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■2003/04/27 Sun■  古都徘徊 [長年日記]

 まずは京阪の五条からスタート。高瀬川に沿ってちょっと南に下がる。ここらあたりは静か。高瀬川の水にカメラを向けるちょっと知ったかの観光客もちらほら。川べりではいかにも京都のお婆さん相手に、自分がそこら一帯を撮った写真を見せているのはほんとに長閑な風景。ちらっと見えた写真も鴨川と広い空を写しこんでいて美しい。ところがその高瀬川から一本裏に入ったら五條楽園。かつての遊廓。ひょっとするといまでもまだ営業してる家もあるのかも。京都というところは古いままにのこっていたりするから、簡単にかつての赤線跡らしき家が見つかる。早速みながデジカメ持ちだして構え始めたから、ちょっとあせる。やっぱりこいうところは一人で人目しのんでささっと写してあるかないと。仮にクレームつけられたところで一人ならなんとでも言い訳が着けられる。写った写真に「申し訳ない」感が写りこんでしまうのがおもしろいんだけれど。これって半ば観光客然としてるから写せるんだよなぁ。それでもボクもさっと目につくところだけはカシャカシャと写しては見たけれど、いまひとつインパクトに欠けるのはそんなせいかもしれない。歩くスピードも速いしさ。そうしていると前の方にちょっとヤバイ目のお兄様たちが何人かたむろしていた。その横を通り過ぎて、はっと見えたビルの入り口に《会●●鉄会》の金看板。さすがにこの金看板を見ると、高瀬川のせせらぎをいかにも楽しんでます100%観光客ですよぉーという顔になってしまう。
 退散しながらも裏鬼門を見つけると、ほんまの鬼門はどうなってんだという探求心がむくむくとわき起こってはくるのだけれど、その鬼門の方に回るところでキャッチボールをしていたお兄様の半そでからもんもんがちらっと見えるとそそとしてしまう小市民たち。でもなんだかんだって言いながら、任天堂の旧い社屋を見つけるとまた喜んでんですが、とにかく正面橋で鴨川を渡ってしまうまで緊張した。これに懲りずにまたこっそり一人で出かけてみようと思ってる。
 正面通りの突き当たりが豊国神社。かつてはこの正面通りがメインになるはずだった。家康のヤクザそこぬけのいんねんつけさえなければ。とにかくでかい鐘だった。が、その鐘よりもその鐘楼の天井画のほうがおもしろかった。どうも最近は歴史的な因縁話にはあまり興味がわかない。興味がわかないから、その鐘の写真も一枚も撮らないで、よこの崩れた壁や水たまりを写してる。
 ここから少しずつ北に上がって六波羅探題の六波羅蜜寺。入ったところに口からびーーっと仏さんを伸ばしている空也上人の教科書でゆーめーな像があると記されていたけれど、もちろん金払ってまで見ようとする連中ではない。タダなら見ます。六波羅ということはここら辺りが六道の辻と言われたとこだなと思っていたら、六道珍皇寺がった。小野篁(EgBridgeエライ!「おののたかむら」一発変換)が夜毎、古井戸に潜って地獄に行き、閻魔大王になり変わっていたというところ。ヒゲに言わせると、ここらは夜に歩いたらしんと静まり返っていてホンマに怖いところらしい。しかしこんだけ家があるんだから怖いことないと思うけどな。第一ここに住んでる人はどうなんねん。とは言え、ここから先はかつて平安時代には鳥辺野と言われて屍体を捨て鳥に食わせていたところだからな。あまりに歴史的因縁に興味ないなどと言いながらよう知ってるでしょ。梅原猛で勉強したもん(笑)
 東山通りの鐘園亭で餃子とビール。ここの餃子は1人前5ヶ100円で小ぶりながらも美味しい。結局6人前食って、さらに水餃子も食った。水餃子は焼とはちがう皮を使ってたし(当然か(^_^ゞ)、タレも別のを用意するくらい。とにかくお薦め。
 腹いっぱいになったところで八坂の塔の方に上がっていくと、ヒゲが、「ここやで」とシバ漬け屋を指す。30年前に、ヒゲにそこのシバ漬けが美味いから買うてこいと言うたきり。そのあと自分で買いに行って見つけられず、もうなくなったのかと思っていた。実に30年ぶりのシバ漬けを買って、それから中谷の豆腐。この間、ほかの3人は何してたんでしょね。八坂の塔の下におったけど。
 さらに上がっていって産寧坂。思いきり観光客多し。こう人が多いのもおもしろくてボクは好きなんだけどなぁ。観光客の裏側をウオッチするのって楽しいんだけど。でもあまりエエ女はいなかった。しかし他の連中の歩くの速いこと。もっとゆっくりじっくり見ればいいのに。ささっと行ってしまって、まぁ待たせとけばいいんですが。円山公園で休憩。
 白川に沿って祇園へ。ここも観光客いっぱい。他の観光地と違って京都の場合は観光客を見る楽しみがあってよろし。偽舞妓に一生懸命カメラを向けてるし、偽舞妓を連れて写真撮影しているいっぱしのプロは、偽舞妓に、「そこから一歩さがったところでこっち見て」などとポーズつけさせている。しまいには「アマチュアの人が撮ったはるからもう少しそのままでいたげて」などとほざいちゃってからに、はいはい、あんたはプロですワ。しかしそのような決まりに決まっただけの写真なんか撮ってておもしろいんかね。絶対におもしろくはないと思うけどね。かつて舞子さんの撮影会に行って撮ってきた写真を四つ切りにして喜んでるのがいたけれど、ちらっと見たところ全然。「うあっぱりニコンは写りが違う」はいはい。やつらに言わせりゃボクの写真なんてゴミみたいなもんなんでしょ。実際、ゴミばっかし写してますが(苦笑)
 さて祇園の甲部のほうにも回って、いかにも京都というようなお母はんが一人でやってる喫茶店で休憩して、さて帰りました。なんてもったいない。時間はまだ5時過ぎ。抜群の西からの光が射してるのに、せっかく連休の日曜の雑踏があるんだしね、このまま帰れますかいな。もう一巡り。
 









