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■2004/02/28 Sat■  安倍晴明と葛葉 [長年日記]

 久しぶりに4人そろってお徒歩。といっても、本来の目的はそうじゃないんだけど、ちょうど時間があるのでぶらぶら歩いていこうかと、そういうことならすぐ決まる。が、その行き先ってのが、ボク個人的にはちょいときつい。だからどこをどう歩いたなんてのは伏せておきましょ。知ってる人は知っている。
 それでね、先週の土曜にも地雷掃除したことだから、別になんてこともなかったし、これが一人で歩いてたんなら、またぞろ、あふぉなところに陥ってしまったかもしれないけれど。そしてね、カシャカシャとデジカメってたわけだから、センチメンタル(c)荒木経惟に耽ってる隙間なんてなかったえ。
 で、他3名は蘊蓄を傾けるのに余念がなかったんだけど、ボクはっていうと、すごく春先のええ光でね、ほんとデジカメるばかりよ。それでやね、ちゃんとおうちに帰ってから調べてみるってところがA型の血なんですよ。詳しくはここ

 恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉

と歌を残して消え去っていったかの葛の葉の白狐と安倍保名との間にできた子が、をー、なんといまをときめく安倍晴明だったとは。しかし陰陽師・安倍晴明のフランチャイズであるところの京都の晴明神社がかくのごとくに繁栄というべきか、ミーハー化しているのに関わらず、この葛の葉神社の静かなことよのぉ。陰陽師と騒ぐお姉ちゃんたちよ、京都の晴明神社できゃひ〜んと騒いでるだけで終わってしまうのね。陰陽師・安倍晴明というサイトには、きっちり大阪の安倍晴明神社も葛葉神社も記されてたけど、そこまで調べてやってくる女の子ってのはかなりコアな人なんでしょね。ほとんどが映画の『陰陽師』で騒いでるだけでしょ。ボクはほとんど興味ないです。別に今に始まったことでなく不思議でも何でもないですけど。でも晴明神社の喧騒も去年あたりで終わってしまってんじゃないの。いまや、陰陽師やなくて、細木和子やドクターコパの時代ですものねぇ。ちなみにこの葛の葉の白狐の伝説には部落差別が関わってます。
 そしてずんずん歩いてボク的にコアな地域にさしかかって、う〜んと、そうここでは『後ろ姿』という話を書きかけたんだとか、いろいろあったのだが、はい、過去の話です。小雪が舞っていたのも過去の話で、きょうはぽかぽかあったかい。
 で、2時間近く、本来の目的のことがあって、帰りは帰りでまたてくとこてくとこ。実際に歩いてたのは2時間ほど。早春の一日。

 夜はアカレコ・ニャー様のシークレットライブって感じ。が、まんちゃんのギターのせんせは来るわ、にゃー姫のボーカルの先生は来るわ、もう大変で、あれ緊張するなと言うても緊張するわいなぁ。いつもとちがって、あとどこでもドアでやってきたと言うトニーヤングの3人でのアコースティックライブ。アレンジなんかもちょっと違ったりしていて、そそ、『ウバタマの夜』ん?タイトルこれでよかったのか? まぁいいや、あの途中で歌詞がぎちぎちに詰まったとこあるんだよな、そこんとこニャー様のカツゼツの良さったら。ちゅうわけでたっぷり1時間の2人にとっては大汗ライブ終了。
 が、ここからが大変。そのあとがカジャさんですよ。しかもギターがまんちゃんのギターの先生、Yah-Do!の道祖先生。「うりゃああああ、まんしろ、ギターとはこないに弾くのじゃああああ」ってな調子。テクニックちゅうかね、そう専門的なことわかりませんですがね、高いとこを弾いてる分にはごまかしが効くってもんよ、派手だから。そっから低音に移ったときの音の響きがすげーっての。ちょ、ちょっとびびりまくり。プラス、ヴァイオリンのQちゃんに、通しで出ずっぱりのトニーヤングの4人でこんだけの音出すかって。とにかく音が厚いの。
 アカレコ様には悪いが、それは彼らも認めたはるやろけど、インディーズとプロの差ってこれくらいあるかってものでつ。
 あ、そうそう、ニャー様のボーカルのHiroco先生(よう考えたら、先生2人のユニットがYah-Do!なんやワ)も途中で2曲ほど飛び入りで入って、「をらをら、しゃべってるときより、歌うてるときのほうがでかい声出せよ!」ってなパワフルなボーカル。で、そこにふっと哀愁がこもった響きが入ってね、わたくし、去年の夏にスペイン行ったときにフラメンコの女の人のボーカルをふっと思いだしてたのね。そのことを帰り際にHiroco先生に話したら、「フラメンコのボーカルはむちゃくちゃエネルギーが要って、とてもとても」  いやぁー、今回のライブはお得。ときどきライダーキャットとか、気に入ったバンドが出てきたりするけど、だいたいにおいてアカレコだけで1500円みたいなもんでしょ。今回はアカレコはタダみたいなもん。じっくりカジャさん聞けて、それにボブ・マーリーでいっちゃん好きな『No Woman, Nop Cry』まで聞くことができて、たったの2500円。

