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うらまご/まごまご日記/まごっと/まごれびゅ/P-FUNK/maggot

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■2004/09/02 Thu■  9月になったら [長年日記]

「9月になったら」という古ぅ〜いポピュラーがあったけど、誰が歌ってたか、覚えてない。こないだも同じころのポピュラーソング、誰が歌ってたか覚えてなくて調べたのだけれど、わからずじまい。何という曲を調べてたのさえ忘れてやんの。あ、「9月になったら」というのはアメリカじゃ4月じゃなしに9月から新年度になるから。知ってると思うけど。
それで9月になったとたんに涼しくて、もう秋なんですか。
気温よりも、秋だなと感じてしまうのは日が短くなったこと。とくにバイクで走り回ってた頃は、もう暗なるんかとさみしくなってた。いまは、6時過ぎると、いわゆる黄昏どきになってしまって、センチメンタル…、ふふふ、そうじゃなくて、ブレるんですわ、カメラが。ヨーロッパの夏は9時くらいまで明るかったから、なんぼでも写せたのに。
それはそれとして、ほんとに6時になるともう暗くなり始めて、7時には空も真っ暗になってるのを見ると、ほんと秋になったなぁと思う。でも暗くなってからの空を見ていてもやっぱり秋だね。夏じゃないね。ゲージュツの秋です。豊饒の秋です。

ところで藤原新也の『ディングルの入江』に、リースの花と花は出会うべくしてつながっているように見えるけれど、奇跡のような偶然によって結ばれた、という一節が出てくる。うんうん。




■2004/09/03 Fri■  衣かたしきひとりかも寝む [長年日記]

なんだかそのような気がしてたのだが、「9月になったら」という話は2年前にも書いてんのだった。アフォだな。そして、それはアメリカの話だってことは4年前にも書いてるのだった。全くもってアッポの極致。そんな9月ってボクにとって特別な月なのかい(^_^;) そでもないと思うんだがね、9月にどうこうってなったこともないし。
で、前に書いたなってのを調べるのに、このページの上にある月ごとのリンクをクリックしてたら、ヤバい、ヤバい。スイッチが入ってしまうやないですか。だから秋は嫌いなんだよっ。でもひゃひゃひゃ、1997/09/15の《ORP全国オフ'97〜NAGARA DAY》 のリンクが切れてるのにホッとしたよ。

ところで「9月になったら」でtrackbackしてもらったので、これは調べにゃなるまいと、《September》でAMGで検索かけたらいっぱいあるんだねー。"September ○○○"と遊べるくらい。
"September Song" これは2年前にも書いてる。オリジナルはシナトラだったか。"September In the Rain"なんて名曲もあった。アースのズバリ"September"もあった。誰だ、そこで踊り出してるのは(笑) あゝ、でも肝心の「9月になったら」、原題は"In September"だとずっと思ってたけど、それらしきものは見当たらないなぁ。40年以上前のいわゆるポピュラーです。。結局わからずじまい。《9月になったら》でググったら全く関係のない話が出てきて、唯一あったのは、2年前のまご日記(^_^;)

きょうの明け方なんか、むちゃ寒い。窓を開けて寝てたら寒くて寒くて、ぺらぺらの掛けを体に巻き付けてもう一度寝たよ。連日熱帯夜だとか言ってたのが9月になったとたんウソみたいなのだ。まさに、衣かたしきひとりかも寝む、ってところですか。




■2004/09/04 Sat■  細木数子の「100人の男か、100人の女か」というアホ極まりない仮定 [長年日記]

朝っぱらからうるせえんだよっ。細木数子がどったらこったら、テレビで昔の写真が映されていて…と言われても、現在の細木数子の顔さえ知らんボクに話しかけられても、なぁーんも興味ない。そいつはよほどきのうのテレビ、みのもんたが出ている法律のなんからしい、とにかくボクは地上波はほとんど見ないので知らんのだ、その番組に感動したらしく、そのことをしきりに誰かに話したがくて仕方がなかったようで、たまたまそこにいたボクを捕まえてしゃべってきたんだが、相手が悪かったな。だからぁー、細木数子なんてのはいま流行の占いのおばはんという意外に何も知らなくて、知りたいとも思わないのね。大殺界とかいうとるおばはんでしょ。興味あったら自分でさっさとググってます。
それで、きのうのテレビは、婚姻関係や不倫というシーンにおいて、法律的に女は男に比べて損なんじゃないかという話だったらしいが、そこで細木がもちだしてきた話というのが、やつにとっては明快だったらしいが、ボクにとってはアホくさくてたまらなかった。なんでこんな話を聞かされなアカンねん。
仮に1人の男に100人の女を与えるのと、1人の女に100人の男を与えるのはどちらが妥当か(100人って多すぎるか、10人だったかもしれない)。細木が言うには、1人の女に100人の男を与えても1人の子どもしかできないが、1人の男に100人の女を与えると100人の子どもができる。だから世の中は法律的に男のほうが有利にできていて、なんでもかんでも男女平等を主張するのはおかしいという。
なんで性愛と生殖がリニアに結びついちゃうわけ? で、そして男女平等を主張することはおかしいとなるのか。かなりの部分でそいつのフィルターにかかって、ボクに伝わってきてるところもあるんだろうけれど、ありえもしない仮定から出発した不毛の論理をこういとも簡単に飛躍させられるのかオソロシイヨ。だいたいにおいて、性愛に限らず、法律で決まっているからと、法律はことの善悪をなんら規定できないだろう。
鬱陶しいから、「法律なんて関係ないわい。やりたかったらやったらエエねん」と言ってやったら、「あんたみたいなこと言ってたら話にならんだろ」としっぽ巻いてったけど、ボクは最初から話を始める気などなかったんだからな。



