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■2004/10/17 Sun■  駅前再開発とは? 空疎な町 [長年日記]

 滋賀県の栗東まで唐組の芝居『眠りオルゴール』を観に行った。
 いつもの調子で整理券もらったら、どこか町を散歩して写真しよと思うてたのだが、駅前再開発が完ぺきに進んだ成果なのか、どうしようもなくつまらない。ありきたりの駅前ロータリーになって、JRの改札口からずーっと2階部分に歩道が続く。その光景たるや、例えば東京近辺で言うと厚木や立川ならいざ知らず、栗東ではあまりに寒々しい。このような一地方都市がどこもかも同じ光景にしか見えなくなってしまうのがいたたまれない。はたして、ここに住む人にとって誇れることなのか。利便性ばかりを追及するあまりとても空疎に見える。演劇のかきわり、またはUSJなどにあるはりぼての町並みにしか見えない。唐組の芝居の舞台のほうがどれだけリアリティーがあることか。
 開演までに十分すぎる時間があったので、腹ごしらえでもしておこうと歩いてみた。アルプラザのほうはさすがに1階に大きなスーパーがあるのでいくらか人はいるけれど、その向かいのウィングプラザなどはなかばゴーストタウンのようだった。この一角は確かに整備されていて随所にベンチなどあるにはあるのだが、きれいなだけで、どことなく寒々しい。
 この一角の周辺は少し前まではたぶん田畑だったのだろうか、新興住宅地が建ち並び始めている。そしてさきらのすぐ前には超高層マンションまでが建っている。はたして超が付くくらいの高層マンションが必要なのか。そりゃそうだ、京都駅まで30分。十分に京都への通勤圏内だから、これから先も京都のベッドタウン化していくのだろう。だから町としてもそれなりの身支度が必要なのかもしれない。だが、その町特有のにおいも感じられない町にはたして魅力はあるのだろうか。さきらとは駅をはさんで反対側は旧中山道も通っているので、もう少しはましなんだろうけれど、30分ほど歩いてみて疲れた。時間まで写真してようという目論見はとうに消えうせ、紅テントの見えるベンチで本を読んで時間を過ごした。
 都市開発のお決まりの箱モノ=栗東芸術文化会館さきら。きれいなことはきれいだけど(これまでの唐組のトイレでここがいちばんきれいだったw)、この芸術文化会館と名付けられたホールの維持にどれほど金がかかっているのか心配になる。キャパ1000の大ホールがありながら、その会館前の広場に現れた紅テントはさながらこの都市開発のアンチテーゼのように見える。それでもなお、唐組お約束のラストの背景落とし(注)では、栗東の町のつくられた白々としたものが見えてしまった。

(注) 唐組の芝居ではラストシーンはお決まりで、舞台の背景を倒してしまって、町の景色をとりこんでしまう。その町の景色の中に主人公は去っていく。




■2004/10/16 Sat■  勝手に景色 [長年日記]

 今週1週間はいわゆる●●週間で比較的ヒマだったわりに、テニスやってるだけで、これといってなんもし。きょう土曜日も1日遊んでちょっと弛緩状態。
 メールの返事も書かなければと思いつつ、気が緩んでいるせいで気合いの入ったメールも書けない、もちろんこのまご日記も。本もさっぱり読んでないしねぇー、だらだらとキヌガサを弄んでただけ。しゃあないね、こんなときもある。
 そうそう、きのうは『勝手にしやがれ』を観たのだった。思うところ、いっぱいあるんだけれど、あ、『勝手にしやがれ』はまごれびゅにも書いてなかったんだ。『勝手にしやがれ』そのものにもいろいろあるし、映画ということについてもいろいろ思うところありなんだが、いま書く元気がないや。元気がないというより遊び過ぎで疲れて、その気になれない、眠いのだ。

 きょうは箱旦那に大川を毛馬から天神橋の間をボートに乗せてもらった。もちろんエンジン付きだから夕暮れ迫る水面をかっ飛ばして行く。水面近くからの景色はカヌーで知っているものの、スピードが違う。それにカヌーで大阪の街を水面から見たことなどない。自転車とバイクとどっちがいいというのと同じように、どっちがどうと言えない。でも風景でない自分の景色を見いだすにはやっぱりカヌーなのかもしれない。水上バスなんてのも乗ったことあるけれど、あれでは自分の景色を見つけられるはずもなかった。もっとも大川をカヌーで下ろうという気にはなれませんけどね。




■2004/10/14 Thu■  社交的電網 [長年日記]

 ここ1週間ほどキヌガサで遊んでる。いやぁー最初わけがわからんかったけれど、ああいうのをソーシャル・ネットワークというんだねぇ。と、もっともソーシャル・ネットワークって何やねんと聞かれても、あんなんやとしか答えられませんが...
 ソーシャルネットワークって、はじめ聞いたときは「ソシアル」だと思った。うーん、社交ダンスかってね。つぎ聞いたときは「ソシアル」じゃなくて「ソーシャル」だと。じゃあ、「ソーシャル」ってなんなんだ?と調べたら、なんのことはない「ソシアル」をより英語らしく発音・表記しただけじゃんか。直訳したら「社交的電網」
 要は人脈なんですわ。考えようによっては出会い系と言えなくもないけれど、あれは目的はっきりしてるからねぇ(^_^;) そういうわけではなくて、なんだかんだって「出会い」というのが重要になってきてるんじゃないか。現実の社会の中で孤立してしまっていることの裏返しなのか。

 つらつらと自分のネットでの遍歴をたどってみると、ニフがあって、それからインターネットに移ってからはBBSで、ICQの時代で、あ、そうそう、ICQってのは《I seek you》だというのをついこないだアイポンに聞いたんだった。それくらい気がつけよ>自分 そのICQもいまはなぜか衰退してしまってmesseに移行してしまってんだね。いっときはずらーーっとICQに並んでいて、ひっきりなしにカッコーの鳴声がしたのだが。それからボクはHotLineに行ってしまったのだった。ちょっとBBSとかで拡がりすぎた反動なのか、HotLineのある程度、閉じられた世界が心地よかった。逆に閉じられているから、あまり拡がることもなくて、すぐにしぼんでしまったけどね。
 ここ何年かは、ネット上での不特定なつながりなんてのは必要と感じなくなって、ただ一方的に自分から発信するだけのテキスト(日記)主体の状態だった気がする。同時に特定のつながりが煩わしくもあって、BBSやMLといった相変わらずの世界にいまひとつ面白みも感じなかった。それはそれでよかったけれど、ここに来て、ブログだの、このソーシャルネットワークという、基本的にはなんら変りがないんだろうけれど、それぞれのBBSやテキスト(日記)などを連結してしまう機能に興味が湧いてきたってところかな。
 ま、この先、どうなるんや、ようわからんけれど、その時代、時代によってネット上で出会った人がやっぱりまわりにいるしね、何か起っていきそうな気がしないでもない。




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