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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2003/11/03 Mon■  ご休憩ですか、お泊まりですか [長年日記]

 1週間のご無沙汰っ〜♪ ←玉置宏風に…って誰も知らんか(^_^ゞ  いやぁ、この1週間は惨憺たるもので、そのまた1週間前から、実は少々腰が痛かったのに関わらず、ちょっと動いて暖まると楽になったもんだから、ガシガシテニスなんぞもやってたわけですよ。ところがこの前の日曜の夜あたりから、ひどくなり始めて、それでもまだ甘く考えていたので、マックの前でふんぞり返って、チャットなんぞやらかしてたのがアフォだった。すっかり腰が固まってしまって立てない("立たない"じゃない!)、歩けないという状態に陥ってしまって、ついには水、木と2日続けて休んでしまった。その間にも、マックの前に座って、イラレでごしごしとせなあかん仕事があって、これも追い撃ちかけてくれて、金曜にはとにかく仕事に出るだけは出て、そのイラレの仕事を出しておかなアカンかったからね、空いてる時間は某ベッドのある部屋でひたすら身体を横たえてないともたないという。あ〜もう悲惨。土曜も同じにしのいで、日、月、火と3連休だったのに、寝たきり老人の生活。あー、こうしてアフォなことをマックに向かって書いてるなんて、とんでもないことなんですよ。(はい、ちょっと限界ですので、ご休憩してきます)  ピロロロロと枕元の電話が鳴った。「お客さん、お時間ですよ」って、あ、あのなぁ、ラブホちゃうんやから、はい、ご休憩おわり。って、何をしてるかというと、寝ころんで本を読んでんだよ。いまは田糞ランディ。ずっとずっと本を読んでるから、ピロロロロなんて書いてしまうのだった。  それでね、何を読んでるかというと、泉鏡花ね、川端康成ね。これは以前にBOOKOFFで買った講談社豪華版日本現代文學全集ってやつで、ん?どこが現代文學なんだよっ。しかしこれはいいよぉ。非常にちっこい活字で、しかも舊字舊かなときてる。泉鏡花なんてのは、なかば擬古文なんだから、現代かなづかいで書かれてんの読んでも、いまいち興が起きないだろ。「確乎しろ、可恐しくはない」ってな調子ね。ボク個人的には舊かなってのは音をよく表していて好きなもんだから、娘の名前も舊かな使ってたりするけど、いざ、舊かなで書いてみろって書けません。あへて舊かななんぞで書いてゐるテキストなんぞも見かけるが、ほんとに舊かなで通して書けてるのかちょっと疑問。中途半端な真似っこするくらいなら、ふつーに書けばいいのにって、へたな舊かなづかひは鼻白むばかりよ。あ、それで、講談社豪華版日本現代文學全集は2段組で、おまけに、その頃の作品ってのは、行換えなんてのはあまりないから、というか、段落によってきっちり行換えすることが守られているから、1ページにびしーっと活字が詰まっていて、1ページ読むのに3分はゆうにかかってしまう。こないだ読んでいた花村萬月なんて、1ページ30秒だね。もっとも描写もすこすこだから、じっくり文体を味わおうなんて気がさらさら起らなくて、斜め読みだったね。テキスト庵の縛りじゃないけど、どうもあの非段落文体ってのは読んでいて落ち着かない。こいつ原稿料稼ぎやってるだけじゃないか、なんて要らんことまで考えてしまって。  をっと、しょうもないことを書いてるうちに、そろそろ限界。「お客さん、ご休憩ですか、お泊まりですか」ってね、休憩してるつもりが、いつの間にか寝てしまって、なんぼ寝たら気が済むんだろうってくらい、よう寝るわ。じゃあ、おやすみ。  


■2003/10/26 Sun■  ネカマ [長年日記]

 すっかり日記じゃなくて週記に成り果てておるわけですが、別に義務なんてものもなくて、まして毎日書くことでアクセスかせごうなんて気はさらさらないのです。女の日記なら毎日更新していたら結構アクセスかせげるみたいですけどね。と、ここで、女の日記と書いてから、ふと思いついた。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」
ふむふむ紀貫之のように女のふりをして書けばいいのだ。要するに、ネカマになりゃいいのだよ。
 なんて書いてみて、そういや、ボクちゃん、ちゃんとネカマネーム持ってたのだ。かつて、とあるチャットに《まご》と、そのネカマネーム《けいこ》を使って二重ログインして、まんまと引っ掛かったアフォがおったな。《けいこ》をボクの彼女という設定にして、一人で二役。大アフォですが、しまいには「まごさんの彼女だからきっと美人」なんて言い出すから、ボクも調子こいてしまって、「写真、見せたろか」なんて、しっかり藤圭子の写真を探しだしてきて、「これじゃあ」とやってんだから、大アフォも大アフォ。それに「うわぁ〜美人!」なんて答えるバカァは死になさい。