■2004/09/05 Sun■  カジャ&ジャミン ライブ @津山 [長年日記]

数日前にニャーから、日曜に岡山でカジャさんのライブで物販するから一緒に行こうと電話があった。こういう遊びのお誘いはすぐオッケー。というわけで、約束の11時に事務所行ったら、まだ家で寝てやがんの。やられたっ。そういう当たり前のことにまんまとひっかかるとは修業がまだまだ足らん。
やっとニャー様到着で出発したのは1時くらいだったか。出発した途端に「津山だから中国道で行くわな」 ちょ、ちょっとちょっと、岡山ちゃうんかいな。まぁ津山も岡山だから文句はないが。中国道に入ってすぐの西宮名塩のドトールで昼ご飯にコーヒーとミラノサンドで休憩。ドクターNONは後ろのシートでまた寝てる。前でニャーと人生を熱く語り合っている間に、津山到着3時半。「な、こういうふうにちゃんと着くのだから」と得意げな顔のニャー姫。あんたが大将でつ。
この日は津山の“音の城まつり”という町おこしのようなイベントでそのメインアクトにカジャ&ジャミンが呼ばれてたと、はい、いちおう説明。フィリピンTバックダンサーまで出ていて、そのぷりぷりお尻に鼻の下を伸ばしてる間に物販の準備が始まる。いちおう物販の手伝いということで来てるから、ほんとはぷりぷりちゃんに"How are you doing? Nice hip shake me fucker baby, oh yeah"と遊んでたかったのに。
物販ったってそう忙しいわけでなく、カジャのステージが始まる前から、バックステージったって、単にステージの裏側だけど、関係者のような顔をして入り込んで写真し始める。まだほんのり明るいうちに始まり、おまけにステージにライトがあたってるからそうブレずに写せる。バックに城の石垣など写っちゃっていいんじゃない。が、途中から雨が降り始めた。せっかくステージ前に観客が集まって踊ってたのに。約1時間ほどだったかなぁ。終わるころにはすっかり暗くなっていた。雨はあがったけど、真っ暗ななかで撤収。

ジャミンのメンバーはいちおうお呼ばれなので勝手に動き回ることができず、こちとら、3人はお気楽だから、津山まで来たら露天風呂入りに行かなアカンだろ、と、ちょっと足を伸ばして湯原のダム下露天風呂へ。ふふふ、最初から津山だと言うとけば水着もってこいと言うといたったのに、ふふふ、混浴だぁ〜〜、マーズアタック・フルスロットルぅぅ(関係者以外、意味ふめ) ちっ、しっかりバスタオルとTシャツでがっちりガードしやがって、またこないだに引き続き見られ損じゃんか。こらー!o(。。#)○パンチ えー、冗談はさておき、日曜のちょっと遅い目の夕刻で、いつもいっぱいの露天はまぁまぁ空いていて気持ちよし。やっぱり健康ランドごときではダメでつ。混浴露天に限る。暑くなく寒くなく、岩のふちに腰かけてうだうだしてこそ人間廃業、あ、人間復興できるってもの。タオルでがっちりガードしていても花があるわね。そうこうしてると、旅館の夕食が終わって一息ついたおばちゃん連中がぞくぞく入ってくる。しっかりガードしてくださいよぉ。見せてくれなくていいでつよぉ。そうこうしてると、若いオナゴもちらほらと、あゝ、混浴天国。が、老いも若きもタオルでがっちりガードしやがって。なんでも女の脱衣所には、墨で「水着禁止」と大書されてるそうな。しかもその一字一字に朱で○をしたるそうな。水着がだめなら、タオルもアカンだろ。
ニャー姫はこの湯原の場末た雰囲気がひどくお気に入りの様子で、男と1週間来たいと。NONには「あんたとだったら日帰り!」とは言うてたけど、ボクにはなんも言うとらへんかったしなぁ。混浴はここだけやないで、ボク、なんぼでもカード持ってまっせぇ。いつでも言えよ、つきあいまっせ(w

津山からちょっとだと言うたけど、ナビによると片道40kmもあったんだねぇ。田舎の40kmなんてすぐやん(w 
温泉あがって、お肌すべすべで、カジャさんらが待ってるわけでもないが、待っているバーベキュー会場の田舎の民家へ。真っ暗な中、いとも簡単にたどりつくニャーってなんでしょか、着いたら、もう宴たけなわ。肉はともかく野菜が美味っ! いつ果てるとも知らない宴会は続く。あ、その間に、大阪が地震で派手に揺れたってね。ニャーのいるとこに地震など来ない。大阪が揺れたのはニャーが大阪を離れたせいという結論に達して、津山を出たのが3時。大阪に帰ったら夜が白みかけてきた。あゝ、眠い。


