね。三年の間に時代が変わっていく。周囲にいる人間もがらっと変わってしまう。
 ところが、三十代、四十代と年をとって行くにつれて、三年ではおいそれと周囲の人間が変わるわけがない。まだ二十代のころなら、三年も経ったら交際ってる相手が変わるなんてこともあって、そのたびにドラマなるものが生れたりもするんだろう。前から思ってることに、中森明菜の歌(作詞:竹内まりあ)に
  ♪〜 二年の時が変えたものは
     あなたのまなざしと わたしのこの髪
 あ、これいま気がついたんだけれど、別れてから二年じゃなくて、交際だしてから二年なんだね。別れて二年経ったら、わたしの髪も変わってしまった...って思ってた。二年も経ったら、あなたがわたしを見る目が変わってしまった、あんなに優しく見つめてくれたのに....て歌なんだ。そしていまふっと書いてしまった「二年」ですね。長いのですよ、二年という時間は。三年なんてもっともっと長い。
 話は変わるけれど、新しいビートルね、カセットテープなんですね。MDじゃないです。MDにもできたけれど、MDだとCDが使えないなんてことで、テープやCDはアホほど持っているので、カセットにしたわけ。そしてこの信州に行くのにぱっとつかんでいったのがGちゃんが作ってくれ三年前にたテープ。はい、ちゃんと話が戻ってきました。あらためてそのテープ流していると、いいねぇ、Gちゃんのセンスの良さを再確認してしまった。ヒップホップだけどな。ボクにとってヒップホップというと、がつーんと《The Low End Theory》だったわけで、Gちゃんにもさんざんすすめてた。ところがその《The Low End Theory》ってのは92年頃ので、Gちゃんにとっては昔も昔、大昔の音。あら、「昔」と「音」って漢字は似てるワ。いまから11〜2年前だから、その三年前だと、8〜9年前。やっぱり大昔だわ。いまの高校生からみると、Gちゃんのテープの音もずいぶん昔の音なんだろうな。彼らがまだヒップホップなんて知らんかった(だろう)ころの音なのだ。さすがに《The Low End Theory》ともなると、ボクにとっても懐かしかったりするのだけれど。そういうことをしみじみ思いながら、きょうは一日ビートルを走らせていたのだ。
 で、ORPの全国オフも今年で11回目。ボクは3回目からだから、それでも8年前のこと。つい、こないだです。でも、若かった連中もみんな老けた(笑)
 




■2003/10/05 Sun■  ばいばいRV [長年日記]

 一日がかりでクルマの掃除、というか、いまのクルマは物置状態になっているので、その物置の整理だ。クルマに積んであったのを家に持って上がって、「持って上がって」というのがミソで、「持って入って」じゃないのね。階段をえっこらさえっこらさと4階まで運びあげるのは大変なのだ。
 さて、いきなりこんなことを始めたかというと、実は今のクルマはすでに12年半。来年春に車検だけれど、その車検はクリアできても、その次の車検はディーゼル規制でアウト。それに182千キロも走っているので、そろそろ買い替えなければアカンのです。はい、ついに買い替えたのです。何に乗り換えるかは、ひ・み・つー
 2週間ほど前のうらまごに、《時代は変わる》のだと書いたのは実はこのことだったんですが、12年半も同じクルマに乗っていると、自分の中で確実に時代を築き上げていくもので、その前のビッグホーンから今のプラドーと18年もRVに乗っていたら、それはそれでひとつのライフスタイルになっても仕方ないしょ。
 18年前、ちょうどタイガースが優勝した、その直後に、シティーからプラドーに乗り換えた。当時はまだそんなにRVなんて走ってなかったもんね。ここ10年ほどは、RVの暴走車もどきまで走ってんだもん。もういい加減、RVは潮時です。 さてビッグホーンに乗ったことで、すっかりアウトドア人間になってしまって、あっちこっち行ったなぁ。ウィンドサーフィンのボードなんかも積んで走ってたし、いまや伝説となった《満月のせせらぎの湯》もビッグホーンの時代のこと。
 それから18年前というと、下のAzも幼稚園に入るか入らないかの頃で、ビッグホーンで家族4人でスキーに行ったり、もちろんプラドーになってからも、スキーはもちろん、北海道は2回行ったかな。もちろん青森まで陸送。難民のクルマのように荷物満載、ルーフにファルト2艇、リアのスペアタイヤには自転車を2台なんて想像できるか(笑)、それで真夜中の六本木走ったのもプラドー。上のTon2が東京に出るときに、 このときも家財道具をプラドーに詰め込んで2回も走ったな。ある意味ではRVに乗っていた18年間は子どもらの成長と同時代だったとも言えるんだろうな。
 子どもらがある程度大きくなってからはクルマで旅行するということもなくなった。それでもアウトドア、今となってはアウトドアやってますねん、なんていうのも気恥ずかしい時代になってしまったけれど、あるときは釣りざおがごちゃごちゃに常時積み込まれていて、クルマの中はいつもオキアミの臭いが充満していて、その頃からクルマの中は物置状態。バイクに乗り始めたというのもあるんだけれど、家にまでバイ クの装備を持って上がるのがしんどかったので、クルマをバイク装備の物置にもしてた。
 ビッグホーンは9.5万キロで終わったけれど、プラドーが10万キロキロを超えたときは今でも覚えてる。そのちょっと前からプラドーは別の側面をもつようになって、ははは、そのことは内緒、内緒。想像に任せるよ(笑) さっきプラドーを整理していて、出てくる、出てくる。あきれ返るくらい、出てくる。あっ、やばっ、あれは捨てるはずだったのに、ほかのに紛れて家に持って上がってしまったぞ。あとで捨てておこう。
 さて、新しいクルマはどんな時代を創りだしてくれるか。あした納車。
 


