朝7時前に目がさめたら、二人はもぐにつきっきりで、身体を撫でてやっている。ボクに目で、もうダメだ、ダメだったと答えていた。ごく弱く、たまにおなかのあたりがぴくっと動くようだけれど、もうすでに息もしなくなっていた。ずっと吐いてたのかな口を開けたまま逝ったようで、死後硬直が始まっていたのか、口が閉じなくなってしまってた。苦しまないで、静かに寝た状態のまま、逝ってしまったのがせめてもの救いかもしれない。
もぐは考えてみれば、もうええ加減おっちゃんだったんだ。でも一番甘えただったから、いつまでも子猫のように思ってた。 いつも頭をすりつけてきて、ほとんどごはんちょうだいのおねだりだったんだけど(笑) 猫エイズで歯抜けだったから、いつも顔はよだれだらけで、そんな頭をすりつけられたら、べちょべちょにされるので逃げまわってた。 ごはんやると、一番先にがっついて、他の子のために別の入れ物に入れてやると、自分が食べてたのはほっといて、そっちに頭をつっこんできた。 よだれだらけだから、いっつもきちゃない顔しててさ、とくにこの1年ほどは自分で体なめまわすから毛もかたまって汚い、汚い。 でも可愛かったな、よく遊んでほしがった。だからいつまでも子猫て感じだったのかな。うちでは「ミエ」っていうんだけど、猫のおもちゃが壊れてプラスチックの棒だけ残ったのに、金色のひもをくくりつけたのが好きで、 「ミエで遊んで」って自分でくわえてもってきた。 おとといの夜、なんでだろ、珍しくボクが寝てる枕の上で寝てたよ。つまりボクの頭の横で寝てた。もうそのときからやばかったんだね。 ほんと性格のいい子が先に逝っちゃうよ。このごろは新しく来たまめちゃんやミシマ君とばかり遊んで、もぐとあんまり遊んでやらなかったなぁ。もっとミエで遊んでやればよかった。
きょうもアカ組事務所に遊びに行った帰りに、飛田のロータリー、このロータリーというのももうすでになくなって、阪堺線の踏切と連動の信号がついてしまって最悪よ。ちなみにこの踏切、『仁義なき闘い』でどこぞの親分が射殺されるシーンで登場。この踏切で現実にヤクザの抗争事件があってもおかしくない場所にある。あら?また話が脱線してるな。だいたい、話がストレートに進まないのは爺いの話の特徴でありますが、その踏切のすぐのところに「月光仮面」という名の中華屋があったのだが、これ、前から写そうと思ってたんだよ。中華屋に「月光仮面」というネーミングもたいがいなんだけど、そのようなVOW的、看板屋的興味以上になんともいえない雰囲気が漂っていた。ところがきょう通ったら、きれいに改装されて、同じく中華屋でありながら違う名前に変わってしまっていた。惜しいことしたなぁ。なくなってしまうと、なんとなく口惜しい。いつでも写せるとか思ってるのがいかんのよな。
きょうのうらまごにも書いた松本コウシさんという写真家のサイトを見ていると、
一見すると、旧き時代のものが壊れていく寂寞な感情が漂いそうだが、実際はひどく殺伐としたものだった。住民は喜んで「あべのベルタ」へと移り住んでいったし、街が壊されていくのを惜しむ人がいるようにも思えなかった。
壊れていく、壊されていく、だから撮っておきたいじゃなく、なんて説明すればいいんだろ。とにかく衝動的にシャッターを押させるだけの欲望のようなものを感じる。だけれど、その瞬間ののちに非常な粉砕機が待っているのも現実なのだ。