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■2004/11/17 Wed■  「キズアト」を撮り続ける石内都さんへ [長年日記]

えー、いま焼きプリン食いながらこれ書いてますw(11/17参照) というわけで、石内都編
森山大道が「焼きプリン」と答えた─あ、それで思い出した。こんな記事があった─質問で、石内都は「赤ワインにチーズとオリーブ」と答えておった。
 森山大道が若き日、『絶唱横須賀ストーリー』('77)頃の石内都について、《「そんなに突っ張っていたらツライだろ?石内クン」と思わずそう云ってみたくなる在りようである。》と。その心意気やいまだ失われずというのが「赤ワインにチーズとオリーブ」にみてとれた。
 それくらいでなくっちゃ、女ひとりでやってけないんだろうな。どこまでも突っ張ってないと。女というのは、不便なような便利なような不便なような便利なような不便なような、どっちやねん。つまるところ、「わたし写真家なんて止めるワ」といつだって簡単に投げ出してしまえるんじゃないか。なんてことを書いたら、女の人に叱責されそうだけれど、(メタファーとしての)実家に戻らせてもらえるの。実際に、大道との出会いになった『絶唱横須賀ストーリー』の個展を開くにあたって、「これで写真家を止めようと考えていた」という。が、「『絶唱横須賀ストーリー』が次の『アパートメント』を呼び、『アパートメント』がその次の『連夜の街』を呼んだ」と彼女自身が語ったように、止めるわけにいかなくなった。
 思うに、最初から写真家を止める気なんてなかったんじゃないですか?石内さん。それは後からついてくるもので、その中にあっては、突っ張ってどこまでも走ろうと考えるのが自然だし、そのことを後から「これで写真家を止めようと考えていた」というのは、あなた一流の突っ張りですね。好きです。
 そうしてその最初の三部作をも、いま進行しつつある《SCARS=キズアト》のなかに包含して行こうというのも突っ張りなんでしょ。そのキズアトを大事に自分のものにしていこうという姿勢がすごく好きです。この対談以前に、ボクは《女であるからこその醒めた視点でとらえられた「傷」を突きつけられては「センチメンタル」な男に勝ち目はない。それ以前に勝負にならない、悔しささえ湧き起こってこない。モノクロームの怜悧な刃物。》と書いたとおりに、あなたという女をこの対談で垣間見させてくれたのでした。
 ボクですか、あなたに『横須賀Again』にサインしていただきながら、「『モノクローム』のお袖さんの話には心が震えました」とだけ伝えた者です。

 あらら、いつの間にか、石内都さんへの公開メールになってしまった。(初めのほうは、「さん」もつけてませんねぇ(^◇^;))








■2004/11/16 Tue■  森山大道の焼プリン [長年日記]

 さて、おとといのメインエベント=森山大道と石内都の対談の話に戻ります。
 最初に森山大道と石内都がそれぞれに近況や写真について語って、そのあと対談、という形式になってたようなんです。まずは森山大道からなんですけどね、あとの石内都がこれまでの写真をコンパクトにまとめたDVD(別の機会に製作したものらしいが)を中心に話したのに、大道のほうは先日出たばかりの『森山大道 in Paris』を流しはするんだけれど、さっぱり自分の写真について語らない。DVDの中では「くだくだと」いっぱい喋ってるのに、実際目の前にいる大道先生はなかなか語らない。それどころか、「この(DVDを製作した)人は、たくさん喋らせて…(困ったモンだわ)」と言いながら、DVDの中で自分が喋っているパートは「流してください」と早送りさせる。そして大竹伸郎や、荒木経惟が森山大道について語ってるパートだけ、大道自身もぼおーっと眺めてる。だから、とてもつまらない。目の前に森山大道がいるのに、森山大道自身が動き出さないのだよ。とくにそのDVDはボクなんかつい10日ほど前に見たばかりで、誰が何を言ったか、結構頭に残ってたから。そんなふうに最初の3-40分は退屈に過ぎていく。ボクはっていうと、たった2メートルの目と鼻の先にいるから、大道の観察に専念する。大道はしきりにミネラルウォーターのペットボトルからコップに1cmばかりちびちび入れては飲んでいるばかりで、こんなところに座らされて、何をしゃべったらいいんだというような、まるで落ち着きのない子ども。

