と、いちおう無難にまとめておいて、実はぁ、いろいろあるんだよねぇ。直接ボクがどうこうという話じゃなくて、間接的にどうこうって話なので、ここには書けないけど、ひとつは、やっぱり日常の問題。ボクでもあれはやだもん。日頃からあんなんだからちこっとしたことでも針小棒大。世の中相手によったら、快感になることでも、不快にしかならないことくらい知っとけよな。で、快感になるようにつきあっとけばエエのでしょ。ボクとしては自爆してくれるの待ってます(^^;)ズルゥー で、もういっちょは、フラレ男のパニック。あ、ボクが寝取ったってか、あんた、それは考え過ぎってモンでしょ。でもやつから見たらそう見えるんかいね。そう見えるんならそう見とけや、ガキんちょ。でもボクに直接どうだこうだってよう来やへんのもなっさけないねぇ。それで新しい女(?)にすりすりして、その女の前で、前の女(?)のこと、くそみそに言うてるなんてサイテェー。いっぺん地獄でも覗いて来なさい。
俳句は余技だの末技だのと云ふ事ではない。俳句は立派な文学であり、藝術とは即ち表現である。風の如き感興が一つの形を得て、一瞬の韻律に纏まった時に、初めて詩と呼ばれる。それまでが大切な契機であり、そこから先はどうでもいいのではないかと考へる。自分の詠嘆を記憶しようとするのは、さもしく、繰り返さうと思ふのは、しつこい。個性などと云ふ物は、個性のない者から見れば尊いかも知れないが、その本人には無意味であるべき筈である。句集の補遺を編んで、どうしようとするのかと考へながら、もとのままの暖昧な気持で句稿をめくってゐたら、大きな欠伸が出て、涙が止まらなかった。