とうとうこのまご日記は8月から書けないで2006年は終わってしまう。実際にもうすでに2007年になってしまって、カウントダウンも済ませて、ひとりマックの前に座って書いてます。 この1年をまとめないとなとか思うけれど、まとめたってねぇ^_^; どうなるってもんじゃなし。簡単にいえば、半年は「別れ」で、あとの半年は「出発」といえばいいんでしょう。「別れ」といってもネガティブなものでなくて、そのあとに来るべき出発のための別れで、親父の死もその中にはじめからそう仕組まれてたんじゃないかと思ってる。この1年間に、何がどうなって、何をしたんだとか、それらはうらまごに譲っておこう。きっとボクが死ぬときに、この2006年という年はボクにとってすごい1年だったんだなあと思うんだろうな。
そして思い切り走り抜いたこの一年をささえてくれたのは、キャサリンであり娘たちであり、母親であり、そして父親。最期になった親父との会話は忘れることはない。大丈夫だよ。そして、ボクのまわりにいる人たちだった。ずっと見続けてくれた人たち、いろいろ教えてくれた人たち、すごいタイミングで声をかけてくれた人たち(それはなぜかやっぱりあの女神様たちなんだけど^_^;)。 だから、すなおに
しかしこれからの何年かは、この一年間とおなじくらい、ひょっとするとそれ以上の年になるかもしれない、いや、そうならないとアカンのだと思う。
そう、その流れの中で55歳になりましたよ。誕生日や年齢はひとつの区切りだけれど、ガキんちょやくだらないヤツほど、いくつになったらもうダメだとかほざいている。そんなのがまわりにいたってロクでもないやね。ボクのまわりには 「50歳になって、わたし、いまが青春だよ」と言った女や、 「60歳になってまた新たに始めた父親、あの人はとうてい越えられそうにない。でもいつかはその父も越える。」って話してくれた女、をっとどっちも女だよ、ほんと女のほうがたくましいね。少なくともボクはそいう人たちに囲まれている。あ、たしかにくだらんのもおることはおるけど、そういうやつの言うことは聞いてへんもんなぁwで、上に書いた数年前に始まった大きなうねりというのはこのこと。数年前のたった二日、三日の間に立て続けに聞いたんだよ。一種、運命的な出会いというのも変だしね、そういうときは、女神がやってきて耳打ちしたんだろうね。その女神様の、その二人だけぢゃないのな、ほかにも天照大神のような女神様までいるし、それにボクのまわりには女ばかりじゃないんだけれど、とにかく女神様だよ。そういう女神様たちだらけ。そんな星の下に生まれてきたんだとつくづく思う。その女神様の耳打ち、ウィスパーが引鉄になって、いま、自分の生活じゃなしにね、自分の人生を楽しんでいる自分に出会っている。それって我ながらなんて幸せなんだろと思う。 何が始まるか。もうちょっとみんなには黙ってましょかw でもこんなときにこんなボクに関われるキミもラッキーなんだよ。
区役所行ったついでに、かつての場所でも撮り歩こうと思ったんだが、そうそう写真にできるもんじゃなくて、ほんと別に個人的以外になにもない場所って撮るの難しいや。5月に東京行ったときも、いっぺん豪徳寺歩いてみたれと、でもよく豪徳寺の裏通りなんか写真にできるな。あ、知らない人のために解説しておくと、豪徳寺ってのは荒木経惟の家があるとこな。そして写真集にも何枚も豪徳寺の裏通りが収められている。私写真ね。
もうすぐ話が横道にそれてしまう。得意技ね、実際に歩いてるときも。それで区役所の近くっていうと、ボクの母校があるわけですね。あそこはクルマでよく通り抜けるものの、歩いて行ったことない。そのすぐ近くを幾度も歩いてはいるのに、何故か、避けてるように行ったことがないというのも不思議。 ここ10年ほどの間に府立高校はほとんど建て替えられて、そう、正門の位置もまるっきり変ってしまってた。そして正門から、こっそり入ってったんだけど、あは、入るのに許可というか面通しが必要なのは小学校か。何のチェックもなくすっと入れたんだけど、まるっきり変ってしまっていて、これと言った感慨が浮かぶわけもなく、だからシャッター切ろうなどという気にもさらさらなれず、さっさと退散。同窓会云々でなんじゃかんじゃってガラでもないにしろ、もう少しセンチメンタルな気分にしてくれよ。 母校の周辺だから土地勘は十分にあるわけだけど、そりゃ30数年も経てばいろんなものが変ってしまってる。歩いてるうちに、一時つきあってた女の家の近くに来てたので、どこだったか探してみたけどわからんのな。彼女とは特にどうこうということもないうちに、去る者日々に疎しとなってしまったから、これもその家が見つからなかったからといって感慨はなし。ま、こっちのほうが少しだけセンチメンタルにはなったか。くそっ、あんときやっときゃよかったとか(^◇^;)
結局、2時間ほどクソ炎天下の大阪の町を歩き回って、何もなしかというと、うはは、ひょっとして何かが始まるかもしれないのだ。だってもう8月だもんね。