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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/05/12 Wed■  Deep Ill-usion [長年日記]

Hってふくちゃんのことじゃなかったんだ。ふくちゃんだとFなのになぁと思いながらも、てっきりふくちゃんのことだと思ってたから、道理で文脈が合わなかったはずだ。ヒロシって名前だったんだね、彼氏....。♪〜そんなヒロシに騙され〜のヒロシですか。けっ。それがどうしたって言われてもどうもしないんだが、あっ、と思ったときには自分でドツボにはまってやがんの。
考えてみれば、HがふくちゃんだったらOKで、ヒロシだったらNGだっていう考えは自分自身ではイヤなんだけど、そこんところは多少なりともヒロシに嫉妬してるんでしょ、多分。それと、ふくちゃんからボクに向けられる視線と、ヒロシからのそれとではほぼ逆向きというのも理由なのかもしれない。それもあくまで推測の域は出ないんだけれど。
もし仮にだぞ、ボクとヒロシが二人して人差し指と小指を突き出すようなったら、きっとキミは中指を突き立てるのかな。
さて携帯も機種変したことだし、バッテリー長持ちするようになったのをいいことに、戯れ言をまき散らしてやるか。



■2004/05/11 Tue■  One More Cup of Coffee [長年日記]

彼女の部屋でね、コーヒーの豆を挽くのです。初めて入った部屋、さすがのボクでもちょっとは借りてきた猫のようにちんまりと座っていたらいきなり「まごちゃん、まごちゃん、コーヒーの豆、挽いてくれる?」とコーヒー豆を入れたミルを手渡された。
ボクは酒はあんまり飲まない人なので、気を遣ってコーヒーと考えてくれたのかもしれない。いい加減、オトナになってしまうと、挨拶がわりに「おビールでも?」(うおりゃああ、どこの奥様だぁ)、「なんか飲む?」って缶ビールしかないくせに、牛乳って答えたらどうすんだ、奥さんよぉ。あ、いけませぬ、話が変な方に走り去ろうとしている。きょうは純情小曲集のノリにするはずだったのに。強引に耳ひっぱって元に戻します。
オトナの世界ではいちおうアルコールというのが普通なんだろうけど、そうだから余計、コーヒーというのが妙に新鮮に感じられたし、なんだか高校生に戻ったような懐かしさを感じてしまう。いまはもうコーヒーはがぶ飲みするようになってしまって、面倒だからコーヒーメーカーでどっと落としてしまうんだけれど、かつてはコーヒーミル、それも手動で、とりとめもない話をしながら、ごりごりごりごりと豆を挽いて……というのは、ボクが高校生の頃に男友達と、彼女とこんなふうになれたらいいのになぁって話していたことだった。そんなふうにロマンチストだったのさ。

それがいま現実になっている。そのことだけでボクは充足している。それだけのことなのに。




■2004/05/10 Mon■  さよなら、トマソン [長年日記]

サーバーの移転でリンクを張りかえるのが大変。よく考えたら、まごれびゅもエンピツにおいてあって、絶対アドレスを使ってたから、それも書き直さないとあかんね。ふーっ。と、同時に、階層を深くしすぎたから、せめてhttp://maggot-p.com/dddd/xxx.htmlで収めるようにしないとロボット入って来えへんもんな。
温泉とかグルメはもうどうでもいい。マスコミのお手軽ネタに成り下がってしまっておもしろくない。だから、これらはすっぱり削除。なんてことを考えてると、全体的なディレクトリーの構造を考え直さないと。とうことは、とりあえずは1つ目の階層に同列においておくしかないか。

それでトマソン、これはやっぱり外すわけにいかないのだな。でもURLが変わるので吉野さんにメールする。そのメールにも書いたのだけれど、ボク自身、いまはもうトマソン漁りの目になってなくて、トマソンがあればあったでよいというくらい。鬼海弘雄の『東京迷路』でもトマソンは写ってはいるけれど、単にひとつのオブジェになっているだけで、そこに移されているのは町そのもの。トマソンを切り取ってくるんじゃなくて、町を切り取る。トマソンの目で見ると、この写真の何がおもしろいの?と言い出すんだろうけれど、小理屈なんか必要としないおもしろさなんだよ。そうそう、きのう見に行った永原トミヒロの絵に描かれた影もそうなんだ。
去年の夏、ヨーロッパに旅行したとき、あっちはトマソンだらけで、例えばフィレンツェのウフィツィ美術館の壁面にまでトマソンがへばりついてるのを目にすると、トマソンってのはあっちの世界では当たり前のことじゃないかと思えてしまう。2年前に東京で吉野さんと会ったときに「トマソンが欧米でもっと受け入れられるかと思っていたのに」と言ってたけれど、トマソンなんてのは、日本だからこそ生息できたんじゃないか。日本の町の変遷と経済性との間の単なる歯ぎしりにすぎなかったんじゃないかと思い始めた。
もうひとつ、『野次馬画報』以来、これまでずっとボクにとってはアイドルであった赤瀬川原平が『老人力』あたりからつまらなくなった。「老人力」という一種の開き直り、人はみな齢をとる。それを「老人力」だと開き直ってどうなるってもんじゃない。原平先生がライカで撮ったトマソンを見せられても全然欲情させられないのだよ。逆にそれをとうとうと語られれば語られるだけ、「老人力」によるダンゴ理屈としか感じられなくなった。もはやトマソンに過激性を感じられなくなったんだよ。
かれこれ20年近くトマソンを探し続けてきたけれど、すっかり町を見るボクの目も変わってしまって、そろそろボクの中では潮時だな。が、これまで出会ったトマソン、とくに堺燈台などを目の前にすると、とても愛着が残っる。WEB上にボクが集めたトマソンたちはそのまま残しておくよ。たぶん よほどの物件に出会わない限り更新することもないかもしれないね。




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