路地裏猫日誌にも書かれているように、浄閑寺は吉原遊女の投込み寺で、ここには吉原総霊塔というその遊女の慰霊碑がある。その慰霊碑の向いに永井荷風の文学碑もある。そしてこの浄閑寺の正面に荒木経惟のにんべん屋下駄店があった。路地裏猫日誌によると、荒木経惟の名付け親はなんと浄閑寺の住職だったそうで、道理で経惟なんて抹香臭い名前だったわけだ。そんなことはたぶん荒木経惟自身がどこかに書いてんだろうけど、読んでない。ちなみに経惟なんて読めません。ボクはいまだに「ケイツイ」って読んでるし、中平卓馬はなんと「きょうかたびら」と読んでいた。 さて、去年あたりから、ボクはカメラ持って、旧赤線跡を歩き回っていて、去年の春に東京に行ったときは、吉原、玉ノ井、鳩の街、小岩井と歩いてた。吉原に行ったときは、ついでだからにんべん屋下駄店のあった跡も探したれなんて、三輪にまで車を走らせていたのに、ちゃんと調べてなかったから、どこかわからず。浄閑寺の存在も知ってはいたけど、駐車できる場所を探して走ってるうちに離れてしまった。そのかわり樋口一葉博物館に行った。 今年はアラーキーの写真を仔細に見て、あら、浄閑寺の真ん前じゃないのってことがわかっていたから、まっすぐ地下鉄の何線だかで三輪まで行って、さっさと見つけた。にんべん屋下駄店はもうとっくになくなって、ただの駐車場になっていて、近くの商店のトラックが駐まっていただけ。別にボクにとってなんてこともなかった。そりゃそうだな、荒木経惟にとっては私写真だけど、ボクにはそこまでの思い入れなんかないんだから。あ〜、あの写真はこのアングルだなと想像してにやついてただけ。 とは言っても、今年のテーマは唐十郎・荒木経惟だったから、それはそれでよかったの。唐十郎の下谷万年町も行ったし、見事にはずされたけどな。当たり前。だからある意味で、その時撮った写真はボクにとっての私写真となりうるんだよね。それよりも
→浄閑寺と永井荷風