■2004/09/07 Tue■  プラネタリウム [長年日記]

台風が来るってったって、まだずいぶん遠くのほうだったし、風が少しは強くなってきたって、雨がじゃじゃ降りだってわけでもない。せっかくぽっかり空いた時間だもん、どうする、今から出て来るか?って、携帯で呼び出した。
こんな日に新しくできたプラネタリウムで、星空を眺めるのも悪くないじゃないって、手を握りあって居眠りしているのもいいよねって。ふっ、そううまくことが運ぶはずがない。もう暴風警報が出たらしいよって、その警報に合わせて臨時休館だって。世の中に、ひとり、いや二人くらい、嵐の中で星を眺めてたいって思う人間がいてもいいはず。現にここにいるのに。誰だってそう思うことができるはずなのに、ただ気づかないだけなんだ。みんなテレビの台風速報にかじりついてるだけなんだ。
仕方がないからいつものカフェで窓際に並んで、すごい勢いで流れていく雲を見てた。雲の流れと逆向きに飛行機が飛んできて、ほらまだ飛行機だって飛んでるのにねぇと言ってる間に、厚い雲の中に飛行機は吸い込まれていった。あの飛行機に乗っていたら星を見ることができるのに、ほんとうの星を見ることができるのに、ぽつっと一言。



■2004/09/08 Wed■  まるで『車輪の下』のように [長年日記]

27歳、ん?26歳だったか。いまだにプー。あのころのことをもう一度やり直したいと、自分から荷物をしょい込もうとする。周囲の過度の期待と挫折、ははは、まるで『車輪の下』みたいじゃない。なんだか、言葉にしてしまうと陳腐だな。
あのとき、キミはその期待に応えようとして応えられない自分を見つけてしまって、別の自分自身を装うことで自分を保とうとしてた。自分を保つことで精いっぱいだった。あれから何年も経って、それに満足できない自分に出会った。あのときの期待は周囲からの期待ではなくて自分自身の期待だったんだ。そのことに気づいたとき、勝算の薄い一歩を踏み出そうとする。
ボクの26歳から27歳、ちょうど結婚するときだったな。結婚することしか考えてなかった。すべてにのほほんと生きていた。のほほんがいけないことだと今も思わない。そして相変わらず、なんでもかんでも棚上げにして、のほほんと生きていく道を選ぶ。
あれも正しい、これも正しい。自分であり続けられるなら、すべて正しい。

ちゃんと教えてやったURLでつなぐことできたかい?




■2004/09/09 Thu■  ラブホテル。愛のホテル。 [長年日記]

    《ラブホテル。愛のホテル。だが、愛など、どこにもない。愛を強調しなければならないのは、愛のかけらもない証拠だ。》
と書いてるのは、花村萬月。いや、それだけなんですけどね。これに続けて《ここにあるのは、欲望だ。性欲であり、排泄欲だ。》とも。
ちょっと気になる一節だったので、チェックしておいただけ。
萬月って、もう何冊か読んでるけど、扇情的なことはいいんだけれど、文章そのものに深みが感じられないのだ。あのワンセンテンス毎に改行・字下げされる、いわゆる非段落文体はやっぱり好きじゃない。早く読めていいんだけど、こんなことばかり考えてるから、あまり進まない。
「性欲であり、排泄欲」だけのセックスなんて、ダメですか。むしろすっきりしていていいと思うんだけど。そりゃ愛があるに越したことはないんだろうけれど、「やりたい、やろうよ」とずばっと言うことだってできたのに、それはそれでいいはずだと思う。だから萬月がとりたてて書くこともないんじゃないかとまで思えてしまう。「排泄欲だ。」とまで言い切るのは、逆にセンチメンタルでしょ。

夏の疲れじゃなくて、ちょっとかったるい。せっかくプリンターが届いたのに開けもしないで、トリュフォーの『ピアニストを撃て』を引っ張り出してきて、DVDにダビングがてらぼーっと見る。実のところルノアールにがっつり影響受けた女性賛歌かもしれない。1960年の作品だから、40年以上も前の映画。確かに古いことは古いんだけれど、それほどに古くは思えない。それはもうすでに生まれていたからなのか。だとすると、自分の子どもくらいに若い子らには『イージー・ライダー』なんて強烈に昔のことに思えるんだろうな。




■2004/09/10 Fri■  露出した部分 [長年日記]

めったに読まないんだけれど、ふっと小町さんの『われ思ふ ゆえに…』(“思う”でなく“思ふ”で、その後ろはひとマス空けて、最後の点は三つ)を読んだ。いやいや、テキ庵トップのテキストサイトだけに読みごたえがあります。その中からふっと目を引いたのが
    多くの男性は夏に女性が薄着になるのを歓迎するが、その視線はTシャツの胸やミニスカートの足にしか行くことはないのだろうか。腕のムダ毛や背中のニキビ、かかとの角質にげんなりすることはないのか
うー、また下に向かうのか。きょうテニスのコーチに「まごさんのサイトは下ネタだらけやねぇ」(注:もちろん彼は「まごさん」などとは呼ばない。本名で呼びます)と言われたばかり。をぅをぅ、悪かったなぁ。きょうも下ネタやぞ、心しとれ。

