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■2004/07/29 Thu■  少しでも誰かの思い出の中に生き続けてくれますように [長年日記]

》昭和49年7月29日、中島千鶴子という女の子が突然亡くなりました。
》ちょうど30年目の夏がやってきます。
》私がとやかく言うのは変なのですが、
》完全に忘れられたりするのも可哀想なので
》一度だけ皆さんに思い出してもらえればとメールします。
》覚えている方がおられましたら、
》そっと冥福を祈ってやっていただければ幸いです。
》少しでも誰かの思い出の中に生き続けてくれますように
突然、bccメールが河井から届く。真剣に中島千鶴子という名前を記憶の中から繰ってみる。千鶴子という女性-女の子が、30年前の自分のまわりにいた記憶がかすかに蘇ってくる。が、その千鶴子というのが、はたして中島千鶴子であったか、そうなると、記憶は曖昧にぼやけていく。「千鶴子」という名前だけで存在してたのじゃないか。
河井とも、この30年近く疎遠になっていたのだが、数年前に一度だけ会って、一緒に飲んだ。ボクはバイクで出向いたので、酒は飲んではいなかったが、その別れ際に「暴走族のようにブインブイいわせて走り去ってよ」と見送ってくれた。
河井と「千鶴子」が存在したであろう集団から、その昭和49年当時、ボクは一歩離れた位置にいたけれど、それにしても、その集団からいくばくかの情報-噂は流れてきていたはずだ。もちろん「千鶴子」が亡くなったということも伝え聞いていて不思議はないはずなのに、亡くなったというメールに記された事実は、ボクの記憶の中の「千鶴子」の存在をあやふやにしてしまう。
30年経ったいま、河井がこのようなメールを送ってくるということは、その当時、河井と「千鶴子」に、普通の友だちである以上の関係があったのだろう。確かに、ボクや河井がいた集団から少し離れたところに、河井に彼女がいるという話も聞いたことがあって、そしてその名前は「千鶴子」であるという記憶がぼんやりと沸き起こってくる。が、それは蘇ってきた記憶というよりも、この突然届いたメールにボク自身が合理性を見いだすためにつくり出したフィクションかもしれない。
いずれにしろ、河井は「千鶴子」という女が存在したことをあらためて心にとめておきたいのだろう。そうして誰とはなく、河井と「千鶴子」の関係も認めていてほしかったのかもしれない。

なんだか、せつない。



 


■2004/07/28 Wed■  I Want You… 夏の雲 [長年日記]

少し前に見たウィンターボトムの映画『I Want You』、その中で使われていたコステロの"I Want You"、こんなもの夏の真っ昼間にクルマの中で一人で聞くようなもんじゃないな。じゃ、どのようなシチュエーションで聞けばいいのですか。夜に一人で走るクルマの中で流れているというのも、むちゃくちゃにつらいものがあるし、だいたいコステロのバラードは妙にはまってだめです。トム・ウェイツとはまた別に男の琴線をかき乱す声だな。
まごれびゅにも書いたように、映画の中で"I Want You"が使われるシーンに一番がつーんと来たのだけど、そしたらふっとヴェンダースの『パリ,テキサス』の例のシーンに想いがいたって、ナタキン萌えってか、ナタキンを置き換えしちゃって感情移入している自分がいる。『I Want You』にしたって、『パリ,テキサス』にしたって、う〜ん、共通項はアレなんだけど…つらいな、男って生き物は…(クライ…)←一部の人間にだけ通じるギャグ
ヴェンダースって、これしかないんちゃうというくらいの『パリ,テキサス』なんだけど、どんどん想いは進んで行って、映画の初めでトラヴィスが歩いているシーンに移って行って、そうしたら、はっと気がつけば夏真っ盛り。そしてね、夏真っ盛りというとギラギラに照りつける太陽…、じゃなくて澱んだ熱い空気のかたまりであったり…、いやいや、太陽と対になるとすれば、夏の雲、入道雲に、ボク自身の夏の想いは集約されて行ってしまうのだった。
夏の雲を意識してしまったのは、倉橋由美子の『わたしのなかのかれへ』という彼女の最初のエッセイ集にたしか「夏の雲」というエッセイだったか。そして『暗い旅』の主人公の女が処女喪失のシーンだった。それ以降、いくつもいくつも夏の雲を見てきてしまった。ときには見ることができなかった夏の雲もあったりして…。そしてあるときは夏の雲を写した。その夏の雲にどう感情移入してくれたのか、「まごちゃん、あの写真、デスクトップにしたよ」って…。

やっぱり今年も夏の雲に目の中に焼き付いてくる。だけど、その夏の雲への想いは現在につながることもなくセンチメンタルに流されて行く。するとその横でお嬢様が言うのだった。
「まだ夏は始まったばかり」



 


■2004/07/21 Wed■  京都白情 [長年日記]

ちょっと山積みになった本を整理しようと、結局なにも整理できずに元の状態となんら変わらず、ふっと手に取った荒木経惟の『京都白情』に見入ってしまう。
どぉーんと見開きになった鴨川の河原、たぶん明け方か、誰もいない中で、女が男の体にまたがった白い太ももに欲情する。なぜだかわからなく欲情し、いままた欲情し、オナニーしたくてたまらない。いや、その一枚だけではなくてひたすら欲情するのは裸の写真ではなく、形容しがたい女の視線。決して美人でもなく、ただすれ違う視線にとまどいながら、いままさにパンツを脱がんとせんとするM嬢イヴの視線にぶつかったとき屹立。この何も支えるものがないむずむず感は何なのだ。

《京都ホテルの窓から山鉾の巡行を眺めながらちょっとセンチメンタルになった。この部屋からの眺めは新婚旅行の時と同じ眺めだ。》

いまだ見ることのない山鉾巡行を京都ホテルのあの窓から眺めている自分を妄想し、アラーキー以上にセンチメンタルになる。ところで

それは当たり前のことだった。別れた男は罵る。おまえはうそつきだ、俺を騙してばかり、と罵る。そこでどう言い返してやろうと思ったけれど、そんなつまらないことで悩む暇があったら、わたしのようないい女にそんな口をきく男なんか無視しちゃって、甘く耳元で囁いてくれる男をさがそうと思った。わたしはいつだってそうしてきたんだから。バイバイ、それはあんたが言ったんだからね。わたしはあんたにとっては手に余る女だったのさ。だからそんな言葉でしか自分を保つことができないんだね。可哀想な男。わたしから言ってあげるよ、バイバイ。



 


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