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■2004/09/27 Mon■  はいねさんの『 勘。』での盗用事件をめぐって [長年日記]

はいねさんの『 勘。』で、盗用事件が起こった。
盗まれた先のサイトを見に行ったが、文言がまるっきり同じ。これは強烈だね。開いた口が塞がらない。そして何よりも醜悪なのは、これもどこかでパクってきたんだろ、ドラえもんをパロった2chヲタ好みの画像を貼り付けている。見ていて反吐がでそうになった。
一方、ピーさんの《P.C.P. ありきたりな日常に関する2,3のノート》という写真ブログでは、アップしてある写真画像を、「わたしが写しました」とばかり盗んでいったのがいる。そのせいで最近の写真画像は隅っこに小さくサインが入っている。
うちでもかつてP-Funkのマザーシップのgifアニメをパクられたことがある。パクられた先はアメリカのP-Funkサイトだったので苦笑いして済ましやったけど。
盗作というより、まさに盗用。人が書いたものを、まるっきりそのまんま自分のサイトにアップして、自分で書きました,自分が撮りましたという顔をする。恥ずかしくないのか。著作権うんぬんの法律上の問題以前にモラル上の問題だろう。

でもボク自身、あまり厳しいことは言えない。というのは、うちのトップページの通称チンポコにしたって、実は"THE ELECTRIC SPANKING OF WAR BABIES"のペドロ・ベルのイラストを切り抜いただけだから。P-Funk知ってるのは、にやっと笑ってくれるんだけれど、「まごさん、あんな素敵な絵も描けるんですか」と聞かれて困ってしまった。ちゃんと"Drawn by Pedro Bell for FUNKADELIC" と入れておくべきだな。
まごぽんでも、文章をまるごと引用しているが、ありゃ、出版社のほうから見ると、完全に著作権法上アウトだよな。ここで言い訳、少し言い訳しとくと、まご本を始めるときにも書いたけれど、大学時代、本に傍線を引くかわりにノートに書き写してた。専門の勉強はしない分、ヒマだったからね。それをデジタルでやってしまおうって始めた。始めると、せっかくだから公開してるだけ。もしあのページを読んだ人が、その本を読んでみたくなったというのなら、それはそれでボクはうれしいし、著者や出版社にとってはプラスだと思う。ちゃんとisbnでAmazonに飛ぶようにしてるだろ。
もちろんクレームがついた時点で引き下げますが、きっとパーソナルモードにしてこっそり続けるよ。出版社によっては表紙をスキャナしてアップすることさえ許可しないと言ってるらしいが、なんと心の狭い。それならヤフオクに出回ってる画像からチェックするべきだな。だってそっちのほうが明らかに金銭関係で成り立ってるんだから。ちなみにボクがいくら書いたって、一銭も入ってこないよ。

話は飛んだけれど、とにかく、盗用は下衆だとしか言いようがない。オリジナルはどれなのか、それは神のみぞ知ることになってしまうが、そんなものは著作権法などという法で守るべきものじゃなく、個々人のモラルで守るよりほかに方法はない。いくら著作権法によって守ろうが、盗っ人は現れ、簡単に盗んで行く。が、何がオリジナルかをいちばんよく知っているのは盗っ人本人なのだ。






■2004/09/26 Sun■  ♪〜片隅で聞いていたボブ・ディラン [長年日記]