 外に出ると、春の雨が。一雨ごとに暖かくなっていく。
 と、後半はアカレコの誰かさんのコラム用ですワ。










■2004/02/24 Tue■  『路地へ?中上健次の残したフィルム』 [長年日記]

 こないだから中上健次ネタばかり。さしあたり第2次中上萌えってところか(-.-;)
 それであまりにもタイムリーにケーブルの日本映画専門チャンネルで『路地へ?中上健次の残したフィルム』というドキュメンタリーが放映されてた。青山真治監督。聞いたことあるような、ないような。
 さて最初、クルマでぐるぐる走りまわってるの、あれ、これどこだろうって思ってたら、三重県の松阪。つまり紀州出身の映画作家=井土紀州が、松坂をスタートして、なんで松坂かわかりませんのですが、しばし42号線を南下して新宮を目指して走るのが続く。
 う〜んとですね、この最初の10分ほど、非常に違和感があるんですがね。同じなら和歌山スタートで枯木灘を映してほしいんですよ。そして古座。そうでないと《紀州サーガ》にゃならんでしょ。確かにね、秋幸の姉=芳子が名古屋に出ていくときに木ノ本(熊野)まで鉄道で行って、矢の川(やのこ)峠をバスで越えて行ったというくだりがあるんだけど、その矢の川峠のトンネルを抜けるのを、まんま延々と映してんだけど、これは絶対に違う。新宮というのはそれほどに遠いのだと言いたかったのだろうか。
 実はボク自身、1967年(昭和42年)に紀伊半島を自転車で一周している。そのとき木ノ本と尾鷲の間の矢の川峠を延々自転車を押して上がった。もちろん舗装などしてなくて、トンネルもなかった。芳子を乗せたバスが走った道はそのような道で、決して今のようにしゅーっと走り抜けられるんじゃなかった。 ついでに1967年当時で国道42号線は、和歌山-白浜、新宮-熊野以外はほとんど未舗装で、ちょうど太地あたりでは、雨だったので、走れないくらい自転車のタイヤが泥に埋まったのだ。
 たまたま須野まで乗せて欲しいという若い男がいたのだろうか、その須野まで乗せてやって、そこから先に道がないという。この矢の川峠の下の海岸線に沿った道は長い間貫通してなかったんだけれど、いま現在できちゃってるよ。撮影は1999年だそうで、その時は確かに道の果てなんだけど。
 どうも新宮=『地の果て』なのだということを言いたかったのかね。『地の果て 至上の時』と中上が書いた『地の果て』というのは確かに空間的な地の果てという意味も込められてはいただろうけれど、それ以上に時間的な地の果てだったんじゃないか。確かに東京の人間からすると、名古屋、大阪からも4,5時間もかかる地の果てという印象があるんだろうけど、ボクのように大阪の人間から見るとさほど地の果てという感はないんだよ。
 須野に至る新鹿(あたしか)は中上が一時移り住んだことある地なんだよね。このドキュメントではなんもなかったです。しかもね、松阪から熊野までやってきて須野に寄り道するんだったらね、なんで有馬をすっ飛ばすんだよって。有馬、古座というのは紀州サーガにとって、秋幸にとって、父の地、母の地なのにね。最初の10分ほどはほんと余計だね。
 さて、いよいよ新宮。新宮の町を、歩きながら例えば神倉神社や、巨木の下で『地の果て 至上の時』の一節を朗読する。廃校の中で朗読するなんてちょっと考えものだな。そこに、中上健次自身が16mmで撮影したフィルムが挿入される。なるほど臥龍山はこういうふうに新宮の町を分け、切通というのはこうだったのだと。そして路地、その井戸。そしてまた人たち。。。
 その16mmのパートよかった、なんて言うと元も子もないんだけれど。このドキュメンタリーが撮影された1999年というと、すでに路地も臥龍山もきれいになくなってしまってる。ボクの第1次中上萌えの1994年だったか、そのときにもすでになくなってしまっていた。それはいいことだったのか、どうなんだか。その『地の果て』に『至上の時』がおとずれたのだろうか。なんだか、このドキュメンタリー全体がセンチメンタリズムにすっぽり包み込まれているようでね、結局、最初から最後まで、どこかボクがイメージする中上の世界とは違っていた。
 1967年に新宮に行ったときに、もちろん中上健次の「な」の字も知らないで、泊っていたYHがどのあたりにあったのかさえ、もう覚えてはいないけれど、ただやみくもに歩いて新宮の浜まで出た。いま考えてみると、路地のあたりもわけのわからなまま歩いていたのかもしれない。その新宮の浜は、ボクの記憶のどこかに荒れた光景としてかすかに残っている。