 ところが、この動かない大道というのが、とんでもない逆説になってしまってんだよ。べらべらべらべら、かの大道先生が自らこれは…などと言い出す写真家だったら、きっとボクはこんなに入れ込まなかっただろう。それをまともに、本人を目の前にして見せつけられた、というわけ。
 やっと、石内都にバトンタッチされて、彼女のほうは理路整然と喋っていくから、森山大道の情けなさはよけいにひき立つ。ときおり、森山大道にも話を振りながら、それにぼそぼそっと答える大道クン。
 対談になっても、どちらかというと石内都のペースで進む。が、やっとその場の雰囲気に慣れた子どもように、ぽつぽつと喋り始める。
都「あれはどこでした?深瀬(昌久)さんのとこでした? この人、寝るときにパジャマ着ないんですよ」
大道「あんなもの着れますか? さぁ寝ましょうってときに」
 これには笑った。ボクもパジャマなんか着ないしね。面倒くさいだろ。せっかく眠くなってるのに、きっちりパジャマに着替えて、しかり歯磨きを済ませて、などと儀式なんですか。遊び疲れた子どものようにぱたんと寝てしまいたい。
 質問タイーム。表現大学の受講生(まだ若いっ!)「お二人とも、ボクの父親や母親と同じような歳なのですが、うちの親は夜になると寝転がって、お菓子を食べながらテレビを見てます。お二人は、テレビは見られますか。おやつは食べられますか」
 これに答えて、大道先生言ってくれちゃった。「コンビニばかりで生活してるんでね、焼きプリンが好きだな。冷蔵庫に4つ、5つ、いつも入ってるよ」
 ボクも質問したのだw 「(田代)まさしみたいなアホが出てきて困らないですか」となんという質問じゃ。そしたらやっぱり大道先生も、最近は控えてるという。新宿でも交番にもしょっぴかれたことあるらしい。そこでかの横須賀でやった手、撮影済みフィルムとさらのフィルムをすり替えようとしたところ、ポリに見つかって、せっかく撮った1本がパァーになったと。やっぱりそうなのか、女の子のお尻ばかり写すの止めたほうがいいなw
 書き出したら、キリがない。やっぱり生の森山大道に接することができてよかった、としかいまは言いようがない。ほかにもいろいろ、これはと思わされるところがたくさんあって、それはそれでまたそのうちに小出しにすることにして、これを書きながら思ったこと。上に書いたパジャマね、ぱたんとそのまま寝てしまうまで子どもは遊び続ける。森山大道という人は、それと同じように、ぱたんと倒れるまで子どものように撮り続ける人なんだ、子ども(少年)の心を忘れないで死ぬまで撮り続ける人なんだと、ますます憧れてしまったのだった。







■2004/11/15 Mon■  アナ兄弟、サオ姉妹 自分勝手は世界を救う [長年日記]

 きのうの日曜、昼間は森山大道と石内都の対談を表現大学に見に行って、夜は夜で京都まで行ってアカレコのライブ。いきなり元気だろ。さてどっちの話から書こうかなw とりあえずパクられまくっとった(注1)ニャーのMCをここでもパクっといたろか。

 ニャーはついこないだかの『華氏911』見たんだってさ。『華氏』については、さらに話があるんだけれど、ここはニャーの名誉のために伏せといたろ。
 さて、『華氏911』を見て、それで個人が何ができるかと考えたんですって。個人の力はあまりに無力で、世界を変えてなどいけるわけがない。戦争を止めることなどヒャク無理。そこで「自分勝手に生きる」ことしかない、という結論に行き着く。
 その「自分勝手」なのだが、ま、それはニャーに限らずボクもそうで、お互い、自分勝手、自己中を素で行く人間なのでよくわかる。つまりですね、自己中なわけで、自分が楽しく生きるためには、自分のすぐ近くにいる人間が凹んでたら、自分も面白くないわけで、少なくとも自分のすぐ近くにいる人間だけはしあわせ(ハッピー)であってほしいと願う。そうすると少なくとも自分は楽しく生きられる。そんなアカの他人のことまで気を回してたら、疲れるばかりなので、すぐ近くにいる人間だけハッピーであればよろし。ところが、そのすぐ近くにいる人間は人間で、自己中にもそのすぐ近くにいる人間がハッピーであったらいいと願えば、それがピトケアン島(注2)じゃないわけで、そうそう簡単に閉じてしまわないで、どんどん広がる。
 どこっと話が変わるけれど、数学の集合を考えるときに、性交渉をもった人間の集合を考えるというのが数学セミナーに掲載されていたらしい。つまりAとBはやったことある。BはCともやったことがある。だがAとCはアカの他人であっても、このA,B,Cはひとつの集合と考える。つまりアナ兄弟、サオ姉妹ってわけです。そうすると、膨大な数のアカの他人が同じ集合に入る。え、ちょいとボク自身を例にとって考えると、ボクが含まれる集合は海を越えてしまうわけで、そのなかにヨン様も含まれる可能性もなきにしにあらず、もちろん糞ブッシュもフセインも含まれるかもしれないのだな。もっともN田クンやH井クンの場合はその集合の要素は1ですが(^_^;) 
 この数学セミナーにも掲載されるくらいの高尚な集合の理論を、上のニャーのMC理論に適用すれば世界は平和になる。つまりみんながみんな自己中になればいい。
 だが、よく考えてみると、A〜Zまで26人を集合の要素とする。とすると、その集合の中で、いくらアナつながりサオつながりといったところで、こいつとは絶対にやりたくない、1000万やると言われてもイヤだ(ボクだったら1000万ならガマンします)という組合せが出てくるだろう。これを上のニャーのMC理論に適用すれば、世界を救うのはやっぱり無理ということになるでしょう。アナ兄弟、サオ姉妹は世界を巣くうだけなのかも。

 さてもうひとつニャーMCですが、先日のアカレコが天王寺の某レストランでライブやったときに、アカレコのお客さんというわけでなく、レストランのお客さんで婆ちゃん3人組がとても喜んでくれたと。一人は78、一人は76、そして「この人、一番若いねんでぇ」と72。話は換って、ニャーのお婆ちゃんが88の米寿で、その婆ちゃんの友達はなんと102歳。そうなると、10や20くらい上だの下だの関係なくなってしまうと。そこでニャーとボクはあと50年頑張って生きような!と固い約束をしたのだった。

    注1) この日のライブはそのあとにテキサス&ノジックスで、酔っぱらった二人は、NYAのMCをパクりまくって笑いをとりまくり。

    注2) うらまご11/01 参照




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