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■2004/09/18 Sat■  「UK77」 [長年日記]

大竹伸朗『UK77』を見る。『UK77』は大竹がまだ武蔵野美の学生だった1977年〜78年にかけて一年間イギリスに渡ったときのもの。だから「UK77」
あとがきというか、後ろのほうに大竹自身がイギリスに渡ることになったきっかけを書いている。大学に入学してすぐ休学して北海道に行き、今でいうプーをやっていた。ただプーをやってっるだけではやってけないので、別海町の牧場で働いているときに、牛舎建設の穴掘りをやっていた。幅40cm深さ1.1mで、1m掘ると、400円になるという。そこで毎日25m掘って10000円を稼いでいた。25m掘ったところで止めると10cm足りないゾと言われるのがイヤで、26m掘っていたらしい。その穴掘りのときに、いったい自分は何をやってんだろうという疑問から、急にイギリスに行こうと思いたった。その結果が77年5月からの1年間のイギリスでの生活になった。
こうしたエピソードは今となってはできすぎた話にも思えるのだが、それはそれでいい。そのターニングポイントとなった一つの事実がこうしたエピソ−ドになっただけで、この話以外にも様々なファクターがあったにちがいない。いろいろな事がらが彼をイギリスへと向かわせるベクトルを作ったにちがいない。だからそれはそれでいいと納得してしまう。
そのことがきっかけでイギリスに渡ったからといって、誰もが大竹伸朗になれたわけでなく、彼だったからこそ大竹伸朗になれたってことのほうが大きいね。そこのところははじめにリンクをつけたサイトに『UK77』からの引用がいくつかアップされてるので読んでみてください。ポーとベローの見知らぬ男がキーになるんだけれど、このポートベローの見知らぬ男でさえ、彼だったからこそ、なのでしょう。
前に森山大道の『犬の記憶』を読んだときもそうだったけれど、とんでもない偶然を次々と手に入れて行ってる。そして手に入れたもので次へ踏み出して行く。
この頃思うのは、そうした偶然を手に入れることができるというのは、ひとつの能力、才能なんじゃないかと。さらにその偶然によって自分をどう変えて行けるというのも能力なんじゃないか。

偶然を手に入れることはできた。そして自分を変えることもできた。でも、そのつぎに、というステップに踏み出せなかった悔しさのようなものが、いまのボクにある。だけど偶然手に入れることができたものを持ち続けることだけはできた。多くの人たちは、変えることができずに、どんどん周囲から変えられて行ったのに、そんな中で持ち続けることができているということだけが、いまの自分の支柱なんじゃないかなと思っている。




■2004/09/17 Fri■  不倫願望 [長年日記]

ははは、きのうは久しぶりに酔っぱらった。26000円だかする、シャトー・ムートンとかいうワインを1/3ほど残っていたのをもらって、う〜ん、美味しいのか、わからんままに、高いからきっと美味しいんだろうけれど、たしかに香りはよかったな。そのシャトー・ムートンの前から赤ワインで、あれこれ美味いものいっぱい食って、さらにいじきたなくぐいぐい飲んで、気がついたらふらふら。やっとこさ家にたどり着いて、そのあまベッドで寝てしまった。あゝ、もったいない。こんな酒の味わからんのに飲ませるから。そんなこんなで、きょうも午前中はまだ少し酒が残ってるような、ほんま困ったもんだわ。酒飲みにはなりたくないけど、もう少し強かったらなぁ。

さて、きのう、きょうと別になにがどうってことのない日。ほんとなんてこともない。
昼にご飯を食べようと車で出て行ったら、踏み切りで止まった。すると、車の左前に、4,5歳の男の子を自転車の前に乗せたお母さんがいて、その男のとボクの車を見ながらしきりにしゃべっている。

    (この車可愛いねぇ、ぼく、見て見て、プーさんだよ)
そのお母さん、30くらいか。それがまたマイタイプその3。思わず、彼女をいつか車の助手席に乗せていることを妄想してしまう。子どもを先に見てしまってる分だけ、妙にその妄想が生々しくていけない。
    (もうすぐ幼稚園から子ども帰ってくるからもう帰らなくちゃ)
ははは、あれへん、あれへん、っちゅうねん、この妄想おっさんが。踏み切りが開いて、そのままボクは走り去ってしまったんだけど、車のラジオじゃ、いけない不倫カップルがこともあろうにパンストプレーをやったとか、真っ昼間からなんちゅう放送をやっとんのじゃい。
ところで、それで済んだらどうってことないんだけれど、夕方駐車場から出ようとすると、車の前を横切る自転車が。な、なんとマイタイプその3。またしても子どもを前に乗せていた。ううう、1日に2回も。向こうも気がついたようで
    (ぼく、お昼の車だよぉ)
単なる偶然にすぎないけれど、それにしてもこの偶然は、何かの予兆か。そうだったらいいのになぁ…をい。
    (あの日、どうして2回も出会ったんだろうね、偶然以上のものを感じちゃったよ)



■2004/09/15 Wed■  ある日突然、欲望と理性のあいだ [長年日記]

ついこないだまでがんがん飛ばしていた日記サイトが消えてなくなる。具体的には、うちでも何度か引用させてもらったことのある『欲望と理性のあいだ』って、知ってるでしょ。作者のannさんとはやりとりがあったわけでもないから、ボクが心配などする理由はないんだけれどもね。はてなアンテナに《2004/09/12 05:47:06 終わり。-600g減量するごとにしかエッチさせないという屈辱に真っ向から戦う日々を綴っているわけのわからんblogです。》と捕捉されたきり、クリックすると真っ白なページが。たかがまだ3日だから、ボクが心配などする理由はますますないです。所詮、彼女にとってはアノニマウスな一読者にすぎないので、あまり詳しく書けないけど。あまりに真っ白なので、サーバー落ちなんかとも思ったし、なんかスクリプトに異常があったのかと、ソースも開いてみたらそちらも真っ白。少し前まであったLiveDoorのほうにも《終わり》とだけ記されて、あとは真っ白。
《終わり》。ちょっと放り出されたって感じ。つい下衆な勘ぐりなんてしてしまうでしょ。
多分にこんなふうに突然消滅してしまうページっていくらでもあるんだろうな。実際に、この《まごまご日記》だって、もうずっと過去のある日突然、消してしまったことあるから。正確には二度かな。個人的な部分はBBSもなんもかんも消してしまった。そして「日記だけでも再開してえや」というメールもらって、なんとか復活できた。
こういうふうにWEB上で日記を続けていくのは、自分のためというわけでもなく、誰のためというわけでもない。でも突き詰めると、自分のためにしかすぎないで、なんとか自分のはけ口を求めて、世間に呪詛を撒き散らす。何ていうのかな、こうしたWEB日記というのは実際ヤバいですよ。結局どこかでまた再開せざるをえない自分がいる。もちろんボクもだけれど、ね、ほら、そこにも..w
annさんには、「こっそり日記だけでも再開してえや」と公開メールしておこう。



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