「ねぇ、愛してると言ってよ」「愛してる」「ねぇ、わたしのこと好き?」「好き」「えっちするだけ」「ちがうよ」「川島クンって変だと思わない」「うん、そういえば変だな」「結婚しようって言う人がいるんだよ」「そうなんだ」「どんな人か気にならない」「気になると言えば気になるけど」「わたしね」「うん」「スピッツの新しい曲って何だったっけ」「正夢?」「そうそう。正夢ね、あたしね、きのう怖い夢、見ちゃって」「ふぅーん」「追いかけられるのね」「追いかけられるんだ」「そうなの」「うん」「今度さ、日曜にね」「次の日曜って5日だった?」「うん、確か5日だったと思う」「うん」「その次が12日だよね」「うん」「クリスマス、もうすぐだね」「どこか行くの?」「行かない、どこへも。またスキーに行っちゃうの」「うん」「そうなんだ」「うん」「おみやげ買ってきてね」「おみやげは笑顔でいいの、お父さん」「なに、それ?」「あ、うん」
何の約束があったわけでもないのに、何もしゃべらくてもいいような関係ができてしまった。気まずい沈黙の時間が過ぎる相手と、心地よい沈黙の時間を楽しめる相手、話すことはどちらも愚につかないようなことなのに、そんな差はどこからできてしまったんだろう。ふっと思った。いくらことばを費やしたところで愛など出てこないところには出てこない。
「黙ってないで何とか言ったらどうなのよ」
さて、ふつふつと煮える鍋をはさんで、人妻(27歳)が、「まごちゃん注1、生年月日いつ?」と唐突に聞く。あ、あのねぇ、こうして二人で久美浜くんだりまでカニを食いに来る仲なんだから、しっかりボクの誕生日くらいチェックしとけよと思いながら 「8月17日」と答えると 「生年月日と言ってるだろ(ばぁたれ)」 そしてかしゃかしゃと携帯をいじって、ほどなく 「まごちゃんはねぇ、しつしゅく。部屋の意味の「しつ」にやどの、室宿」 そういう暦とか方位とかはボクのばあちゃんが好きで、「おまえはことしはしろくもくせだから気ぃつけな」と言うのに「同じ学年におるのはみなおんなじ運勢かい」と難癖つけて、ほとんど信じてなかった。西洋占星術は太陽の位置がによるのだが、この宿曜というのは月の位置によるという。
「室宿の人間はねぇ、《実行力と状況判断に優れた軍師の星だ。自分のことばかりに夢中で、他人を慮ることがないので、社交的なわりに親友は少ない。》注2」 「うっ、あ、あたってるやんか」 宿曜の相性があって、それを対人関係の傾向と対策として見ていくといいとか、人妻(27歳)は言う。 「ちなみにわたしはぼうしゅくで、乳房のぼうに宿な。室宿の男、ずっとさがしてたんよ。こんなとこにおったか、ふふふふ」
人妻(27歳)のたくみなMCに、疑心暗鬼だったボクもついつい納得させられてしまう。こうして蟹の鍋をふたりっきりでつついているのも、室宿と房宿だからこそなのか。ネットで検索かけて調べてしまったよ。 Pちゃんは女宿で、室宿と女宿は、うっ、そういうことだったのだ(;´Д`A ```
ページをめくっていくにつれて、それらの写真がすべて夜ということに気づく。ひたすらパリの街を写して歩いたアジェの姿に高梨豊の後ろ姿が重なる。アジェをシュールの文脈の中にとり込みたかった─それはアジェ自身によって拒否されたが─理由が少しわかった気がする。決してレトロ趣味や怒りじゃない。存在そのものをとらえているからなのだろう。そういう意味で、夜はその存在を際立たせる。その影に引かれている自分に気づく。そういえば、春樹の『海辺のカフカ』のナカタさんの影は半分の濃さでしかなかった。
荒木経惟の『東京夏物語』 一転、荒木経惟の饒舌さに圧倒される。圧倒されっぱなしだな。こちらは車に乗って、車の中から、カメラビーム(視線)の無差別攻撃をやらかしまくったような。そういえばボク自身の視線に迷いが生じてきていたことに気づいてしまったよ。 そんなこんなで、またシャッターを押しまくろうとしている自分がいる。