その昔は、ボールペン片手に手当りしだいにライン入れたりしていたのだが、これがあとで見ると、実に寒い。なにを読んでたんだ、ばぁ〜〜か。ってな具合。ヘタすりゃ、ルビまで入れてんだから、恥ずかしいかぎり。そのおかげで、借りパクされ、こともあろうに古本屋に並んでいた本のが、確かにかつて自分が必死こいて読んでいたことがわかり、取り戻すことができたんだけどね。オレの吉本隆明『共同幻想論』売り飛ばした奴、もう時効なので堪忍、誰がしたるかぁ。いまやその『共同幻想論』は教祖直筆のサイン本となりましたが(自慢している) 去年だったか、中沢新一の『ニコイコン』をBOOKOFFで100円で買うたけど、お寒い限りの傍線には笑えた、笑えた。それからなんとなくさびしいのは最終ページに読了した日付を書くの。『豊饒の海』がそうなんだよなぁ。ボクはこれを古本屋で4巻揃いで750円で買ったんだけど(また自慢)、これの最後には、 「豊饒の海」完。 昭和四十五年十一月二十五日 としたためられてる。その横に読了した日なんておこがましくて書き込めないです。 かと思えば、ボクが高校生の時に友だちの兄貴の本だと借りた五木寛之の『青年は高野をめざす』に、とても恥ずかしい、キミ、何を読んでんだという数行の感想が記されてた。 そんなことを書いてたら、まごちゃん、まごちゃん、君の《まごぽん》、ありゃなんなんだいと言われかねないね。あれはでつねぇ、ボク、大学生のころ、ありあまる時間を浪費して、ノートに気に入った文章を抜き出して写してたの。それをまたやってみてるだけ。WEBにおいてはいるけれど、かなり私的なんだよなぁ。それに本に書き込むのとまた趣が違うでしょ。
とある日記の作者さんの言わんとするのはね、ページの間に好きな男を感じ取りたい、好きな男がどう感じたのか、それを自分も知りたいと、そうだよね。ん〜、困った。ボク、ほんと本はきれいに読もうとする人だから、そんなの感じと、あ、ボクが困ることもないのか。こりゃまった失礼しました(植木等風に)