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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2003/04/14 Mon■  モノクローム - 連夜の街 [長年日記]

 本を読んでる最中に話しかけられると辛いものがある。お気楽に読んでいる本ならどうってことないし、たいがいボクだって人のお邪魔をしてるのだけれど、きょうなんかはうらまごにも書いた石内都の『モノクローム』で、それも『連夜の街』のくだりで思いきり浸りきってしまってるときはどうしようもない。ほんと無愛想でごめんねぇ〜m(__)m

 「愛がなければ写真は撮れない。やさしさだけでも写真は撮れない」

 うらまごのほうにだけ書いておくのはもったいないのでこっちにも書いとこう。そうなんだよなぁ、この名文句が出てくるところでもお邪魔虫がやってきて、ほんとくっだらないこと言うので「あっち行け!」と言うてやったのだ。浸りたければカプセルの中にでも入って本をよむべきなんでしょね。

 石内都の『連夜の街』というのは「歴史から降ろされた街がある。地図に赤い線でしるしを付けられた街」を、「女だから呼ばれたのだ。磁場としての赤線の街にカメラを持つ私はいやおうなく吸い寄せられ、強い力に身をまかせ」て撮った写真集。
 今年の3/23にボクも『連夜の街』のなかで石内都が写した同じ建物、オブジェに対してカメラを向けた。その差ははっきりしている。ボクだって、石内都と同じように、歴史的に赤線がどうであったか、そんなことには興味はない。それは石内都が「磁場」と表現するように、ボクにも強い力が働いて引き寄せられていく。が、男だから呼ばれはしなかった。呼ぶのは、遣り手婆の「兄ちゃん、エエ子おまっせ」という声だけ。
 彼女の名古屋の中村遊廓でのお袖さんとの出会いのくだりはほんとせつなかった。「連夜の街に史実はいらない。」という彼女は、その「お袖さんから何一つ遊廓春福楼の話を聞かなかった。」という。

 



 


■2003/04/13 Sun■  松島やああ松島や松島や [長年日記]

 ●汐見橋から中央図書館
 汐見橋線の岸里玉出の駅はうざい。結局、昔の玉出から岸里の一駅分歩かされることになる。おまけに向いの本線のホームを歩いてるうちに電車は出ていくし、汐見橋線のホームに着いたら、20分に1本だぞ。15分以上も待たされる。しかし乗客10人足らずでは文句も言えない。大阪市内随一のローカル線だもんな、廃線にならないのが不思議。それも最近ボクがよう乗ったってるから。
 徘徊のついでに借りてた本を図書館に返しておこうと。返すからにはまた新しいのを借りてしまうのでずしんと重い。こういうとき紀伊国屋でもらったアラーキーのトートーは役に立つ。倉庫の壁を写してると、そこを通った人が、何を写してんだといぶかしげにカメラの向いている壁を眺めていく。何もないから、ますます変な男だと思うだろう。
●松島遊廓
 また倉庫やら古いビルヂングやらを写しながら松島遊廓へ。
 いきなりおじちゃんに「あんた何を写したんや」と詰問される。やべぇ、やべぇ、そこん家のオヤジだったのか。
「いや、ほうぼうの旧赤線の古い建物を撮り歩いてるんや」とこうなったら正直に答えなしゃあないやろ。
 どうも週刊誌やらに、エエ加減なこと書かれたり隠し撮りされてすっぱ抜かれたりで困ってるらしい。なんでも松島の飲食店組合の役員やってるおっちゃんらしい。ああ、ボクも隠し撮りで写したりしまんねんとは口が裂けても言えない。あくまで「趣味ですわ、趣味」
「旧赤線の建物というのは、ステンドグラスとか残ってたりして美しいでしょ。ほら、あそこの角に見えるタイル張りの建物みたいなんが残ってるんですわ」
 という調子で、こっちの蘊蓄を展開し始めたら妙におっちゃんも納得。
「こないだも橋本に撮りに行ったし、東京にも行って、吉原写してきて」
「吉原ってもうソープ街になってしもとるやろ」
「ソープ街の間にまだちょこちょこ残ってるんですわ。もう営業してへんけど。」
「橋本はどうやねん。」
「ああ、橋本はもうどこも営業してへんで、壊れてしもたりして。何年か前まで、すごく綺麗に残ってたのが、こないだ行ったら、もうボロボロになってしもたり」
「うちも雨漏りがひどいんや。まぁとにかくこういうところやから嫌がるさかいにな、せっかく電車賃使うてきてんねんから、注意せな文句言われんで、気ぃつけや」
 ふーっ(^◇^;) しかしこの前に来たときよりよう見たら、写真になるのいっぱいあるなぁ。そのくせかしゃっ、かしゃっやって、振り向いたら、その向いは営業してたりして、うーん、どうもここは写しにくい。おっちゃんに御注意受けたことだし、早々に退散。
●九条から西九条
 松島を抜けて九条商店街。ふらっと歩いてたらシネヌーヴォーの前に出た。26日から寺山特集だと。これは是非とも見にこないかん。九条OSはこないだ来たときには怖そうなお兄さんがいたので何も写せなかった。でも表は全然扇情的なこともなくて、A級伏見みたいに本日の出演と踊り子さんの写真くらい貼っといてくれよ、何のねたにもなりゃせんって。商店街の裏側をあっちゃこっちゃごちゃごちゃ歩く。安治川トンネルで此花区へ。西九条の阪神のガードの周辺とか、ちょっとおもしろかったりするけれど、ここらあたりから疲れてきた。疲れてきたらカシャッも鈍ってくるのね。環状線の野田を目指しててくとこ歩いて、地下鉄で西長堀へ。
●南堀江からアメ村、そしてナンバ
 西長堀で下りたのはナンバまで乗ったら230円になるというケチな根性。ちょこちょこと南堀江の店を覗いたりしながら、四ツ橋筋のスタバで休憩。三角公園やビッグステップの前でちょこと写してみたけど、こないだの渋谷のほうがずっと人が多いし、明るいんだよなぁ。やっぱり東京と大阪の差か。
 ふらっとアセンスに寄ってバルテュスの画集を衝動買い。ナンバまで歩いたらもう足の裏にマメまでできてやがんの。
 









 


■2003/04/10 Thu■  ドキュメントからモニュメントへ [長年日記]

 中平卓馬の『写真論』から、『なぜ、植物図鑑か』となる元の『記録という幻影??ドキュメントからモニュメントへ』を読む。この写真論から容易に思い至るのが、きょうの出来事。それはバクダッドに侵攻したアメリカ軍がフセインの像を引き倒した。その像に駆け寄ったイラクの子どもが靴でその倒されたフセイン像の頭を叩いている映像が流されていたのだ。マスコミはフセインに抑圧されていたイラクの民衆が解放されて、イラクでは最も軽蔑を表す靴で殴る行為に出たと喧伝する。
 が、そのような映像が存在することを、まともに受け入れることはできないのは中平の論考を待たなくても容易にわかる。それはドキュメントして世界中に垂れ流されてはいるが、明らかにそれはドキュメントでなく、モニュメントなのである。フセインの像がモニュメントである以上に、この映像は最初からモニュメントとして存在させられた。
 イラクの子どもにちょっとした金を握らせるだけで、いとも簡単にあのような映像を存在させることはできるのだ。
 かつて湾岸戦争で「ファイアー!」と叫んで、あたかもゲームのようにピンポイント爆撃をするレーダーの映像が垂れ流されたが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に忌まわしい映像であることを心に刻んでおきたいと思う。
 

 


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