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■2004/08/10 Tue■  ミュージッシャンの死 [長年日記]

人が死ぬのは、こればっかりはどうしようもない。つい最近ではアンリ・カルティエ・ブレッソンが、半年も前だけど、ヘルムート・ニュートンが死んだ。
写真家や作家が死んだところで、確かにもう新しい作品に触れることができないという理由で惜しいという気がする。ブレッソンの場合はもう撮ってなかっただろうから、そんな気も起らなかったのだが。ところがミュージッシャンや役者が死んでしまうとどこか辛い。役者といっても映画俳優なんてのは写真家や作家と同じにただ惜しいってだけなんだが。役者て言ってパッと頭に浮かぶのは唐十郎くらいか-_-; 唐さんはまだまだ元気だけど。それで、その違いはミュージッシャンや役者は生身で自分の前に現れるから、キザった言い方をすると、もう彼らと空間を共有することができなくなったからってことでしょ。
一番、ショッキングだったのは、ジョン・レノン。レノンなんてはるか雲の上の人であっただろうけれど、ミックにしたってディランにしたって生きているからこそボクの目の前に現れた。そのことは決して忘れない。だからいつの日にか、レノンが殺されてさえいなければ、何がなんでもレノンは一目見たかった。
ジミ・ヘンもジャニスもそう。とくにジャニスの場合はジミ・ヘンからたったの2週間だったから、なんでなん?どいつもこいつもどんどん消えて逝きやがって、とジャニスの死でジミ・ヘンのショックが増幅されたのだった。そして時間の流れからすると三島由紀夫。あまりの凄惨な死であっただけに。三島のこと書くと長くなるからおいとく。ミュージッシャンでいくと、ジャニスから半年でジム・モリソンかぁ。もうわけわかんねぇ〜って、どいつもこいつもクスリ漬けになりやがって。くぅ〜、その筋ではエディ・ヘイゼル。エディの場合はP-FUNKの脈絡だから、世代的なショックなんてのはないんですけど。世代的なショックっていうと、シド・ビシャスですか。それと尾崎。でもここらはボクの世代じゃないからショックなんて感じなかった。
マービン、ロジャー、2パック、ビギーの4人。4人とも殺されたから。マービンは伝わってくるのに時間がかかったから、自分的にはそんなショックってわけでもなかった。ブラックの間では「なんでマービンなんだ?」とかなりのショッキングなニュースだったと詠美が書いてた。ボク自身でいうとロジャー。殺ったのが兄貴だったし、その兄貴も直後に自殺してしまうなんてひどい話だったもん。それに3度も間近でライブ見ていて、そんなふうに間近に接していたのが突然殺されたと聞くとつらい。

結局、簡単に言うと、レノンもジミ・ヘンもジャニスもモリソンも、そしてリック・ジェームスも見たかったなぁ、もう見れないんだなぁって心残りってわけ。と、それだけのことだ。だけど、いまここにあげたミュージッシャンはそれだけで済まないものをボクに残してってくれたのだ。

ついでの話。さすがレノンというべきか、リック・ジェームスの場合は彼の死からボクのアンテナにかかるまで2日以上かかったのに、レノンはたった数時間だった。昼にFMをたれ流してたら、突然ジョッキーがしゃべりだした。あれ、ジョン・レノンがどうしたとか言うてへんかったと、それからテレビをかけてみたら、しばらくして大騒ぎになってた。そして夜には、ロックなんてというような奴までテレビに出てきて、ビートルズだけはちがったなどとほざきやがって、じゃっかましわいとブチッ。そうして『ダブル・ファンタジー』を回してたら、レノンのたたりか、プレーヤーの回転が急に速くなったり遅くなったりおかしくなった。ちなみにうちの『ダブル・ファンタジー』はほんとにたたられていて、これに限ってプレーヤーがおかしくなったのだった。結局、それはプレーヤーを買い替えるまで続いたのだった。




■2004/08/09 Mon■  追悼 リック・ジェームス [長年日記]