ってなにがボブ・ディランやねんとへそを曲げていたのは、その当時のことで、『学生街の喫茶店』で一番それらしいと思っていたのは、百万遍の駸々堂だった。別に駸々堂でボブ・ディランがかかっていたわけでなくて、たしかあそこは音がかかっていたという記憶がない。ディランがかかってるとしたら出町のほんやら洞だろ。イメージ的に喫茶店と京都が結びつくのも変だけど、それはそれで意味があるかもな。
学生時代を札幌で過ごしていたボクにとって、喫茶店というと19条にあった「オニオン」で玉ねぎ顔のまきえさんがやっていて、毎週、交換を通した長距離の電話をかけに行ってたのもオニオンだったし、上村一夫の『同棲時代』を毎週必死になって読んだのもこのオニオンだった。『あしたのジョー』はどういうわけか、オニオンじゃなくて、クラ館下のエルムのほう。たぶんに『同棲時代』がオニオンにつながってしまうのは、店にやってくるまきえさんにみなが話を聞いてもらいにやってくるからだったんじゃないか。ところが彼女がいろんな人のことを知り過ぎていると感じだしたころからぷっつり行かなくなってしまった。誰がどうしたこうしたという話に嫌気がさしてきたのも事実。ある種のコミュニィティーという雰囲気だったんでしょ。だから、まぁその当時、誰もが議論好きなんだけど、ちょこちょこああでもない、こうでもないと、言い合ってるのがいたりもした。まさに時代ですなぁ。
もうひとつ喫茶店というと、ジャズ喫茶。デビューは道頓堀の5Spotだったけど、このジャズ喫茶でいちばんよく行ったのが札幌東映の横のジャマイカ。ジャズ喫茶の雰囲気ってのははじめちょっと不良っぽかったりして憧れみたいなものもあった。暗い目の照明の中で、当然のことながら相席で、オニオンとは逆にまったくそこにやってくる関係性は断ち切られていた。音によって、個々人の空間が確保されていて、その中でボクは主に読書と睡眠に励んでいた。よくあの暗さの中で本を読んでいて目が悪くならなかったのか不思議だよ。

どうしてこんなことを書き出したかというと、いわゆる喫茶店というのが衰退して、スタバやドトールなどに変ってきた。それは…という話をどこかで少し前に読んだから。
すべてにおいてシステム化して、コーヒー一杯の単価を安くする。その時点で、コーヒーは単なるモノとして扱われてしまって、その後ろにあるものが切り捨てられた。それはコーヒーに限ったことでなく寿司でもそう。そして本もブクオフのように単なるリサイクル品としてしか存在しなくなった。
それだけじゃない、人間そのものもシステム化され単なる労働力だけを吸い取られ、背後にあるものは置き去りにされているじゃないか。
一見、それはしごく真当で、合理的である。が、それは企業や経営者にとってだけの合理性の追及であって、ボクたちの側にとっては合理的でもなんでもない。遅かれ早かれ、そうして突き進んだツケがやってくるだろう。行き着くところまで行けばいい。必ずその反動はやってくる。ボクはそういう日が来るのを楽しみにしている。




■2004/09/25 Sat■  ご冥福をお祈りします [長年日記]

高校の同期生が亡くなった。つい4か月ほど前の同窓会ではニコンのD70を持ってきていて元気そうだったのに。
彼とは高2のときに同じクラスだった。ボクの出身高校ではボクなんかはアウトローエンドだったので、その彼などとはそれ以後、つきあいもなく、訃報を聞いたてもそうたいした思いなども生じない。不謹慎でしょうか。
数年前にも先輩が亡くなったときに、電話がかかってきて、「あんまり驚かへんねぇ」と言われたことがある。先輩だといっても、高校現役時代だけのことで、以後顔を合わすこともなかったから、ふーんという程度にしか思えなかった。あまりにも醒めているのか。
これから先こういう訃報をよく聞くような齢になってしまったんだなぁなどというのが正直なところ。でもやっぱりなんだかもったいないなぁ。ボクなんかは、きのうも書いたように何の苦悩も苦労もなく、ただただ自分のやりたいように生きてきたから、と言っていますぐ死んでもいいやなどとは思っていないのだけれど、きっと彼なんかは真面目に勤めて、きっとボクみたいに好き勝手やってきてるわけないよな。その分、ボクなんかよりずっとカメラ道楽だったようだけれど、やっと子どもの手が離れ、会社でもそろそろ先頭に立って突っ走らなくてもいい年になって、ころっと逝っちゃうなんて、何とも言い様がないなぁ。「ご冥福をお祈りします」なんて、ボクはよう言わんだけに、やっぱりなんだかなぁ。
こうした訃報を聞くたびに、生きてるうちに好きなことしとかなアカンと、ますますスイッチ入れてしまって、そのほうが悲痛な顔してるよりずっと供養になるだろうと思うのだった。きっと自己中なんだろ。う〜ん、もうちょっと書きたいことあるけど、さすがWEB上で公開してるからやめとこ。

1988年近鉄-ロッテ最終戦、いわゆる「10・19 川崎劇場」、10回裏の守備に着く近鉄ナインの様子の実況がラジオから流れてきたのでうるっときちゃった。79年日本シリーズのかの「江夏の21球」もあったしねぇ。



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