この何必館で開かれた藤原新也の写真展は、1971のインドから1973のアイルランドまで、1991の門司も含めて、点数としてはさほど多くはないのだが、いちおうあらかたのところが展示されていた。アメリカ1989の展示のところには《アジア。その熱い実存から、明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》と記されていて、やっとのことで、その熱い実存の重圧感から解放されたのだった。まぁいい意味だか、よくないんだか、いいようにとっとかないとしんどいワ。 以前から、ボクにインドへ行こうと誘うとんのがおるんだけどね、まだ20そこそこの頃はインドに行きたくて仕方なかったけれど、行ったら行ったでヤバイなと感じてた。今は本当にヤバイなと思う。そのことについてはまたいつか書くことにしよ。 ただね、藤原新也の写真はできすぎてんだよね。撮っているもの、そのものから来る重圧感と同じくらいに完成されたものとしての息苦しさがあるんだよ。荒木経惟なんかの息の抜けがないの。例えば、門司のフェリーの子どもの後ろ姿のように、完成されている分、がしっとイメージを押付けられてるわけではないんだけれど、打ち込まれてる感じがして、イメージを自由に展開できないってところがある。だからコテッとしたものを食べたあとの胃の重さのように残ってしまったのだ。そしていまも胃のあたりが重苦しく感じられる。 ふーーっと一息、向いのスタバで休憩して、そうそう、冬至はきのう?きょう? 日が暮れてしまうのがもっとも早いわけで、あーっという間に夕方の光が暮れていく。そうたいして時間があったわけでもないので、きょうは円山公園のほうをぐるっと回って、粟田口から裏道人生、三条まで歩いてみた。《明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》ってね、それは裏表なんだろうけれど、《滅びのイメージ》って、まだまだ煩悩だらけらしくっていいじゃない。ボク自身もそんな煩悩にしがみついていたい。
最初に書いたように、わたくし本日は休みで、あしたは天ちゃんのお誕生日で休みで、個人的に三連休なのだよ。ところが世間様も3連休だとばかり勘違いして、プロレタリアートのみなさん、お仕事ご苦労。を、いま気がついたが、プロレタリアートなんて横文字職業があったんだね。しかもアートじゃないの。なっ、このようなアホ書いてるから、話は長くなる。 で、3連休の中日ということで、きのう日曜になんとか体力も回復させて、本日は京都まで藤原新也の写真展を見に繰り出したのですよ。もちろんひとりです。いちおうこっそり誘ったのですが、すげなくふられてしまったのですよ。ところがですねぇ、♪〜なのにあなたは京都へ行くの…って、先に言うといてくれよ。本日月曜は何必館きゅ〜〜くゎぁぁんんん。世間様は3連休じゃないのだ。そして世間様はクリスマス気分にインドでメメントモリもあったもんじゃない。をーダビデの星よ、クリスマスはメメントモリより強かった。 と、いうわけで、すげなくわたしは飛びだして、カマラ片手に京の道、とぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼ(←四谷シモン風に) つまりです、閉まってるものは仕方がないので、かねてから腹案だった五番町夕霧楼再訪。あん、五番町って、どこにあるか知っとるけ? 千中だよ、千中、千本中立売。現在地が祇園八坂下だ。♪〜どうすりゃいいのさ思案橋って歌うてる場合じゃなくて、いちお、阪急と地下鉄と考えてみた。が、どちらも中途半端。四条河原町まで戻って阪急で大宮、そこからバス。はたまた三条まで上がって、東西線でどこまで行きゃいいのだ? ああ、めんどくせ、ようは歩きゃいいのだろ歩けば、とばかり歩き出した。とぼとぼとぼとぼかしゃっとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼかしゃっかしゃっとぼとぼとぼとぼとぼとぼ。やっと《からすまるまるふとるまち》 をー、そうそう、ここまで来たら、日曜休みの入山とうふ買うて帰ろう。その前に麩嘉で麩饅頭も買おうと夢と希望と食欲に満ちあふれ、てくとこてくとこ。ところが麩嘉、月曜休みぃ〜。世の中、月曜休みは散髪屋だけじゃないのだ。麩嘉と何必館は月曜休みじゃ。メモっとけ。さすがに入山とうふは、昨日日曜に休んだばかりで開いておった。ひろうすがむちゃくちゃに美味そうなのだ。見ただけで、生唾液ごっくんものよ。無事、豆腐2丁とひろうす3ケお買い上げ。 西陣を抜け、西陣京極にちょいと回り道までして、はぁーやっとたどりついたは五番町夕霧楼。今年の春先、小雨の中をおっさん5人ほどでぞろぞろ歩きはしたものの、情報不足のため、夕霧楼は見つからなかったのだった。きょうは『赤線跡を歩く2』なる虎の巻も手にしてるのだ。 中立売通りから、食堂とびたのところで入っていく。そのまま行くと、石梅楼跡があるはず……なんだがなぁ。結論から言いますと、旧石梅楼は跡形もなく消え去っていました。今年の春先の時点でもうすでに消え去っていたのです。もちろん大和屋も美人座もいまはもうない。が、ちょこちょことそれと思しきたたずまいの家がちらほらと。でもステンドグラスもタイルも丸アーチもなく、よっぽど注意してないとわからないだろうな。五番町のど真ん中、西陣日活が妖しげな雰囲気を漂わせている。思わず、500円につられて入ってしまいそうになったのだ。 これも時代の流れというもの。このご時世にあっちにもこっちにもトビタが残っているわけないのだ。夕霧楼の夕子も、石内都のお袖婆さんももうとうに亡くなってしまっているのだ。さっ、帰って湯豆腐食おう! って、どうして、千本中立売から四条大宮まで歩いてしまうのですか? ははは、三条大宮のすぐきは美味ぇぇ〜〜!!
言論の自由の最大の敵は身内である。見つけられるのが早いか、サイトが終了するのが早いか…。きっと最後は開き直るか見なかった事にしておくかだな。