8月6日 9:20AM
 リック・ジェームスが逝ってしまった。

せめてもの救いはロジャーや2パックのような悲惨な死に様でなく、既往症による穏やかな死だったことか。それでも介護士が死んでいるのを発見したという。介護士の世話にならなければならないほどの状態だったのか。クラックやって暴行事件で逮捕されてから、リックがひどく肥りだしたのが気になっていた。数年前にはついに日本にもやってくると言われたのに、クスリの前科のせいか、日本に入国できないことが判明、キャンセルになった。最近のリックの写真はかつてのSuperFreakの見るかげもなくぶくぶく肥って、体調があまり良くはないとうかがわせるものだった。それがクスリの後遺症なのか、キックオフするための反動だったのか。
夜になってキャサリンと二人で "Ebony Eyes" を聞いていると目がうるんでくる。キャサリンが「やっぱりアメリカにまで見に行けばよかった。」と言う。その昔、リック・ジェームスが日本に来たら、リックの部屋でお泊まりしてもいいぞ、なんて冗談言ってた。それくらいに、ボク以上に、何倍も何倍も、リック・ジェームス・フリークの彼女だから、行かせてやったらよかったなぁって、でもビヨンセならいざ知らず、リック・ジェームスならボクも絶対に行きたかった。キャサリン一人で行かせるわけにいかないか(笑)
リックのオフィシャルにはこの前までライブの日程などもアップされていたのに、いまは、お葬式の日程がアップされている。そして
《 LEGENDARY MOTOWN ARTIST》・・・伝説のモータウン・アーティスト
リックのレーベルがゴールディ(モータウン)であったことが、幸だったのか不幸だったのか。まさに「伝説としてのモータウン」にあって、唯一無二のファンカーだったよ。「伝説のモータウン」が「看板としてだけのモータウン」になりはて、時代の流れがリックを埋もれさせ、押し流し、溺れさせたという気がしてならない。それでもリックには自分のファンクが絶対だという自信があったんだね。そしてリックがそう言うのなら納得できた。あの逆向きの流れの中でファンクを生きてきたんだから。きっと不器用だったんだね。オヤジ(クリントン)のようにしばし逼塞してればよかったのに。もがけばもがくほどに、流れから取り残されて行った。されどファンクだったんだね。

リック・・・ファンクをいっぱいありがとう。安らかに。














■2004/08/08 Sun■  ガーリー [長年日記]

ガーリー御三家というのは、長島有里枝, Hiromix, 蜷川実花。その蜷川実花の写真展《over the rainbow》を見に行った。あのてかてかの極彩色、出したくても出せないなぁ。
《男性カメラマンはプロ、アマチュアを問わず、「あの色は出そうと思えば簡単に出来る」と言って、蜷川の仕事を貶したいひとが多いようだが》(真・写真時評)、出そうという発想ができないのが男でしょ。ライカだのニコンだのもってピカピカに磨きかけて、そういうカメラを持つことで満足してる。ボクはってうと、ライカなんて猫に小判。コンタックスのT VSを手に入れても、かのチタンボディー早くも擦り傷だらけ。こないだ修理に出したCannonのデジカメだって、Cannonに持ち込んだら、「これだけ傷んでいたら...」と言われる始末。モノを大事にしないと言うんじゃなくて、ご丁寧にカメラバックに入れて歩いてたら撮れるものも撮れないから、こんなになった。あ、本題からずれてきた。
お決まりのベスト着たおっさん写真家のことなんてどうでもいいんです。赤瀬川先生もライカ同盟だなんて言うてるようじゃな。原平先生がライカで写した猫の写真、見たことあるけど、そりゃあ、ライカですもの、くっきりすっきり。ををーっと思いはしたけど、それっきり。あ、だから本題からずれてんだって。

うらまごにも書いたのだが、この蜷川実花の写真展にやってくるのが、ほとんどが20代の女の子。行ったときがたまたまそうだったのかもしれないのだが、いや、たまたまじゃないだろう、おじさんなんてボクひとり。これってね、きっと世の男どもは、あの写真をバカにしてるのだろう。自分の範疇に収めきることができない、あるいははなからシャットダウンしているのだ。あたかもセックスにおいて、いわゆる変態と言われてきたものを拒絶するのと同様に。開けてみれば、花もあれば実もあるのにね。
ラストのコーナー(写真上)はいったい何だろう。この写真展の基調となる真っ赤、展示されている写真の壁も真っ赤、に塗りこめられた一角で、女の子たちがノートらしきものを書き込んだり、読んでいたりしている。そして壁には何だか額がかけられている。そのスペースは靴を脱いで入って行かねばならず、さすがにボクといえど踏み込んで行けなかった。向こうから拒絶してくるものを感じてしまったのだ。
会場のHEPを出た後、ぶらぶらと茶屋町を歩きながら、テアトル梅田にたどりつく。『dot the i』という映画をやっていたのでふっと入ってしまう。《2人の男、1人の女。・・・もうひとつの視点》《狂い続ける愛の結末》と謳うポスターを見て、ふつう50過ぎの男が一人では入らない映画だな。案の定、10人ほどの観客のうち、男はボク以外に1人だけ(その男は彼女と)。2人の男と、8人の女。・・・
《狂い続ける愛の結末》というコピーで、蜷川実花と同様に、はなからシャットダウンしてしまってんのか。考えてみれば、きょう一日、目の前を通りすぎた人間の70%は女だ。いったい男たちはどこに消えたのだ。家の中でパンツいっちょでオナニーしてるにちがいない。これほど女たちが飛び跳ねているというのに、ライカを磨いているだけなのか。
《狂い続ける愛の結末》は、女は怖いだったさ。



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