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■2002/09/05 Thu■  年寄りの鼻水 [長年日記]

Monica
Miss Thang
 最近どうも、年食ったとか気が滅入る話ばかりなんだが、ボケ老人に「おじいちゃん、ボケてきたねぇ」とか言うのはよくないそうだ。年寄りはボケてきて当然といえば当然なんだけれど、それは誰もが認めていることで、だから余計にボケてきたというのは禁物だという。なぜなら、年寄りに「ボケてきたねぇ」と言うと、そのボケ行動を年のせいにしてしまって、つまり年をとってしまったという事実でボケを合理化してしまう。そうすると、ボケがより進行してしまうということになる。
 同じことがボケということだけでなく、体力や運動機能についてもいえることで、よく言うのに「もうエエ年やねんから、エエ加減おとなしいしときなはれ」 と言われると、マイナスのフィードバックされてしまう。現にまわりにそういうのがおるなぁ。ボクに「年、考えや」と、言いながら、それはその本人自身にもフィードバックさせていて、自分は年くってそろそろ身体が言うこときかんようになってきてるのだと言い聞かせてたんだろうな。その彼は、去年あたりからほとんど動かんようになって、今年になって、手術はするし、それが治ったと思ったら、また聞いたこともないような病気に罹ってしまってる。ボクより3つか4つ上なだけなのに。病は気からとも言うな。 
 ボクにそういうことを言うたところで聞くわけない、というのは自分がよく知ってる。じっとなどしてられない。この2日ほどは例の石のことでさすがにちょっとこたえはした。が、それも喉元過ぎればで、きょうもきょうで、予定されてた仕事が急になくなったら、ぱこーんぱこーんとテニス。「をい、石、大丈夫なんか」という心配などヨソに、きょうは結構サービス決まってたなぁ。
 う〜ん、なんか艶っぽい話はないか(爆汁)

■2002/09/03 Tue■  腎石、胆石、歯石 [長年日記]

Bob Dylan
Planet Waves
 「9月になったら」という"ポピュラーソング"があったよなぁ。9月になったらどうやいうねん?って。よく考えりゃアメリカは4月じゃなしに9月から始まるのだから、ただそういうことなのだ。だから日本じゃまだクソ暑い日々が続くのになんで夏休みもっとないのだぁぁ、とボヤいても始まらんね。
 で、9月になって早々に考えてもないことが起こった。どうやら尿管結石の疑いがあるみたい。別に詳しい検査をしなければならんほどのこともなさそうで、とりあえずは薬でちらしてしまえそうなんだけれど。
 これはヤバイなぁというよりもとうとう来たかという気がしないでもない。いつまでもガキみたいなことばかりやってるから、自分で若い若いと思ってるけど、エエ加減そのような病気のひとつふたつ患っても不思議じゃないのだ。むしろこれまでそのようなことが起こらなかったことの方がラッキーと言える。
 父親が、腎石、胆石、歯石と石ならなんでも作ってみせるという体質だからそれを受け継いでいう可能性は高い。それはボクが大学生で夏休みに帰省中のこと、真夜中にごそごそ音がする。何かと思って起きて行ってみると、父親が顔をひきつらせて痛みをこらえ、母親とどうしようと思案しているところだった。すぐに車を運転してやって、病院に連れていき、モルヒネだか痛み止めを注射してもらって、そのときは何とかなった。数日後、父親がエエもん見せたろかと、目の前に出したのは、金魚をすくうための小さな網にのった、金平糖のような飴色の石。ころっと出てくるのを金魚の網で受けたらしい。何をアホなことやっとんねんと思った。それが父親が今のボクの年のころのこと。そのあとも胆石がつまって黄疸で入院しとったこともある。どれもそう大事にならなくていままだ元気で、アホな写真撮ってきたりしとるけれど。
 そう考えたら、これから先、何年間か、ボクも石に悩まされる運命なのか。人が痛風になったと、その彼の足をふぅふぅと吹いてる場合じゃないね(笑)

■2002/08/30 Fri■  ご冥福を [長年日記]

Curtis Mayfield
Roots
 お葬式とかお通夜とか義理で参列することもあるのです。そのときに義理を通すべき当人が亡くなったのと、その当人の近親が亡くなったときではどうかと。
 つまり当人が亡くなったとき、その当人には参列したかどうかわからないし、その当人の配偶者や縁者などには面識がないのであまり参列をしても意味がないというわけ。逆に当人の縁故者が亡くなったとき、その当人とは面識があるので、当人を慰めてやれると、むしろ後者の方が意味があるだろうという。
 そんなもん、ボクに言わせれば、どっちも同じや。義理は義理。義理だけで参列するわけだから、ボクが仮にその当人になったとしても義理で参列してくれた人には義理以上のものなど感じないね。だから義理で参列するのはできるだけ控えてしまう、できるかぎり冠婚葬祭は参列しないようにしてる。それでも村二分のうちの一分なのである程度は参列するようにはしてるけれど。。。。

 さて、ボクがまだ30代で、今だにキカン坊なんだけど、ほんとキカン坊だった頃のこと、きのう亡くなったK先生はちょうどボクの父と同じ年でもあり、まるで父親に甘えるようにむちゃなことを言っては我が道を突っ走ってはK先生を困らせていた。K先生も反対にボクを息子のように可愛がってくれて、時としてオーバーランしてしまうのを制止するのでなく、ボクのやりたいようにやらせてくれて、黙って後始末だけしてくれていた。そんなのがボクだけではなくて「困った息子さん」は何人もいた。だからこそ、なのだという想いは強い。
「困った息子さん」が何人もいたからこそやって来れたという自負がある。そしてその「困った息子さんたち」にやりたいようにやらせてくれたことがすごくうれしかったし、感謝している。
 きっちりその「困った息子さんたち」がそろってきょうのお通夜に駆けつけて、口をそろえて「あのときはほんま困らせたよなぁ」と。その「困った息子さんたち」もみな一様に年を食った。
 いまボクの周りの30代の人たちには、ボクらが持つことができたK先生のような「父親」となりうる人物がいない。ときに暴走もすることもあるだろうけれど、暴走されては困るとでも言わんばかりの逃げ腰な連中ばかり。それどころか恫喝までしかねない。そのことにとても気の毒な気がする。
 もちろんボクのその当時だって、ボクに恫喝をかけてきたのもいる。が、それでも我が道を突っ走ることができたのはK先生という「父親」の存在があったからだとしみじみ思ってしまう。
 最近、噂でもう歩くことができないでずっと家にいるという話を伝え聞いていたのに、結局一度たりと見舞いに行くこともせずに最期の最期まで「困った息子」だったなと、祭壇の先生の写真を見て思わず目頭が熱くなってしまってた。

 ありがとうございました。ご冥福を


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