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■2004/05/08 Sat■  みだれてけさはGW明けの週末(恋人はスナイパー) [長年日記]

  ♪〜 あなたに抱かれて わたしは蝶になる

なんて歌がありました。森山加代子だよっ。へっ、森山加代子知らん? 森山加代子ってねぇ
いや、これってさほどの意味があるわけでもなくて、ただちょっと思い出しただけ。実際、GWの疲れか、身体の節々がだるくてね、とくに股関節脱臼かしらん。そうそう、GWの虚脱状態。その余韻にひたっているヒマもなく、びしばし仕事。そらあかんワ。人間だらだらとせな。
というわけで、ここまでは話の枕(作:清少納言)で、こっから話をどう展開させようかと、理解に苦しむ(むちゃくちゃな日本語)
あの「余韻」なんですけどね、朝起きますですね、ここで一首詠みます...

 長からむ 心もしらず 黒髪の
     みだれてけさは 物をこそ思へ

うむ、なかなかの出来だ。それでですねぇ、この余韻なんですね。ベッドに寝ころがったまま、ハイライトに火をつける。乱れたシーツにぼおーっと目をやっていると、そこにちぢれた陰毛が。そう、きのうの夜、キミはあんなに乱れたのだった、ここからは枕の話(作:素性法師)
「ねぇ、ずっと一緒にいてくれる? そんなことわかんないよねぇ、でもでも....あなたと一緒にいたらわたしは…」
と耳もとで囁くのを、事後のタバコをくゆらせながら、まだじっとりと濡れたまんこに指を遊ばせて…なんて余韻に浸っていられるってのは非常に大事なんですよ。
そいうえば、ボクの高校時代に沢たまきが「ベッドでタバコを喫わないで」などと歌っていたのですが、その歌を聞きながら、猛烈に「事後のタバコ」に憧れたものでした。
やぁ、それでですね、そのような余韻もいつかはきりをつけないといけないわけで、空になったハイライトのパッケージをぐしゃっと握りつぶして、この次、ここに帰って来るのはいつだろうか、そのときまでハイライトのパッケージはそのままなんだろうかなどと思いながら、部屋を出ていく。

GW明けの最初の週末、いかがお過ごしですか?




■2004/05/05 Wed■  迷いの窓 [長年日記]

おととい、京都へふらふらといつもの徘徊。
光悦寺はまだ高校生のときだから、もうかれこれ35年ほど前のこと、何で知ったんだろ。京都の北に閑静で、かの本阿弥光悦が庵からなる芸術村とでもいうべきコンミューンをつくっていたとか。当時の高校生って、ボクを含めて、マジメだったのです(笑) 休みとか、あるいはおデートなんかでも京都や奈良のお寺巡り。そいうや、亀井勝一楼の『古寺巡禮』なんて本もあったな。
つい最近、まごぽんに「蛇足ですが、ボクは、高校生のとき左大文字から金閣を眺めていた馬鹿者です。」と書いたんだけど、あれは光悦寺へ行ったときに、光悦寺の借景となっている鷹ヶ峯に登ってやろうとテクトコ歩いて上がった。鷹ヶ峯から尾根づたいに下って行ったら、10m幅ほどのはげ山になっていて、石を積み上げたトーチカのようなのが何基も並んでいて、あれ、なんやろ?と思うて、よく考えたら左大文字だったのね。その「大」の字の真ん中から下界を見ると、金閣が見えたんよ。そのころから猫も杓子も行くような観光地には通ぶって避けてたから、金閣はまともに拝んだことがなくて、それはいまだもってそうなんだけど、そんなとんでもないところから、タダで金閣を盗み見れたことにアホみたいな喜びを見いだしてた。まぁ、そのようなことを思い出しながら、光悦寺の中を見て歩いたというか、いわゆる「癒し」ですね。ぼおっと佇んでいる。ただそれだけの時間が流れるのが心地よいのでした。

光悦寺を出て、またぷらぷらと歩き始めたら、《血天井》などと書かれた立て札が目に入って、そのまま通り過ぎたんだけど、気になって引っ返してみた。血の天井、何かの血をベンガラ代わりにでもして塗り込めたのか? いや、怨念が籠もってんじゃないのか、なんて想像してみて、ふっと入ってみた。すると、本道脇の入り口の所に30足ほどの靴が脱がれていて、光悦寺なんかよりずっと商売繁盛しておる。と、言っても金閣、銀閣の比ではないけど。伏見城落城の際の血痕らしく、やっぱり怨念がらみか、どうもこの人気、とくに意外と若い子らが多いのは、ホラーだとか言って紹介されたんでしょ。その天井を眺めてみたけど、手形がついているというのもあんまり判然としないしねぇ、そういうホラーにはほとんど興味ないので、とりたてて一生懸命見ようとはしなかった。同じなら処刑した人間の血をベンガラ代わりに塗り込めたというほうがおどろおどろしくてよろしい。
それより、「迷いの窓」「悟りの窓」と称する、四角い窓と円い窓が並んでいて、その窓からお寺の庭が見えるほうが興味深かった。「血天井」を目当て(?)にやってきた人も、血天井にはほとんど目をやらず、その窓の前で記念写真。ピカッ! こりゃ、静かに瞑想しろ、瞑想。ほんまなみんながデジカメなんぞを持つようになって、またそのデジカメが《わたしにも写せます》的オートなもんだから、ところかまわずピカッ、ピカッてのは考えもんだわ。
ボクはね、迷いの窓に正対して、おのが煩悩への思いにはまってたのだよ。それでな、「悟りの窓」に向かうよりは「迷いの窓」に向かっている方が心落ち着くってのも、何かの因業なのか。悟りなどいらない。ずっとずっと迷いの中で生きていたいと。




■2004/05/01 Sat■  Dive to the sheets [長年日記]

  おお少女よ 少女よ、
  わたしはきみを愛する!
  きみの眼はかがやく!
  きみはわたしを愛する!

  そのように愛する、
  自由な雲雀は
  歌と高みを、
  朝の花は空の香りを、

  そしてわたしはきみを
  湧きたぎる血で。
  青春と喜びと
  勇気とを、

  新しい歌と舞踏とを、
  わたしにあたえてくれるきみ!
  永遠に幸福なれ、
  きみの愛とともに。

いきなり、すんまそん。五月なんもんでね、やっぱり華々しくギョエテの『五月の歌』……こんなんやったか? あら、『五月の歌』ってリルケやなかったか?と、ネットで検索かけたら出てきたのが、このゲーテのだから、たぶんそうだったんでしょ。
考えてみれば、『五月の歌』を贈るよ、なんて、まぁなんて気障な手紙を書いたもんだわ。手紙だぞ、手紙、メールとちゃうぞ。ゑゐ、へんかぁ〜ん、じゃなくて、机のそこらにほりだしてあったゲーテの詩集から、万年筆で、一字一句書き写したんだよ。そして君に贈った。
いつの頃からか、詩なんてのも読まなくなった。五月の光から逃げるように、ジャズ喫茶の暗がりでむさぼるようにことばをさがし続けていたのに

   5月に もう期待するのはよそう

と詠んだのは、白石かずこだった....
  Dive to the sheets




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