話はごろっと変わります。だからといって品位が上がるわけないので安心しておいてください。もうひと月ほど前のこと、アメ村の某美容室(つきあい長いから、ほら、リンクつけといたから、行ったら、ボクのサイトに書いてあったと言えよ。紹介ポイントつけれや w)に行ったときのこと、鏡の中に超ミニのすらぁーっとした脚にくぎ付けよ。それをきっちりブローしてくれてた男の子に見つかって「なに、じっと見てんです」「見てしまうやろぉー」「見てしまいますよねぇ」と、ブローしながらも彼の目もその脚と一緒に動いていくのだ。
露出ってことになると、ボクは肩のラインがむちゃくちゃ好きで、肩甲骨フェチとでもいうてもいいかもしれない。後ろからそっとその肩にキスしてみたくなるのだが、それでもざらざらだったり、しみだらけだったり、おまけに無駄肉などがついてたりすると十年の恋もいっぺんに覚めてしまうってもの。去年、ヨーロッパ行ってるときに、肩から背中にかけて露出してるのが当たり前のように歩いてるのを数限りなく目にしたけれど、あっちの人間って、肌がいまいちきれいじゃないんだよなぁ。そう考えると、シャーロット・ランプリングって化け物です。
しかしね、夏に限った、露出した部分に限ったことではなくて、腕のムダ毛なんて可愛いもんで、うっすらとヒゲがはえてるのを見つけたりしたらもうダメぇー。キ、キミね、男にはじめて会うってのに、鼻の下のムダ毛くらい、ちゃんと処理してこいよ。このボクでさえ、今朝は鼻毛切りでちょんちょんと切り刻んできたのだぞ。




■2004/09/11 Sat■  「私も内面からにじみ出るような輝きを身につけたい。」[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[;^^]/ [長年日記]

うらまごにも書いたのだが、ふっと(きのうから「ふっと」が多いなぁ)《発言小町》というサイトを覗いてしまった。はじめ、どういうサイトなんだかわからなかったのだけれど、読売新聞のサイトの一部で、読者の投稿で成り立っているようだ。新聞に投稿するように、オンラインで投稿するのだが、ここからが新聞とはちがって、新聞のように投稿記事が選択して掲載されるのでなく、ほぼ100%オンライン上に並ぶ。たぶんあまりに不適切な投稿は削除されてるんだろう。そしてその投稿に対して、読者からのコメントがつけられるのも、新聞とはちがう、ネットの特性をいかしてると思える。
その《発言小町》にずらっと並ぶタイトルを見ていると、アホ臭い面白みも感じているんだけれど、同時に少しくすぐったいような居心地の悪さを感じてしまう。なんでだろうと思ってさぐってみると、この発言小町ってのは大手小町というサイトの中のひとつのコンテンツで、他のコンテンツのひとつ《すてきな私流》というのを見てみた。そこにもずらっと発言が並んでいるのだが、こちらは《発言小町》が不特定のアノニマウスな人が投稿しているのに対して、「加齢学研究家 朝倉匠子さん 」とか「フリーアナウンサー 八塩圭子さん 」というように、ある程度社会的に肩書きを持った人(ほとんどボクは知らない人だけど)に投稿してもらってるわけ。そしてつらつらと眺めてみると、「アンパンマンで夢与えたい」(これは西村知美の投稿。さすがに西村知美は知ってるヨ)だとか、「ダイヤに負けぬ輝きを」などと歯のうくようなタイトルが並んでいる。読まなくてもその話の内容がわかるようなね、毒にもクスリにもならないようなんでしょ。薬にはなるんだろうけど、クスリにゃならんよ。
これでやっとわかった。実は、上に書いた「読売新聞のサイトの一部」というのは、そこまでもうひとつわかってなかった。《発言小町》に並ぶタイトルのアホ臭さにとらわれて見失っていた。そこに並ぶタイトルは大マジメなんだね。どうも人間、邪悪になっていけない。世の中の人はもっともっと善良なんだわ。それでね、そういう善良な人たちを茶化しちゃいけないね。邪悪な人間は2chにでも行ってあげて、こういう善良な人たちとはネットの中でも棲み分けないといけないな。
しょせん、ボクなんてそういう善良な世界にはそぐわないダークな人間ですよーだ。開き直ってどうする。ははは、そこまでいかなくても、彼、彼女たちのようにまっとうに世間を見るなんてことはできなくなってしまってる可哀想な人です、ボクは(^◇^;)

あっ、この《大手小町》ってサイト、新聞でいう婦人欄ですねぇ[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[[;^^]/




■2004/09/12 Sun■  そのまた反面で満足シティー [長年日記]

