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■2004/01/18 Sun■  フットワーク [長年日記]

 大事なのは瞬間の思いっきり。楽譜とおりに弾けるのもそれはそれで基本だろうけど、何が気持ちがいいかというと、その瞬間に閃いたことを音に出せるかでしょ。それは演ってるほうにとっても、聞いてるほうにとっても気持ちがいいことだと思うよ。
 そんなことを急に思い立ったのは、お昼をまわってやっと目を覚まし、ふつうなら家の中でうだぁーーっとしてるところを、きょうはこの数日にくらべて天気もいいし、これは家にいてはいけないと。いつものようにコーヒー飲んでトースト食ったら、ばっと外に出た。この思いきりだね。って、それで普通か。というか、昼過ぎまで寝てるってことのほうが普通じゃないね。
 家を出たのが3時前だったから、そう遠くまで行けなくて、近場をてくとこ、カシャカシャッ。1月も半ばを過ぎるとちょっと日が長くなってきて、いい具合の光の時間が長くてよろしい。冬の方が太陽が低い分だけ影がきれいにできるんだよね。上町断層崖を上がったり下がったり。途中もちろn北天下茶屋の駅のホームに座ってたこ焼きを食すなんて、他人様から見れば情けなさそうなおっちゃんです。結局、阿倍野の墓場の裏まで歩いて、あとはちらっと飛田でお姉ちゃんの顔を眺めて、ん〜、飛田を通るときってのはどういうわけか金もってねぇ(爆死)

 ところで、話は元に戻りますが、決断力というか、そうたいそうなもんではなくて、思いきりの良さでもなくて、思いついたらすぐ行動に移せるというのはエエことだよ。それもしてみたいけど、あれしてこれして、そんでからなんて考えてたらいつまでたっても始まらない。結局、あのときああしといたら良かったぁなんて悔やむばかり。やってみておもろなかったら止めたらエエねんし、食わず嫌いならぬ、やらず嫌いってことにもならんで済むっしょ。
 もっとも思いついたことをすぐさま行動に移すってのはヱエだろうけど、思ったことを何でも口に出してたらあきませんけど(苦笑)

 






■2004/01/17 Sat■  阪神大震災から9年 [長年日記]

 9年も経ってしまうと、という感が強いんだけれど、あの瞬間のことは9年経ったいまもよく覚えている。実はとあることで、前の夜からずっと起きていて、さぁそろそろ寝ようという瞬間だった。ごーっという低い音が聞こえて、次の瞬間には家の中が激しく揺れた。慌てて飛び起きて、まだ揺れている本棚を押さえに行った。猫たちは怖れおののいて腰を低くして右往左往している。揺れがおさまって、つぎにしたことはテレビをつけて地震速報を見ることだった。
 最初テレビでの速報もひどく混乱していた。いきなり神戸で地震があったというのでなく、たしか岐阜県とかあたりで非常に大きな地震があったという報道だった。それは30分もしないうちに神戸だと訂正された。
 とりあえず家の中がそうたいしたことがなかったので、ホッと一息ついて、タバコに火をつけて、駐車場にクルマを見に下りて行った。今考えると、タバコに火をつけてなんて、ずいぶんバカなことをしている。マンションの中庭には飛びだしてきた人が何人かいた。みないちように無事を確認するために、外に出てきた。
 それから家に戻ってテレビに釘付けになった。最初は放送局のモニターが映しだした、むちゃくちゃな揺れが何度も繰り返し流れていた。地震発生から1時間ほど経って、テレビには信じられないような光景が次々と映しだされた。阪神高速の神戸線の倒壊。そしてあちこちの火事。なすすべもない人たち。神戸からうちまでは直線で30kmほどしか離れていない。窓から神戸の方を見ると、あちこちで黒い煙が上がっているのがはっきり見えた。
 道路はぎっしりとクルマで埋まっていたし、うちの上空を八尾飛行場から飛び立ったヘリコプターが頻繁に飛んでいった。ボクのような一般の人間は立ち入るべきでないと考えて、被災地に初めて入ったのは震災から1週間後のこと。
 急速に復旧が進められて、阪神の仰木までは何とか電車で入ることができるようになっていた。実際に見た被災地はテレビを通して見るよりもはるかに生々しかった。当たり前か。それから3月末までいちおうボランティアとして、毎週三宮あたりまでバイクで入っていたけれど、その間に様々な人たちと出会ったし、すごい光景を何度も目の当たりにした。
 こうして9年の歳月が経って、ふつうに神戸にも遊びに行けるようになった。そしてその2ヶ月あまりの間に、甘チャンと言われようと、ボク自身は神戸でいろんなことを学んだとつくづく思う。
 あらためてご冥福を。
 


■2004/01/08 Thu■  ヨプキな彼女 [長年日記]

 まごれびゅにも書いたことだけれど、『猟奇的な彼女』
 韓国語ではYeopgi(ヨプキ)と発音するらしくて、日本語の「猟奇」とはちょっと違う。「猟奇的な女」というと、まず最初に思い浮かぶのが阿部定で、「猟奇」の後ろに「事件」なんて言葉が収まるけれど、「ヨプキ」にはどうも「事件」などの言葉ははまらないようで、「エキセントリック」なんて、これまた外来語がぴったり。でも『エキセントリックな彼女』より『猟奇的な彼女』のほうが扇情的でよろし。
 その分で行くと、阿部定の場合は事件になってしまったから、猟奇的な女として名を残してるけれど、彼女の場合もたぶんにエキセントリックで可愛い。供述調書のお刺身の話なんてボクは大好き。  どっちゃにしろ、ボクの嗜好からすると、ヨプキな女が非常に好みで、そのヨプキな女にいたぶられたいなんて.....マゾちゃん(^^;)
 うーんと、これは高校生のときからなんだけれど、確か大宰だったと思うけど、「山内一豊の妻なんてまっぴらですよ」(ほれ、山内一豊の妻ってなん?てな人のためにリンクしといたったからな)とか言うのを読んで、いたく同感、太田道灌ってなもんで、こういう性格の悪い女はイヤです。あ、世間的には、非常に性格はよろしく、男の前に立とうものなら舌噛んで自害でもするような女が都合がいいんでしょう。あ、イヤだ、イヤだ。世のため、人のためなんてのは性格の悪い典型的人物、究極の自己中人間だと思うんだがね。『華岡青洲の妻』なんてのも、こんな女もやだ。きもい。そんな女は「チュグルレ?!」 思うに、山内一豊の妻や華岡青洲の妻が持ちだされたのはそういう時代背景だったのね。その一方で中ピ連なんてのもあったんだけどな。中ピ連の場合はエキセントリックじゃなくて、ヒステリックだったから、傍目で見てる分にはおもしろかったけど、自分の彼女にしたいなんて気には全くならなかった。

 そうそう世間的に「性格の悪い女」?これに尽きるぞ。谷崎潤一郎先生もそうお書きになっておらっしゃった。颯子。
 それでですね、『猟奇的な彼女』を見て、すっと頭に浮かんだのはキミだ! ぎゃははは! って、でも2人、3人、4人・・・とボクの好きになった女はすべからくヨプキな女。どうする?(笑)
 思い当たるそこの彼女、今からでも遅くないから、山内一豊の妻や華岡青洲の妻になりなはれ。

 


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