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■2004/10/01 Fri■  廃墟にて [長年日記]

 なぜか廃墟に向かう。
 だからといって積極的に廃墟ガイドだとかを見てまで廃墟に行き、忍び込もうなどという気はさらさらなくて、歩いているときに廃墟、あるいは廃れ果てたものに目が向いてしまい、思わずカメラを向けてしまっている。そしてまた図書館から借り出しているのは、宮本隆司『新・建築の黙示録』だったり、奈良原一高『無国籍地-1954』と、これまた廃墟を写した写真集というのも、廃墟に向かっているのか。決してボクの個人的な日乗は廃墟してないのだが。
 『無国籍地-1954』の奈良原一高自身によるあとがきから引くと
《「不毛」それ自体が生きてゆく手がかりとなりはじめた。廃墟にある文明の究極の静けさが未来に旅立ちとなった。
写真の素晴らしいところは、その表現が「究極の無」であることだ。「そこに何もない」その爽やかさが僕を飽きさせない。宇宙そのもののように。》
 そしてまた『新・建築の黙示録』にはあとがきにかえて、磯崎新の『廃墟の論理』という一文が記されている。こっちはいま手元にないので引けないけれど、すごく興味深い文章だった。
 この二つの文章に共通しているのは、戦争体験がトラウマとなっていること、そして戦争によって現れた廃墟を目の前にして、一瞬のうちに廃墟と化してしまった都市には、元々廃墟を内包しているという。

 バイクで走り回って、野宿を繰り返していたときに、朝になってテントを撤収する。そうすると、ついさっきまであった空間が消えてしまう。ポリエステルだか、なんだかの薄い布によって仕切られた空間の中でボク自身の非日常的な生活があったことなどもう忘れてしまったような、何もなくなった空間を見ていた。
 同じことが紅テントや黒テントでの芝居、もっと遡れば、寺山修司のあのサーカス小屋なども同様に、そこに仕切られていたはずの劇的空間に、いまはただ風が吹き抜けるだけ。その「無」を体験して、なおさらそこにあった空間が愛おしく思えてくる。匂いが脳の一部に刻み込まれる。
 不思議なことに、ボクが写真に撮ってきたものは、それからしばらく後には撮り壊されてしまう。やがてその同じ場所に新しくものが生まれる。
 こんなことをしみじみ考えてしまうのも秋のせいかもしれない。








■2004/09/29 Wed■  季節の変わり目 [長年日記]

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』――これなんてあっという間に読んでしまえるはずだよねぇ。見た目、すこすこで、斜め読みでもすれば1時間で読めるんじゃないか。なのに、気がついたら寝てしまってる。夜もベッドで読もうとすると、1ページすらめくらないうちに寝てしまってる。ほんと困ったもんだわ、季節の変わり目。
決して、『風の歌を聴け』が退屈ってわけじゃないよ。とてもいい本です。キミも読みなさい。
きっと何かの疲れがたまってんだろうな。そんなんだから、がーっと本に向かっていけない。本を読むときはやっぱり攻撃的でなとダメだな。文句つけたろかという意味じゃなくて、本の中から出てくるイメージとバトらないとね、読書は格闘技なんだって。
ふっ、やっとのことで読み終わったよ。もちろん初めて読んだんじゃなくて、20年ぶり。
せつない。こういうのは「夕暮れになって涼しい風が吹き、あたりにほんの僅かにでも秋の匂いが感じられる頃」に読むもんじゃない。とくにここ2週間ほどは。

メアリーがやってきた。むっとした湿気を多量に含んだ吐息を送り込んで。そして彼女が通り過ぎたあとには、涼しい風が彼女を追いかけた。




■2004/09/28 Tue■  『ニキータ』 艶女とは [長年日記]

地下鉄の車内吊りでちょいと目を惹いたのが、きょう創刊だという『ニキータ』という雑誌。

    《モテる艶女は「テクニック」でコムスメに勝つ!》

というコピーのすごさ。そして乗り換えた地下鉄には同じ『ニキータ』の車内吊りで《コムスメに勝つ!》の部分が《モテる30オンナの作り方》に置き換っていた。
「艶女」のルビとして「アデージョ」がふられている。ところで「アデージョ」って何語なん? たぶんきっと《あだ【婀娜】 女の,色っぽくなまめかしいさま。「ーな年増(としま)」(新辞林)》から作った造語なんでしょ。イタリア語じゃないよな。
それで、気になるのが「アデージョ」もそうだけれど、「コムスメ」「モテる」「30オンナ」というカタカナ語。古〜っと言われるだろうけれど、カタカナってのは外来語にあてられるというふうに教わってきた世代としては、をー、ここまで来たかって気になる。「パクる」とか「サボる」とかいうような遣い方はボクもよくしてしまってる。「パクる」はわからんけれど、「サボタージュ」を日本語の動詞化させたものじゃないのか。「怠ける」というのはあっても「さぼる」という日本語はなかったような気がする。それに対して「コムスメ」「モテる」「30オンナ」というのは元々、「小娘」「持てる」「30女」日本語としてあったのに、わざわざカタカナにしてるのだ。そのような遣い方が良くないなどという考えはさらさらないのだが、車内吊りの少ない語数の中でこれだけ連発されるのもなぁって気がする。

言語なんて優柔不断でいいじゃないかと思っているので、国語がどうとかいう気はあまりない。そのことよりファッション雑誌が30代にシフトされてきたほうが興味深い。それで思うのはエロビデオ界でもいっときコムスメ(=ピチピチギャル)一辺倒だったのに、最近は「熟女」モノがずらーっと並ぶ。コムスメがアヘアヘ喘ぐエロビデオが行き着くところまで行き着いてしまって、いい加減食傷気味になってるのも事実だけれど、やっぱり、結婚する気のない女、男もそうだけれど、そういう人種が増えてきて、彼女達がこぞって30代になったことによるんじゃないか。
ちょっとその当の主婦と生活社の『ニキータ』のサイトを見てみると、

    《熟恋メイク虎の巻 厚化粧を恐れるな!》

だよ。うんうん、なるほど、当たり前じゃんか。「もう歳なのだから」なんて言ってる女ははなから失格。そそられない。だけれど、その一方で、《ブランドクイーン》なんて言葉が出てくるようじゃねぇ。所詮、スポンサーあっての雑誌だね。ターゲットが変ったところで、ファッション雑誌としてのつまらなさがほの見える。
ほんとの「アデージョ」は、こんな雑誌に振り回されることもなく「アデージョ」として存在するんだよっ。あ、だから《モテる30オンナの作り方》なんだ。作られた「アデージョ」ってのもねぇ、諦めた30オンナなんかにくらべりゃ、努力しようってことではるかにいいオンナだけど。
ちなみに、『ニキータ』というタイトルからすぐ連想できたことだが、

    《『ニキータ』の編集長は3年前に『レオン』を立ち上げ、実売80%を越える好調ぶりを持続する岸田一郎氏。》

この岸田というのはどんな敏腕編集長だか知らないが、『レオン』に『ニキータ』ですか。安易すぎるだろ。お先が見えてるな。




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