昼まで寝てたい日曜だっていうのにいつも通りの時間に起きて仕事。いるっていうことだけが求められるのはしんどいワ。いなくてもことは進むのに、いなければ始まらない。とはいうものの、きょうはエキサイティングだったのでよろしございました。救いは昼までに終わったことぐらいか、というその反面でむちゃ悔しいのだよ、とそのまた反面で満足シティー。おかげで大ビンボーしてしまった。
きゃは、きょうの日記は人様に読んでいただくものやないです。日記なんて自分のためのものだから、と開き直る反面で、WEBにアップする以上はひとりでも多くの方に読んでいただきたい、いや、一人でも多くの人間をふん捕まえて読ませたい。
すっかり疲れて、家に帰って昼寝。残暑の太陽に焼かれて汗びっしょりで目が覚める。目が覚めたら出動開始。ぽっかり空いた数時間を中山製鋼のある木津川大橋を歩いて上がって過ごす。あれは半径いくらあるんだろ。50mとして一周314mか、それを4周するとなると1256m、う〜ん。あ、そうか、クルマで行ったときに計ればいいのだ。とにかくだいたい1kmくらいあるのだ。ということは上がって下りるのに30分はかかるっていうもの。道理で歩いてわたってるの誰もいないはずだ。よっぽど物好きな人間だけやね。木津川大橋のひとつ上に同じように大運橋というループ橋もあるのだが、どちらも歩いて上がったなんていうのは奇特な人です。
と、ちょっと人様にわかるように書いてはみたけど、あー、それでね、木津大橋のループをぐるっとまわっていると、中山製鋼のある側に来ると、微妙に気温が高くなるんだよ。これにはちょっと感動した。輻射熱なんだろかね。工場全体が熱を発散している。そりゃそうだ、工場の中では24時間、鉄をどろどろに融かしてるんだから。それから一周まわるごとに景色が変わっていく。ループだから連続的に変化し、そして高さによってまた変わっていく。おまけに行ったのが夕まずめの光がもっとも変化する時間だったからなおさらのこと。デートにおすすめ(嘘笑)
ついでだからウォーターフロントダークサイドめぐりしてたら、疲れ果てて勃つものも勃たない。なんて書いたら、誰か女と行ったみたいに思えるだろ。





■2004/09/14 Tue■  決定的瞬間 [長年日記]

大阪芸大へアンリ=カルティエ・ブレッソン展を見に行く。タダですよー、無料ですよー。芸大が所蔵しているブレッソンのオリジナル・プリント400点以上を約2か月近くで3期に分けて展示している。先週、台風の日にサイ・ギャラリーへお茶しに行って、たまたまそこにあったチラシで知った。大阪芸大、偉いっ!
ブレッソンの写真集は2冊ほどもってるが、ははは、オリジナルのマチスの表紙の『決定的瞬間』もってたらうれしいけど、そんなお宝じゃなくてごくふつうの写真集。でもちゃんとサン・ラザールムフタールも入ってます。そんな写真集などで何度も見慣れたプリントが素で目の前にある。それを見ることができるよろこび。確かに写真だから、唯一無二のものではないし、1977年に一気に385点を芸大が収蔵したらしく、最高のプリントだというわけじゃないんだろうけれど、そのプリントがどうこうなんて、到底ボクには言えない。ただただ、そこにブレッソンの写真があるってことだけでうれしい。
ところでブレッソンは今年の8月2日に亡くなったばかり。この写真展の準備中に亡くなって、まさにこの写真展は追悼展ということになった。写真を見ていてふっと思ったことは、ブレッソンの写真の中に写し込まれている人たちほとんどがいまはもう亡くなっているんだなってこと。だけどムフタールの瓶を両手に抱えた男の子は、その写真からもうすでに50年、ということはいまは60歳くらいか。するとまだパリのどこかで生きてるかもしれない。《決定的瞬間》というのはそういうことだったのだ。同時に《逃げ去るイメージ》だったのだ。
帰りのクルマ、キャサリンがいきなり「あれおもしろい」と言い出す。見ると、黄色くなり始めた稲田の向こうに白い日傘が2つ歩いていく。その後ろから少し背の高い自転車が走っていく。「自転車じゃダメだねぇ」とキャサリン。やがて日傘は稲田から切れてしまう。ごくありふれた日常の中で、その瞬間におもしろいと感じられること、そんな目をもっていられること、そして願わくばカメラを手にしていられたら、それが《決定的瞬間》になるんだと。来週もまた見に行くよ。

ところで、クルマを芸大の駐車場にとめて、初めてやってきたところで写真展してるのはどこだろうって、前からやって来た学生に尋ねた。「アンリ・カルティエ・ブレッソンの写真展やってるの、どこ?」と。すると、「知りません」と答えが返ってきたのだが、その一言で、こいつアホだとわかって苛ついた。それでもしつこく「博物館とかいうところらいいんだけれど」と聞くと、さっきと同じアホなトーンで「知りません」だ。はいはい、聞く相手が悪かった。ボクはアホですと顔に書いてあったのに。
アホというのは多くをしゃべらせなくてもわかる。アホはこのような写真展がすぐ間近で開かれていても全く関心を示せないでいる。まったくアンテナに引っかけることができないでいる。自分の能力の範囲でしか感じようとしない、できない。だからますますアホのドツボにはまっていくのだよ。少なくとも芸大生として学費出してもらってここにいるんだったら、もっと貪欲になればいい。アンテナを張りめぐらせろよ。そんな若いうちから、感性のアンテナを錆びつかせてどうする。いかに《決定的瞬間》をキャッチできるか、したいか、その欲求だけのことなのに。




