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■2004/10/20 Wed■  トカゲとクマ [長年日記]

 けなげにきょうも頑張りゅ。
 もういまの時間(夜11時過ぎ)には台風トカゲも甲府あたりまで行ってしまったようで、大阪はおさまりつつある。もっとも近づいたのが夕方の6時ちょっと前に泉佐野に再上陸したとか。そのあともついさっきまで台風の後ろ側の風の吹き込みでかなり強い風が吹いていた。いま気象庁のサイトを見ると暴風域も消滅したよう。今年はこれで10個目か、上陸したのは。.435…イチローの打率をはるかに上回っている。10月になって、それも下旬になってまでやってくるのってほんとに異常だ。
 大阪に警報が出たのも5回目くらいか。そのうち今度のがいちばん台風らしかった。それでも伊勢湾や第2室戸を知ってるからなぁ。あれに比べれば、このトカゲもたいしたことなかった。などとほざいていていいのか>自分。
 台風がでかいことを期待してるのって、誰にでもあるだろ。正直に言うてみ。さすがにもうずいぶんオトナになった分、あまりそう思わなくなった。が、テレビで強風の中にアナウンサーを立たせて原稿を読ませる意味がどこにある。な、な、すごいだろ、すごいだろと言ってるようにしか見えないね。
 さて今度の台風がやってくるというのを聞いて、最初に思ったのは、クマさん可哀想、だった。今年の夏の暑さで山の木の実の出来が悪くなり、そこへ台風がやってきてその木の実さえも吹き落としていく。落ちた木の実はクマのエサにはならずにネズミの類が異常に繁殖している。食べるものがなくなったクマは食べ物を求めて人里に下りてくる。夏の暑さと台風が今年のクマ出没の大きな原因になってはいるけれど、はたしてそれだけなのか。
 大阪の槇尾山にも現れたってことは、意外とクマは近いところに棲んでいる。仮にクマの領域に立ち入ったとしてもクマはその広い領域の中で人を避けて棲んでいるのだ。実際に京都と福井の県境の峠でクマと遭遇したこともあるが、クマは10メートルほどさきの繁みの中を横に走り抜けただけだった。
 クマにパニックを引き起こさせているのは何なのか、猟銃を手にする前に考えてみるといい。クマはこの台風の中、繁みの下で身を潜めて台風が行き過ぎるのをじっと耐えている。



■2004/10/19 Tue■  アクセスアップの秘訣 w [長年日記]

 うらまごのほうは自分自身の備忘録なんだけど、世の中には人が何食ってるか毎日チェックされてる御仁もいらっしゃるようでw ほっといて下さい。毎日、ロクなもの食ってません。とくにお昼は週の半分はいも膳とか、外食が多いように思われて、独身かと勘違いしてた人もおらっしゃる。ごめんねぇ〜。もうとうに銀婚式は済んでます。なぁ〜んもお祝いなどしなかったが。
 あのね、ほら、あれいつだった? いも膳でかきフライ食った日と違うた…なんてわりと食ったもんで覚えてるもんでしょ。それに、もうそろそろ、あら、かなえさん、わたしごはん食べましたかいなぁーってお歳ですし(蹴
 それに比べれば、こっちのまご日記は多少とも人様にも読んでいただきたいなんて気持ちもある。だからちっとは気の利いたことも書かなければと思う。そう思うとアクセス数も気になるところなのだが、今月に入って、tDiaryの絶不調が続いて、いまだにアップするときにもエラーが出たりするのよ。しかも絶不調のおかげで、アンテナでは拾ってくれなくなってしまってるし、ひょっとするとロボットもやってきてないかも知れない。チッ、せっかくエロ語をいっぱい撒き餌にしたのに。更新が頻繁に行われるほど検索エンジンのスコアが上がるらしいね。いまさらよそのサーバーに日記を移転する気にもなれない。  
    《わたしの経験では、ある程度効果があるのは、単純に、毎日更新する、ということだけどね。継続は力なり。》
 これがもっとも正攻法です。アンテナ系が多くできて、テキ庵経由で来るというのは減ったけれど、ボク自身がこのまご日記サボってたほうが大きい。現に9月からちょっとマジに更新すると、日に日に増えてきてたのに、先週などは遊び過ぎでほっといたら途端に減ってしまった。誰のために書いてるわけではないが、公開して書くからには少しでもアクセスアップしてくれたらうれしい。あ、この際だから、書いておくと、右側の写真ね、クリックしたらでかくなるよ。なかば写真日記の様相もあるんでつ。
 と、きょうは怜香さんの小判鮫のごとくに日記をまとめてみました。



■2004/10/18 Mon■  リーラン=李礼仙と寝た夢 [長年日記]

 きのう唐組の物販で『ジャパン・アヴァンギャルド』という60年代後半から70年代の、いわゆるアングラ演劇と呼ばれた芝居のポスター集を買った。状況劇場、天井桟敷、68/71(黒テント)といったところを中心に集められているのだが、それらのポスターに関わっている人間のすごいこと。書き出したらきりがないので書かない。とにかくすごい。

 昔から言われてることに演劇は一回性だと。そのことは了解してるから、あまり舞台を撮ったビデオを観ようという気にはなれない。第一、視点をビデオを撮った人に押し付けられるのがイヤだ。あ、話が逸れるから元に戻す。唐組・状況劇場についてです。一回性ということで、悔しいなぁと思うのは、四谷シモンの芝居を観てないこと。それを言い出すときりがない。いま唐組を観に来る若い子たちは李麗仙も観たことないんだし。観たくても観れない。それを言い出すと、いまとなっては唐十郎を観ることはできても、昭和元禄美少年と言われたころの唐十郎は観たくても観れない。そのことなんだけど、着実に舞台の上の役者はいくら「特権的肉体」を持っていようが確実に老いていく。ここ数年、ふっくらとした丸顔だった唐の顔が痩せてくるのを見ると、しみじみそう思ってしまう。もちろんボク自身も、だけれど。
 そうして、いくら写真として残されようが、「そうしてあんたは俺からキスをしぼりとっていくがいい」とソフトを目深にかぶって現れた春日野=李礼仙は記憶のかなたにおぼろげになるだけ。が、それはそれでいい。
 それに対して映画は辛い。同じ芝居であっても、やり直しがきく。そしてまた編集によってどうとでも誤魔化してしまえる。辛いというのはそんなことではない。ほんとうに辛いのは、スクリーンに映し出された原節子はいつまでも原節子だ。本人がどう変ろうが、『東京物語』の原節子なのだということ。記憶の彼方でおぼろに微笑んでくれるのでなく、スクリーンの上でくっきりと微笑みかけてくる。何度も、何度も。
 が、それもそれでいい。そのことを認めた上にいまが存在するんだと、この頃、つくづく思う。

 目の前のスクリーンでくっきり映し出された目よりも、おぼろな彼方に過ぎ去った目にうなされて、いまも射精しそうになることだってある。
 答えになってますか。




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