 


■2003/04/21 Mon■  先週のことなどつらつらと [長年日記]

 先週はいろいろあって、何か忙しかった。
 まずは課金払い忘れていてサーバーを止められた。そうなると、色々困ったことになった。《うらまご》もここも、まごれびゅも外に置いてあるから止まりはしてないんだけど、ボク自身は例えばここのURLはhttp://www.jcss.ne.jp/~maggot/maggot/diary.htmlとブックマークしてるから、いちいちhttp://mago.tdiary.netと打ち込まないといけなくなった。これがうざい。いきおい更新意欲が削がれてしまう。それに写真アップもできなくなってんだから、どうにもこうにも。
 サーバーが止められた日、つまり水曜に神戸へカジャ主催の反戦ライブを見に行く。その往きの阪神電車でふっと思いついて、窓からカシャカシャやってみた。デジカメをほとんど窓に押し付けて、目は窓を流れる風景、電車の進む方向を見て、あれだと思ったのが前を通り過ぎる瞬間にシャッターを押す。これがおもしろくて元町まであっという間だった。神戸の街ではちょっとだけいつものようにカシャッ。
 上屋劇場に着くともうすでにライブが始まっていた。ほとんどが関西のどこかのライブハウスで演ってるようなメンバーで、出てくるのが多いために1グループ1曲で交替。1曲だけだから、これだというナンバーを出してくるのでどこも質が高い。これで1ドリンク2300円でチャリティーだってんだからお得なライブ。反戦というテーマでもっとしんきくさいのばっかしかと思ってたら、全然そんなんとちがってよかった。今さら反戦なんてのを大上段に構えられたらしんどくてかなわんもんな。主催のカジャは3曲行ったあとに、にゃーのAVID。にゃーは緊張してなかったというけれど、いつもに比べて控えめ。他のメンバーに気圧された、なんて言うと彼女はきっと否定するだろうけれど。他がライブハウスでばりばり演ってるのばかりだったからAVIDにとってはちょっときつかったかも。でもそれなりに良かったんとちゃう。途中から受け付けのところでにゃーたちと遊んでたけれど、ふっとのぞいたらカジャがまたステージに呼びだされて、♪〜How many roads musu a man walk down〜なんて歌いだしている。それから"I Shall Be Released"だもん。みんなDylan世代なのだ。ボクも当然のようにDylan世代なわけで、♪〜I see my light come shining〜なんて歌ってしまってた。そうこうしながらも抜け目なくカシャッ....天空オーケストラ良かったよなぁ。
 その間の日はテニスばりばりで、土曜もはじめは甲子園行こうなんて言うてたのに、雨が降りそうって行くの取りやめたらきっちりその分テニス。こんだけテニスやったらもっと上手なってても不思議やないんだけど、自分では相変わらずのような。それでもたぶん上手くなってんだろうな。
 で、きのう日曜は唐組で一日が終わってしまって、『泥人魚』のことはまた今度。
 