 なんかさぁ、この一週間ほどの間にふっと考えたりしてたことと全然ちゃうことを書きだしてんだけど、それはそれでいいか。

 ずっと以前に《洋子》(仮名)というネカマがいて、本人は女ことばで文章を書こうとしていて、だからネットに現れるときも《洋子》で通していた。その事情をみんな知ってるから、別にネカマってわけでないけど、とにかくネットの中では「なりきり」になってたわけ。何度かオフ会などで会ったことがあって、《洋子》という名前とは全く違う風帯で、男前ってわけでもなかったな。それがニューハーフみたいだったら、ひょっとしてふらふらと行ってしまったかもしれないけど、どっちかというと中上健治体型だから、想像つくでしょ。これには困った。ネットの中では、男だとわかっていても、彼の「なりきり」に調子合わせるように、女として接してやってたのだが、いざ面と向かったときに、あらためて他の名前で呼ぶわけにいかないで、《洋子さん》と呼ばないと、誰にしゃべってるのかわからない。もっともその《洋子さん》のほうもしゃべりことばまで女ことばで通してるわけでなくて、ふつうに男のしゃべりをする。これ、女ことば使われたら、新世界のきちゃないオカマのようで逃げ出してたな(笑)
 ところが、そのオフ会の中で閉じられた世界では、《洋子さん》でみんな了解して通用するんだけれど、そこに第三者が存在するようになると、これはちょっと。オフ会が大阪であって、次の日に、「どこ連れてってほしい」と聞いたら、新大阪スカイビルとのご要望。ああいうところは地元の人間だとわざわざ上がってみようということもないので、それもいい機会だとつきあった。それが間違い。時は夕陽タイム。ちゃんと数えてみました。一番上の展望台には24組の二人連れ。もちろんすべて男と女の組み合わせであります。そんなところに、ボクと中上健治体型の男の《洋子さん》。さすがにそんなところで、「なぁなぁ、洋子さん」などと口に出せませんでした。

 大阪の天王寺はパリじゃん、なんて書いてるのを、古いスタジオボイスで見つけて、トイレでウンコしながらくっだんねぇ〜と思いながらも読んでいたんだけど、ふっと見たら、その一文を書いていたのはまだ『ミシン』でデビューするずっと以前の嶽本野ばらで、確かに『上方通信』だかのライターだったから、そういうのを書いていても不思議じゃない。『ミシン』や『鱗姫』ではきっちり騙されちゃって、はじめ女が書いたんだとばかり思っていたアフォです、嶽本野ばらっていうのは男だってわかると、途端につまらなくなって、底が浅いワ。あ、女が底が浅いというわけでなくて、嶽本野ばら自体の底が浅くて、《嶽本野ばら》っていうのが《嶽本野ばら》という記号にしかなってないんだよね。彼(女)の提示するものがぺらぺらの記号となって見えたところで、ジ・エンド。その意図があったかどうだか、わからんけれど、女のふりってのもしんどいワ。そう考えてみると、『斜陽』の大宰なんてのは天才だったんだなと思うのでありました。

 

 


■2003/10/19 Sun■  文士の時代 [長年日記]

 東京都写真美術館でかなり前に開催されていた林忠彦展のカタログ(『林忠彦の世界』)を手に入れた。林忠彦というと、かの銀座のバールパンでの大宰のポートレイトを撮った写真家といえばわかるでしょ。林忠彦は1950年頃を中心にして、当時の作家のポートレイトを写していて、それは『文士の時代』と言われる写真集にまとめらた。そのカタログにはそこからの抜粋が20ほど収められている。
 眼光鋭い川端康成だとか、谷崎潤一郎だとか、それはそうそうたるめんつが集められてる。そして『文士の時代』を編集されたときに林忠彦自身の一文がそえられていたらしく、それもそのカタログのほうに転載されている。
 例えば、かの大宰のルパンは、織田作を撮っていたら大宰が「おれも撮ってくれ」とからんできて、1つだけ残っていたフラッシュバルブでの一発撮りだったとか。あのバーカウンターの脚の長いイスも含めて全体像を撮るのにトイレのドアを開けて、便器にまたがって撮ったというふうに。
 はたまた『オリンポスの果実』の田中英光は、大宰に憧れて、自分も同じようにルパンで撮ってくれと林忠彦にせまってきた。あまりにしつこく言うので、しかたなく同じようなバーで撮ってやったら、自分も大宰と同じようになれたと、写真ができあがった直後に大宰の墓の前で自殺してしまった。このエピソードなんて強烈すぎて言葉にならない。
 ここで一人ひとり引用するわけにいかないから、『文士の時代』なりそのカタログなり探してきなさい(笑)
 安吾がいいなぁ。内田百間(※日→月)なんかもう最高。その『文士の時代』に収められている作家の人間性が写しこまれていて、というより、それらの作家が強烈な個性、オーラを発していたからこそ、そういう写真が撮られたといってもいいんじゃないか。まさに「作家」「小説家」じゃなくて「文士」だったんだ。その「文士」たちと比べれば、いまの作家たちは...なんてつい考えてしまうのは年寄りの繰り言なんでしょかね。
 一人で見ているのももったいないので、友だちに見せてやった。友だちといっても、田中英光って誰なんというようなのに見せても仕方がないので、写真を見てこれは志賀直哉と言えるような友だちね。『文士の時代』のパートは、そりゃちょっと文学なんてのをかじっていたらおもしろいわ。
 ところでそのカタログにはほかに『カストリ時代』や『ニューヨーク1955』といったところもいくつか収められている。その中でグリニッジビレッジのカフェらしきところにばあさんが一人座っているだけの写真があったんだけれど、その写真がすごく好きだな。言葉で説明するのは難しいんだけれど、難しいから写真があるわけですが、いわゆるブレのスナップで、ばあさんが写っているといっても顔の表情なんか全然わからない。とにかく煤けた壁が写真の2/3ほどを占めていて、壁にはわけのわからないフライヤーらしきものが貼られてあって、テーブルが整然と並んでいるだけで、ほかに客、人物は誰も写っていない。
 それで、その写真をさきの友だちに「これいいだろう」って見せたんだけれど、首をひねるばかり。背景の壁が何であるとか、フライヤーらしきものが具体的になんだかわからない。それに何より唯一写っている人間の表情が見えないでは、何がいいんだかわからないと言い出す。これには困った。まぁ仕方ないか。このブレ加減とかほんとたまらないし、何といっても写真全体からあふれるセンチメンタルな情景なんて、その種の写真やってないとわからないんでしょうね。
 






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