話はけろっと変わって、きのう図書館のギャラリーのようなところで、《埋もれた西区の川と橋》なる展覧会?が催されていた。そうしてきょうその一部を歩いていると、古地図なんぞが道に設置されていた。こういうのに興味を示すようになるのもたぶんに爺臭くなった証なんだけれど、それはそれでおもしろいのだよ。筋違橋なんて、橋のあったままにななめに道路がついていたりする。そんな古地図を見ていると、御堂筋にしたって、かなり後になってばしっと通されたってのがわかる。それ以上に陸運より水運のほうがより占めていたというのがよくわかる。なるほどなって。 して、紙屋治兵衛の家があったとされる天神橋から曽根崎新地までまっすぐ道一本で通えた。そうすると、心中のときに、治兵衛が新地まで小春を迎えに行って、網島までの道行はやっぱり自分の家は避けて通ったんだろうなと、下世話なことを考えてみた。