寺山修司の偉大なキャッチコピー「書を捨ててまちに出よ」の「まち」が町と街のどちらだったか分からなくて調べていたら、あなたのホームページに行き当たり、疑問が氷解しただけでなく、主張にも同感できて大笑いしてしまいました。私の感覚でも「町に出る」のは1960年代か70年代ぐらいに都会の喧噪にあこがれ、都会の生活を夢見ている「田舎青年」です。そうですか、寺山修司ともあろう人がねえ。しかし、考えてみたら、60年代や70年代前半あたりに「街」という言葉が市民権を得ていたのかどうか。ひょっとしたら、その後に定着して「町」から別れたのかもしれません。調べてみます。多謝。
なんか書いてこいよ。いへ、何か書いてください。
《空を見上げて、違う雲が見える昼があれば、同じ月を見る夜だってある》
キミはこの雨をどう感じるんだろう。
最近よく雨が降るのですが、このtDiaryには[長年日記]という機能があって、日付横に[長年日記]と表示されていれば、クリックすると、数年前の同じ日付の日記(あればの話ですが)を並べて表示する。そそ、かつてマックには「三年日記」なるものがあって、これ使ってたんだけど辛いものがある。あ、説明めんどくさいから、わかるやつだけわかれ、どう辛いのか。恋ひとつしない御仁には無縁だろうが。 あ、それでね、話の脈絡があったもんたよしのり、雨ですわ。この時期の雨は緑を育てるってね、そして雨のにおいですよ、ロマンチストですから、ボクは。そんな夢みるボクに
『雨が降ってきた 五月は栗の花のにおいでいっぱい 雨の匂いに混じって生温くいやらしい』
などと携帯にメールを送りつけてくるハニー。あ、あのですね、ボクはですね
『雨が降ってきた 五月は花のにおいでいっぱい 雨の匂いに混じって温くいじらしい』
などと勝手にボクのフィルターを通して読み間違えてたんだよ。このようなロマンチストのボクをいたぶるなんてキミはサディストか。 日頃ですね、「携帯で愛など語れない」などと嘯いてるわりに、あ、読めませんよねぇ、「嘯く」 ボクもはじめ読めませんでした。花村萬月に出てきたんだよ、やつはきっとワープロソフトで小説書いてるはずで、「うそぶく」などと書いて、たまたまスペースちょんとしたら「嘯く」って変換したんでしょ。あ、それはどうでもいい話ですが、急に携帯のメールで愛を語るようになったのかというと、ハニーのPCがぶっ飛んだのさ。まぁ、それまで毎晩毎晩チャットで、ボクをいたぶりまくった天罰だな。おかげでボクは慢性寝不足なんだって
ところで栗の花っていまごろ咲くのか? ボクは以前に栗の花が咲いてるのを嗅いだことあるが、それは真夏だった。そうか、夏は栗の花が充満するのだ(希望んぬ)。栗林公園って栗だらけなんだろか?
う〜ん、これで果たしてノロケになったのだろうか。ちなみに「のろけ」で変換すると「惚気」