■2004/09/15 Wed■  ある日突然、欲望と理性のあいだ [長年日記]

ついこないだまでがんがん飛ばしていた日記サイトが消えてなくなる。具体的には、うちでも何度か引用させてもらったことのある『欲望と理性のあいだ』って、知ってるでしょ。作者のannさんとはやりとりがあったわけでもないから、ボクが心配などする理由はないんだけれどもね。はてなアンテナに《2004/09/12 05:47:06 終わり。-600g減量するごとにしかエッチさせないという屈辱に真っ向から戦う日々を綴っているわけのわからんblogです。》と捕捉されたきり、クリックすると真っ白なページが。たかがまだ3日だから、ボクが心配などする理由はますますないです。所詮、彼女にとってはアノニマウスな一読者にすぎないので、あまり詳しく書けないけど。あまりに真っ白なので、サーバー落ちなんかとも思ったし、なんかスクリプトに異常があったのかと、ソースも開いてみたらそちらも真っ白。少し前まであったLiveDoorのほうにも《終わり》とだけ記されて、あとは真っ白。
《終わり》。ちょっと放り出されたって感じ。つい下衆な勘ぐりなんてしてしまうでしょ。
多分にこんなふうに突然消滅してしまうページっていくらでもあるんだろうな。実際に、この《まごまご日記》だって、もうずっと過去のある日突然、消してしまったことあるから。正確には二度かな。個人的な部分はBBSもなんもかんも消してしまった。そして「日記だけでも再開してえや」というメールもらって、なんとか復活できた。
こういうふうにWEB上で日記を続けていくのは、自分のためというわけでもなく、誰のためというわけでもない。でも突き詰めると、自分のためにしかすぎないで、なんとか自分のはけ口を求めて、世間に呪詛を撒き散らす。何ていうのかな、こうしたWEB日記というのは実際ヤバいですよ。結局どこかでまた再開せざるをえない自分がいる。もちろんボクもだけれど、ね、ほら、そこにも..w
annさんには、「こっそり日記だけでも再開してえや」と公開メールしておこう。



■2004/09/17 Fri■  不倫願望 [長年日記]

ははは、きのうは久しぶりに酔っぱらった。26000円だかする、シャトー・ムートンとかいうワインを1/3ほど残っていたのをもらって、う〜ん、美味しいのか、わからんままに、高いからきっと美味しいんだろうけれど、たしかに香りはよかったな。そのシャトー・ムートンの前から赤ワインで、あれこれ美味いものいっぱい食って、さらにいじきたなくぐいぐい飲んで、気がついたらふらふら。やっとこさ家にたどり着いて、そのあまベッドで寝てしまった。あゝ、もったいない。こんな酒の味わからんのに飲ませるから。そんなこんなで、きょうも午前中はまだ少し酒が残ってるような、ほんま困ったもんだわ。酒飲みにはなりたくないけど、もう少し強かったらなぁ。

さて、きのう、きょうと別になにがどうってことのない日。ほんとなんてこともない。
昼にご飯を食べようと車で出て行ったら、踏み切りで止まった。すると、車の左前に、4,5歳の男の子を自転車の前に乗せたお母さんがいて、その男のとボクの車を見ながらしきりにしゃべっている。

    (この車可愛いねぇ、ぼく、見て見て、プーさんだよ)
そのお母さん、30くらいか。それがまたマイタイプその3。思わず、彼女をいつか車の助手席に乗せていることを妄想してしまう。子どもを先に見てしまってる分だけ、妙にその妄想が生々しくていけない。
    (もうすぐ幼稚園から子ども帰ってくるからもう帰らなくちゃ)
ははは、あれへん、あれへん、っちゅうねん、この妄想おっさんが。踏み切りが開いて、そのままボクは走り去ってしまったんだけど、車のラジオじゃ、いけない不倫カップルがこともあろうにパンストプレーをやったとか、真っ昼間からなんちゅう放送をやっとんのじゃい。
ところで、それで済んだらどうってことないんだけれど、夕方駐車場から出ようとすると、車の前を横切る自転車が。な、なんとマイタイプその3。またしても子どもを前に乗せていた。ううう、1日に2回も。向こうも気がついたようで
    (ぼく、お昼の車だよぉ)
単なる偶然にすぎないけれど、それにしてもこの偶然は、何かの予兆か。そうだったらいいのになぁ…をい。
    (あの日、どうして2回も出会ったんだろうね、偶然以上のものを感じちゃったよ)



■2004/09/18 Sat■  「UK77」 [長年日記]

