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■2003/12/23 Tue■  メメント・モリ [長年日記]

 世間のメリー・クリスマスにめげず、再びメメント・モリ……誕生ではなく死想するのね。
 藤原新也はもう10年ほど前だったか、『印度放浪』で知って、かの犬が死人を喰らっている写真に少なからずショックを受けた。結局、その重圧で『印度放浪』は最後まで読み通すことはできないまま。きょうそのオリジナルプリントを見たよ。重いというべきか、やっぱり重圧感に息が苦しくなる。人間の死体が荼毘にふされるのを目の当たりにして、それにカメラを向けられるか、シャッターを切ることができるか。めらめらと燃え上がる炎の中、真っ黒い太い木の向こうに、真っ黒に炭化したかつて人間であったかたちが見える。にもおかまいなく、炎は蠢いて見える。ほんとうに動いて見えたのだ。《人間は犬に食われるほど自由だ》犬が死を喰らう写真を目の前にして、自由であることの意味を噛みしめる。

 この何必館で開かれた藤原新也の写真展は、1971のインドから1973のアイルランドまで、1991の門司も含めて、点数としてはさほど多くはないのだが、いちおうあらかたのところが展示されていた。アメリカ1989の展示のところには《アジア。その熱い実存から、明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》と記されていて、やっとのことで、その熱い実存の重圧感から解放されたのだった。まぁいい意味だか、よくないんだか、いいようにとっとかないとしんどいワ。
 以前から、ボクにインドへ行こうと誘うとんのがおるんだけどね、まだ20そこそこの頃はインドに行きたくて仕方なかったけれど、行ったら行ったでヤバイなと感じてた。今は本当にヤバイなと思う。そのことについてはまたいつか書くことにしよ。
 ただね、藤原新也の写真はできすぎてんだよね。撮っているもの、そのものから来る重圧感と同じくらいに完成されたものとしての息苦しさがあるんだよ。荒木経惟なんかの息の抜けがないの。例えば、門司のフェリーの子どもの後ろ姿のように、完成されている分、がしっとイメージを押付けられてるわけではないんだけれど、打ち込まれてる感じがして、イメージを自由に展開できないってところがある。だからコテッとしたものを食べたあとの胃の重さのように残ってしまったのだ。そしていまも胃のあたりが重苦しく感じられる。
 ふーーっと一息、向いのスタバで休憩して、そうそう、冬至はきのう?きょう? 日が暮れてしまうのがもっとも早いわけで、あーっという間に夕方の光が暮れていく。そうたいして時間があったわけでもないので、きょうは円山公園のほうをぐるっと回って、粟田口から裏道人生、三条まで歩いてみた。《明るい虚構。そして滅びのイメージへ。》ってね、それは裏表なんだろうけれど、《滅びのイメージ》って、まだまだ煩悩だらけらしくっていいじゃない。ボク自身もそんな煩悩にしがみついていたい。

 




■2003/12/22 Mon■  五番町夕霧楼は [長年日記]

 私、毎週月曜になったら、ここ《まごまご日記》を書いているように、月曜はレギュラーで休みであります。少し余裕ができるので、ついついここで駄話を繰りひろげてしまうのですが、責任やら義務なんてのは、当然のようにあるわけないし、まして、どこぞの編集がひょっとしてここを覗くことなどあって、文壇デビューのあかつきに念願の印税生活が送れるのじゃないかなんて期待はもうとうの昔に夢と消え去っているわけですから、あまり深く考えないでさらさらと書いてしまえばいいのですが、ここに《うらまご》などという裏だか表だかわからん日記ページまで繰りひろげたおかげで、いざ、この《まごまご日記》に向かうと身構えてしまうという妙な悪癖がついてしまって、余裕がないと書けない事態に陥って、いく久しう、日記ならぬ週記となって
 なっ、ほら、また身構えてしまってる。ついつい《うらまご》のほうがお気楽だから、毎日、本日の出来事をぱらぱらぱらと書いて終わってしまってる。だから、きょうはぐっと《うらまご》に書くのを我慢してんだよっ。別にどっちゃに書いたってどうでもええんだけどな。