 


■2003/04/18 Fri■  町と街、道と路 [長年日記]

 字源でも調べりゃ済むんだろうけれど、「町」と「街」、この使い分けは、以前からまご日記に書いたりするときに迷っている。自分ではストリートとかでごちゃごちゃと入り組んだイメージのときに「街」を使ってるつもり。どうたねん?と話してたら、「町」というのは、城塞都市であるとか環濠集落であるとか、居住地、商業地として一定の区域的に仕切られたところだそうで、これに対して、かつてはぽつぽつと「町」があって、それを繋ぐ過程で、道の脇に拡がっていったのが「街」だと言う。
 ふむふむ、ということはボクが使っていたストリートを中心にした猥雑なのが「街」というのはあながち間違いやないわけね。じゃあ、寺山の『書を捨てよ、町に出よう』というのはおかしいやないか。寺山修司ともあろう人間が「町」と「街」をはっきり区別してなかったとは考えにくいのだけれど、どうも寺山の書を読んでいると、その区別が明確でなかったりする。ボクにはどうしても『書を捨てよ、町に出よう』ではなくて『書を捨てよ、街に出よう』と思えてならないんだけどね。それというのも『書を捨てよ、町に出よう』というのが出版された当時、頭演劇と銘打って、天井桟敷が劇場から頭に出て行こうとしていた時期で、ボクの「町」と「街」の違いというのも、どうもそこらに端を発している気がする。
 「町」は入って行くものであって、出ていく先が町じゃないんとちがうだろうか。どの映画だったか、忘れてしまったけれど、町から出て行く、町の外の荒野に出て行くラストシーンだった。と、すると、『書を捨てて家を出て町に入って行こう』じゃなかろかね。

 「町」と「街」に関連して、「道」と「路」。でも「みち」というときには「道」とはするけれど、あまり「路」とは書かないんだよなぁ。漢字の上ではあまり区別ははっきりできてないんだけれど、「道」はwayで「路」はroadというふうにイメージ的には区別は明確。どうもね、武士道とかの「道」と、はたまたシナトラの"My Way"であるとかディランの"Most Likely You Go Your Way (And I'll Go Mine)"と"Way"とが重なって、路上観察とかの「路」は、road movieであるとか、ケルアックの"On the Road"と重なる。
 ところがフェリーニの『道』は"La Strada"で英語の題は"The Road"、一方同じ「みち」と読ませるユルマズ・ギュネイ の『路』は原題はトルコ語で"Yol"、英語の題は"The Way"と来てるんだから、なんやようわからんようになってきた。La Stradaというイタリア語は英語にするとStreetなんじゃないかと。でもフェリーニの『道』がずっと先にあって、「みち」は素直には「道」だし、「通り」とするのも変だし、それに大芸人なんだから。ああ、ややこし。
 しかし森山大道が森山大路だったら、朱雀大路みたいで、これも変だしなぁ。

 

 


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