大竹伸朗『UK77』を見る。『UK77』は大竹がまだ武蔵野美の学生だった1977年〜78年にかけて一年間イギリスに渡ったときのもの。だから「UK77」
あとがきというか、後ろのほうに大竹自身がイギリスに渡ることになったきっかけを書いている。大学に入学してすぐ休学して北海道に行き、今でいうプーをやっていた。ただプーをやってっるだけではやってけないので、別海町の牧場で働いているときに、牛舎建設の穴掘りをやっていた。幅40cm深さ1.1mで、1m掘ると、400円になるという。そこで毎日25m掘って10000円を稼いでいた。25m掘ったところで止めると10cm足りないゾと言われるのがイヤで、26m掘っていたらしい。その穴掘りのときに、いったい自分は何をやってんだろうという疑問から、急にイギリスに行こうと思いたった。その結果が77年5月からの1年間のイギリスでの生活になった。
こうしたエピソードは今となってはできすぎた話にも思えるのだが、それはそれでいい。そのターニングポイントとなった一つの事実がこうしたエピソ−ドになっただけで、この話以外にも様々なファクターがあったにちがいない。いろいろな事がらが彼をイギリスへと向かわせるベクトルを作ったにちがいない。だからそれはそれでいいと納得してしまう。
そのことがきっかけでイギリスに渡ったからといって、誰もが大竹伸朗になれたわけでなく、彼だったからこそ大竹伸朗になれたってことのほうが大きいね。そこのところははじめにリンクをつけたサイトに『UK77』からの引用がいくつかアップされてるので読んでみてください。ポーとベローの見知らぬ男がキーになるんだけれど、このポートベローの見知らぬ男でさえ、彼だったからこそ、なのでしょう。
前に森山大道の『犬の記憶』を読んだときもそうだったけれど、とんでもない偶然を次々と手に入れて行ってる。そして手に入れたもので次へ踏み出して行く。
この頃思うのは、そうした偶然を手に入れることができるというのは、ひとつの能力、才能なんじゃないかと。さらにその偶然によって自分をどう変えて行けるというのも能力なんじゃないか。

偶然を手に入れることはできた。そして自分を変えることもできた。でも、そのつぎに、というステップに踏み出せなかった悔しさのようなものが、いまのボクにある。だけど偶然手に入れることができたものを持ち続けることだけはできた。多くの人たちは、変えることができずに、どんどん周囲から変えられて行ったのに、そんな中で持ち続けることができているということだけが、いまの自分の支柱なんじゃないかなと思っている。




■2004/09/19 Sun■  京都3P散策 [長年日記]

とこり夫妻の関西豪遊につきあって朝から京都へ。
10時に京都駅で二人を拾って、さて、まだ朝なら、あぶり餅も好いてるだろうと、今宮神社へ。京都へ来たという気分になれるでしょ。あのあぶり餅をデパ地下なんかで売っていても、なんでこんなもんが500円じゃと誰も食ひませんよ。シチュエーション料ですね。なんてことを書いてると長くなるのでさっさと飛ばします。
鷹峯へ上がるのにちょい道を間違えて、ショーザンのほうから行ってしまったので、最後は超急坂を登らされた。ま。車だからね、ひぃひぃうめいてたのはビートル、頑張る。

光悦寺に源光庵はつい4か月ほど前におしのびで来たところだったのが、まぁいいかぁ。この夫婦、ありきたりのところに連れていったんじゃ満足しないだろうし、特に夫さんのほうは去年も一人で京都に来て、自転車で回ったという。をい、高校生か。源光庵のね、迷いの窓と悟りの窓ね、この前のときは迷いの窓のほうに惹きつけられていたのだが、きょうは悟りの窓のほうが引力を感じてしまう。迷いの窓は素の窓にしか見えないんだよ。でもな、よぉく考えてみれば、あの2つの窓が単独であったとしても、何がどうってことないのじゃないか。視界に丸い窓と矩形の窓が同時にとらえられるから、それが脳内回路でコンタクトしてセロトニンの分泌異常…何を言うとるんですか、ようは交感神経と副交感神経みたいなもんだわ。だから、いまは悟りの窓なの。悟りの窓が語りかけてくるの。

ところでさすがテキスト集まりってかね、夫さんがこの前に京都へ来たときのことをテキストにしてるのね。それをまた妻さんはプリントアウトしてきて、車の中でそれを読み始める。その妻の「あなたがそんあに感動したというところを見てみたい」と、その一言で大徳寺へ向かう。大徳寺って何遍も京都へ行ってるけど、一度も入ったことがなかった。知ってることは大徳寺納豆というだけ。これも食ったことない。だって納豆だもん。大徳寺というのは、小さい寺が集まって形成された、ボルボックスのような共同体。なんじゃ、それ? 要するに大徳寺という囲いの中にいくつもの寺や庵が収まっているのであります。それだったらね、ひとつひとつで拝観料取らないで、共通拝観券なるものを出してくれよ。と、あなた、ディズニーランドやUSJじゃないんだから。
瑞峯院。を、石庭なのですねぃ。石庭=竜安寺としか頭にはなくて申し訳ない。石庭を前に修学旅行の高校生数人が坊さんから説教を受けている。「姿勢よくしなさい。」そうそう、丹田呼吸ですよ、大事です。「腰というのはにくづきにかなめ」はい、そうそう、腰は体全体の要になってるからね、大事、大事。あと、むにゃむにゃむにゃ…。この瑞峯院の枯山水の石の粒はとても荒くてごつごつしている。なんか意味があるんでしょう。この枯山水を見て人は何を想ふ。お堂の反対側にもうひとつ小さな石庭があって、これは隠れキリシタンの十字架を著しているというのはレクチャーされてた。なるほどねと見ていると、先程の坊さんが現れて、この後ろにある灯籠の下にマリア様が埋められていて、その灯籠からこのお庭を見ますと、十字架になるのであります。」
龍源院。ここの東滴壺という小さな小さな石庭が、夫さんがこの前の京都一人旅でいたく感動したという石庭。ボクはっていうと、兎を狙う狼の眼になってしまって、いけませんねぇ、仮にも禅寺でしょ、すべての煩悩を断ちきって悟りの境地に入らないといけないのに、お庭を前にたたずむ人たちが何想ふのか気になっていけない、いけない。土門拳の土俵に引っ張り込まれた荒木経惟の気分だわ(笑) うん、なるほど、そうか、そうか、光の量がいいんだねなどとてきとーなことを言っておく。