■2004/02/23 Mon■  出会ったときから好きだったのだと [長年日記]

 あ、また中上の『鳳仙花』ネタで、申し訳ない。って、謝る必要なんかなかったのだ。
 あのですね、もうかれこれ10年ほど前になるかな、中上健次に萌えてしまって、だだだっと読み漁って、それでも『地の果て 至上の時』 にはその重さに押し潰されてしまってた。やっとのことで『地の果て 至上の時』は数年前に読み通すことができたんだけど、そのごつごつした重さにへとへとよ。中上健次という、まさにヘビー級チャンピオンにサンドバッグにされたって。
 だから、どうしても中上健次ってのは、ごつごつした男気ぷんぷんの世界、10年前に新宮の神倉神社に行ったときに会ったおいちゃんの「にいやん」っていうドスのこもった声がイメージとして焼き付けられてた。
 中上健次もいっぱい読んでたようで、よく考えたら、そうそう読んでるわけでもなくて、この『鳳仙花』だって、長いことツン読状態。だいたい積んだら読んだことあるような気になってネ、いけません。
 この『鳳仙花』は『岬』、『枯木灘』、『地の果て 至上の時』 と続く秋幸三部作の傍系で、秋幸を私生児として生んだフサの半生を描く、言ってみれば中上健次版『女の一生』なんですねぇ。って、モーパッサンの『女の一生』も山本有三の『女の一生』も読んだことないんだけど。
 さて、まごぽんのほうに、けっこう長く引用してしまったので、ここではしないけれど、鳳仙花の赤い花弁で爪を染めるなんていう情景はね、ずしっとくるわけですよ。これはね、ごつごつした重苦しい男気の世界じゃなくて、色彩の豊かで細やかな女の情感だよね。ここで愕然というか、ヘビー級チャンピオンの中上健次の中でどうしてこんな女の情感を紡ぎだせるのか、これにはもう感心するばかり、なんてのもはるかに越えてしまってるな。まるで女が同居してるんじゃないかって、しかもあの体躯にだよ。なんで?なんでこういうふうに書けるの?って。
 そして『鳳仙花』の後半になると、かの浜村龍造が現れて、あ、やっぱり引用したろ。長いぞ(^_^ゞ
「フサさんを見たときから、俺も、色の白い手じゃねと思たんじゃ」
 男がそう言ったのではなくフサが眼にしたその川と森がフサの耳そばで物を言ったようで、男の熱い手がフサの手をつかみ、草の葉の手ざわりを確かめるように男の石のように硬い指が掌をこするのを感じる度に、呼吸がひとつずつ苦しく狭まってくる。
 あの龍造がフサを呼ぶのに「フサさん」とさん付けしてる。あ、これ何となくわかる。龍造にしたところで、女の前に出た男にしか過ぎなかったんだなと。それで、「川と森がフサの耳そばで物を言った」って、もうゾクゾクしてくるんだもんね。多分にボク自身女が入ってしまってるから、そのように耳そばで物を言われたら行ってしまうだろうなって、もうその時点で濡れてくる、って、えーっとこうしていま書いてるときにも前立腺あたりがむずむずしてきてる・そして「男の石のように硬い指が掌をこする」とね、たぶんいまもしボクが女だったら、その硬い指が濡れた柔らかい肉を分け入ってくるのを感じて、もうだめだめ...... 続いて