 最初に書いたように、わたくし本日は休みで、あしたは天ちゃんのお誕生日で休みで、個人的に三連休なのだよ。ところが世間様も3連休だとばかり勘違いして、プロレタリアートのみなさん、お仕事ご苦労。を、いま気がついたが、プロレタリアートなんて横文字職業があったんだね。しかもアートじゃないの。なっ、このようなアホ書いてるから、話は長くなる。
 で、3連休の中日ということで、きのう日曜になんとか体力も回復させて、本日は京都まで藤原新也の写真展を見に繰り出したのですよ。もちろんひとりです。いちおうこっそり誘ったのですが、すげなくふられてしまったのですよ。ところがですねぇ、♪〜なのにあなたは京都へ行くの…って、先に言うといてくれよ。本日月曜は何必館きゅ〜〜くゎぁぁんんん。世間様は3連休じゃないのだ。そして世間様はクリスマス気分にインドでメメントモリもあったもんじゃない。をーダビデの星よ、クリスマスはメメントモリより強かった。
 と、いうわけで、すげなくわたしは飛びだして、カマラ片手に京の道、とぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼ(←四谷シモン風に) つまりです、閉まってるものは仕方がないので、かねてから腹案だった五番町夕霧楼再訪。あん、五番町って、どこにあるか知っとるけ? 千中だよ、千中、千本中立売。現在地が祇園八坂下だ。♪〜どうすりゃいいのさ思案橋って歌うてる場合じゃなくて、いちお、阪急と地下鉄と考えてみた。が、どちらも中途半端。四条河原町まで戻って阪急で大宮、そこからバス。はたまた三条まで上がって、東西線でどこまで行きゃいいのだ? ああ、めんどくせ、ようは歩きゃいいのだろ歩けば、とばかり歩き出した。とぼとぼとぼとぼかしゃっとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼかしゃっかしゃっとぼとぼとぼとぼとぼとぼ。やっと《からすまるまるふとるまち》 をー、そうそう、ここまで来たら、日曜休みの入山とうふ買うて帰ろう。その前に麩嘉で麩饅頭も買おうと夢と希望と食欲に満ちあふれ、てくとこてくとこ。ところが麩嘉、月曜休みぃ〜。世の中、月曜休みは散髪屋だけじゃないのだ。麩嘉と何必館は月曜休みじゃ。メモっとけ。さすがに入山とうふは、昨日日曜に休んだばかりで開いておった。ひろうすがむちゃくちゃに美味そうなのだ。見ただけで、生唾液ごっくんものよ。無事、豆腐2丁とひろうす3ケお買い上げ。
 西陣を抜け、西陣京極にちょいと回り道までして、はぁーやっとたどりついたは五番町夕霧楼。今年の春先、小雨の中をおっさん5人ほどでぞろぞろ歩きはしたものの、情報不足のため、夕霧楼は見つからなかったのだった。きょうは『赤線跡を歩く2』なる虎の巻も手にしてるのだ。
 中立売通りから、食堂とびたのところで入っていく。そのまま行くと、石梅楼跡があるはず……なんだがなぁ。結論から言いますと、旧石梅楼は跡形もなく消え去っていました。今年の春先の時点でもうすでに消え去っていたのです。もちろん大和屋も美人座もいまはもうない。が、ちょこちょことそれと思しきたたずまいの家がちらほらと。でもステンドグラスもタイルも丸アーチもなく、よっぽど注意してないとわからないだろうな。五番町のど真ん中、西陣日活が妖しげな雰囲気を漂わせている。思わず、500円につられて入ってしまいそうになったのだ。
 これも時代の流れというもの。このご時世にあっちにもこっちにもトビタが残っているわけないのだ。夕霧楼の夕子も、石内都のお袖婆さんももうとうに亡くなってしまっているのだ。さっ、帰って湯豆腐食おう! って、どうして、千本中立売から四条大宮まで歩いてしまうのですか? ははは、三条大宮のすぐきは美味ぇぇ〜〜!!

 










■2003/12/15 Mon■  誇張と剽窃のあいだ [長年日記]

 思い立ったら、すぐ書かないとね、すぐ忘れる。すぐ忘れるというようなことはどうでもいいことだろう、とも考えられるのだけれど、いかんせん、老化というこわい劣化が始まっているので、どうでもいいことばかり覚えていて、肝心のことは忘れてしまう。
 うらまごにもリンクしたのだけれど、『欲望と理性のあいだ』という日記サイト。しっかり読んだわけじゃないけれど、かなりきわどいです。おもしろい。
 で、問題は12/12の日記なんだがね、わぁー、それまで毎日更新してあったのに、ぷつっと止まっている。うん、やっぱりかく言う問題発生なのか。ちょっと引用させてもらっとくと
言論の自由の最大の敵は身内である。見つけられるのが早いか、サイトが終了するのが早いか…。きっと最後は開き直るか見なかった事にしておくかだな。

 その種のネタの場合、これは深刻な問題で、何も書けなくなる。この点に関して、ボクはガードが甘くて、身内ばかりでなく、仕事関係にもけっこうなところバレまくっているのだ。だから、
《昨日はマンコにチンコ入れながらアナルに指入れてやったら、ヒィヒィよがって、最後には失禁してしまいよったんよねぇ》(かなり前述のサイトからパクってます(^_^ゞ)
なんてことを書けないでしょ。をー、さすがこいつ教えんでもやることやっとんのぉーとオヤジが読んで褒めてくれるか? だいたいです、ボクの仕事は毎日、何10人かを前にして、わけのわからんことをしゃべってるのですが、「このおっさん、ここじゃこんな意味不明なこと言うとるけど、きのうの晩、顔面射精やってそのままねじこんだ変態だぞ」なんてシャレにならんです。
 その分、作家っていいよなぁ、「この物語はフィクションで、実在の人物、団体とは一切関係ありません」の一文ですべて解消してしまえるんだからな。anonymousな関係を保ってる限りにおいて、をっ、ちょっとお堅い書きだしになったナ、何でも書ける。匿名の手紙なんてね。そこにかなりの誇張、剽窃が含まれるにしろ、それに比例した真実も含まれる。anonymousな関係が崩れると、ほんとうのところを書きたくても、剽窃部分をかなり大きくしていく必要がある。
 まぁ、本当のことなんて、誰にも、自分自身にもわかってないからな、好き勝手書くばかりよ。さて、それを楽しみたければ、ネットというフィルターを通したら、たとえ、身内、仕事関係といえども、anonymousな関係に陥ってしまってることに気づくべきだな。そのことが理解できないなら、楽しむ資格なんかないね。
 


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