■2003/09/23 Tue■  阪神タイガース18年ぶりの優勝の軌跡とまごちゃん [長年日記]

 ずっとヨーロッパネタで通してしまってたからね、ちょっと閑話休題でこの1ヶ月のことなどつらつらと。

 帰ってきてみんなに言われたのが「ヨーロッパ暑かったやろ」。が、マドリッドでは39度などと、確かに気温は高かったけれど、空気が乾いているのでそんな暑いとは思わなかった。パリも、前日までは40度越えたりしてたらしいけれど、最終日なんて寒いくらいよ。それに比べたら、この1ヶ月の日本の暑さはどうよ。とくに大阪の蒸し暑さときたら、たまったもんじゃなかった。今年は冷夏だと、ヨーロッパに行く8月の初めに騒がれていたけど、そのあともお盆までは冷夏で、台風まで来たらしいな。お盆過ぎからやっと暑くなって、ヨーロッパから帰ってきた20日過ぎがどうも暑さのピークだったらしい。こりゃたまったもんじゃない。帰ってきてすぐの頃は時差ボケなのかと思ってたら、そうでなくて暑さで寝られない状態が続いてほんまにばてた。あせもなんてのもできたくらいよ。
 9月になっても、関東からあっちは涼しくなったらしいが、関西はもうむちゃくちゃに暑くて、朝からじりじりと照りつける太陽で、何もする気が起らない。まさにタイガース熱。

 さて肝心のタイガースのほうは、7月初めにマジックが出て、あとは決まるのはいつだってだけになってた。ヘタすりゃ8月末だなんてね。ヨーロッパ行ってる間に決まったらどうしようなんて。ところが、さすがタイガース、死のロードでやってくれちゃって、ボクがヨーロッパから帰ってきてからもころころと負けてくれて、死のロード終ってみれば、4勝11敗。あの頃はセリーグで一番弱かったな。ところが甲子園戻ってきたら、これがあのタイガースかと。ここらあたりからもう晩になったらテレビの前に釘付けで、終ったら終ったで、タイガース関連サイトばっかり見て歩いて、ほとんど何もせず。実際、夏バテと重なってたからな。
 ここらあたりは何もうちで書くこともないのだが、《阪神タイガース18年ぶりの優勝の軌跡とまごちゃん》が本日のテーマですからね。そして8月末からの甲子園7連勝マジック5で、いよいよに迫ってVロードへ。誰もがそう思っただろうけれど神宮で決まると。ところがどっこい神宮、名古屋と、1分けはさんで5連敗。しまいにはどうでもええから決めるのなら甲子園で決めてくれいと星勘定して(ここらはうらまごの9/10〜14あたりに詳しく書いたから)なかば中日応援。
 そしてマジック2で迎えた15日ですよ。ゲーム始める前は、きょうは負けといて、その間にヤクルトに負けてもらってなどと調子のいいこと考えていたのだけれど、ゲームが始まったらもうどうにもこうにも止まらない。はじめのうちはTon2とメールで「いらいらいらぶぅーたれ」などと送っていたけれど、5回に1点差に追いついてからというもの、もう無我夢中。これはタイガースファンなら当然のことなんですが。8回に片岡のホームランで追いついた。そして9回。冷静になって考えれば、その日でなくても、あと数日で決まるんだから、そう興奮しなくてもよさそなものなのにね。赤星が打った瞬間に、悪くても犠牲フライでサヨナラとわかる打球だったので、手にしていたメガホンでそこらをどつきまくって、テレビに映しだされた大騒ぎに涙がでてきてたのだ。
 18年前の優勝決定の時はそう涙が出てくるってことなかったのにね。ただ最終戦に甲子園に行ったとき、ペナントをもって場内一周してるの見て、そこにアキレス腱断裂で優勝直前に戦線離脱してしまった山カズ(山本和之)を見つけたときには涙が出て止まらなかった。
 今年は早々と当確出してしまったから、息が詰まるようなことほとんどなかったからね。と、言いながら、サヨナラ勝ちでマジック1になって、ヤクルトが負けてるのを知ったら、いても立ってもいられなくなって、梅田にとんでった。もう落ち着いたいまになって考えたら、オトナしくテレビで胴上げを見、優勝セレモニーを見てしみじみこの18年間に思いをはせるのもよかったかなと思う。
 ひとくちに18年と言っても長いよなぁ。前の優勝を機に、Ton2を甲子園に連れて行くようになって、いつの間にかTon2はトラキチになってしまってんだから。そのTon2ももう24でしょ。
 ん〜、この18年間なんて書こうかと思ったけど、うまくまとまらないな。この18年間にはいろいろあった、それくらいか。軌跡にもなんにもなっとりませんが(笑)

 とにかく、ようやっとクソ暑かった今年の夏も、タイガースの優勝とともに終ったな。きょうは秋分の日。あしたから夜の方が長くなる。

 


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