 フサの胸元をはだけにかかった男の手が服の上からあたる度に、硬くなった乳首を男に知られてしまうようで羞かしかったし、男の荒い息が耳にあたるのが苦しくて眼に涙さえあふれてしまうのだった。はだけられた胸に手がさしのべられ、乳房が男の熱い手の中にすっぽりつつまれるので息が出来ず、フサは抗いでもするように濃い息をたて、男の胸に救けてくれと言うように顔をよせて、坐ったままでいる事が出来ず崩れた。
 男がフサの体を支えて唇を吸いながら畳に横たえた。
 長い間、そんな硬い体に、よりどころない風に吹かれてしまうようなフサを押えつけてしっかりと力をこめて抱きとめてほしいと思っていたような気がし、なにもかも見せてやるというように素裸になった男を見つめた。男はその体そのものが業苦だというように「ほれ」と背中の刺青を見せ、昏い眼のままフサの体を抱き起こすようにしてのしかかる。
 男の体は火のように熱く、男の手がフサの足を起こし、フサの唇いっぱいに差し込まれる舌のように男が入って来ただけで体が急激にほてり、ちりちりと火を噴き出し、フサは男の背につめを立てた。息が詰まり、声をあげる事も出来ず、男が腹の筋肉をこすりつけるようにゆっくり動きはじめるのをやめてほしいと思いながら、体中が一気に裂けてしまう。男の背にたてたつめに力をこめた。
 男は力が抜けてしまったそのフサの顔を見て笑みを浮かべ、それからまた舌をフサに吸えというように唇をこすりつける。男が動く度にフサは声を荒げた。男の呼吸の音に誘われるように、フサの体の中にいまもう一人、男に合わせて身を動かしている柔らかい色の白い女が息づきはじめている気になりながら、男にきかせるように声をたてた。
 男は果てる事がないように体そのものが苦しいようにフサを愛撫した。
 長い事、素裸のまま抱き合っていたのは自分にもその男への恋慕があったからだと、男がまだ裸のまま板戸をあけて「食い物を持って来てくれ」と頼んでからフサは思った。十五の齢で勝一郎を知ってから、勝一郎以外の男を体に受け入れるとは思いもつかなかったので、刺青の背中に汗をかき素裸のままかまわず酒を飲みはじめた男を、出会ったときから好きだったのだと思い込んだ。
 行った?
 このあとも繁蔵と龍造の間で揺れる女の情感が描き出されていて、中上健次の重要なアイテムの夏芙蓉であったり、草のにおいであったり、その情景にからめとられて行くのだけど、それはまたいつか。
何だか、きょうは欲情させてやろうって、誰をだ?





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