(つづく)







■2004/09/20 Mon■  京都3P散策・行き着く先 [長年日記]

写真写すのにね、全然写さない人と一緒に歩くのも辛いものがある。とくにボクなんか何写してるんってところで急に立ち止まるから。先に行っててとは言うものの、あまりしょっちゅう待たせるのも悪いから。それに引き換え、この夫婦さんはそいう気遣いする必要はなくてよろし。この妻さん、賞までもらってるからね。夫さんは夫さんできょうはコンタックのなんでした?、ほんとカタログに弱い、自分が持ってるのも何かすぐ言えない。あーとにかく一眼レフです。だからいちおう写真夫婦なので、お構いなしに写真撮ってればいいのだが、困るのは狙うものが同じものであったときね。うぇっ、それ撮りますか。え、そう撮るの?困ったなぁ、ボクもそっちから撮りたかったのにーと、こういうときは写したもん勝ち。でも妻さん言うに、ボクの写す写真は人間臭いんだとさ。
大徳寺を出て、やっと空腹をおぼえたのか、あのぉ、ボクは大徳寺に行く前から腹減ってたのですが、何か食べようと。そこでほんやら洞へ行って何か軽く食べることにする。イラク人質事件などでもネットで論陣(?)を張った夫さんをどうしてもほんやら洞に連れて行きたかったのさ。どうよ、この70年代テイストは? ははぁ、参りましたでござりますると夫さん(半分ウソ) でもよかったでしょ。甲斐さんがいたらもっとよかったんだけどね。
夫さんは仕事の鬼です。この豪遊中にも仕事。その間、見捨てられた妻さんの面倒をボクが見ることになって五番町へ。まぁフツー人妻を連れて行くところではないな。五番町はこれまでに2回一人で来てるのだが、どういうわけか人妻と二人だと緊張してしまって、これまでによう見つけんかったのが見つかる。ダビデの星まであるんだから。遊廓というのはこういうふうになっていて、ああゆうつくりも遊廓に特有のもので…ともう遊廓評論家になってるやがんの。そんな人妻を遊廓に売り飛ばされんじゃないかと心配な夫さんは早々と仕事を切り上げ、「帰ってこいよ」歌うは松村和子さんです。
「そこをまっすぐ東へ行った堺町にイノダの本店があるから」とウソを教えたのはボクですm(__)m そこは姉小路でしょー。イノダは三条。イノダ探して寺町まで行ったと、とほほの携帯が入る。いま人妻と忙しいときだってぇのに。仕方なく一方通行に泣かされながら、だからナビつけろっていうの、イノダ本店の前までたどり着くと、いまや泣き出しそうな夫さん。夫さんを拾って、四条通に出る。これがまた混んでるだわ。それに100円パーキングの高いこと。当たり前に時間600円で上限無し。しかたなく円山公園の市営の駐車場に駐めた。
祇園の白川でいちおう観光客ですから、にせ舞妓を見てもらって、あれ、何遍見てもくだらん。だいたい連れて歩いて写真を撮ってるおっさんが気に入らん。今度から観光客さんを連れて行くのやめにしよ。こんなんだったら、乙部やなしに甲部のほうを通ればよかった。キャバレーばっかりやしね。
そして最終ステージ、夕食タイム。なんでも昨夜の神戸でスカ喰らってるので、ヘタなとこには連れて行けない。プレッシャーよ。で、あらかじめ考えていたのは、ん?店の名前、忘れた。どこだ?ん?この筋にあったはずなのに。あ、ここだ、ここだ。「まご兄さん、そこたん熊でしょ。むちゃ高いよ。私でも知ってます。」と妻さん。脳内をかき回して出てくるのは「いも棒」。んー、ないなぁ。うろうろしてるところに携帯がなった。「いま京都にいてるでしょ」「なんでわかんねん」「後ろ見てみ」と振り返ると、な、なんと所さん、いや健康優良青年=所クンではないか。横にGFと思しき18歳美少女を連れている。「いも棒(すっかり「いも棒」になっている)、どこにあるか知らんか」「いも棒ゆうたら円山公園とちゃいますか」「いや、四条河原町のうらのほうにあるねん」「ちょっと待ってください。ツレがいも棒でバイトしてたから」と携帯で尋ねてくれた。「そんなん河原町にありませんよ」
うーん、もう少しで四条に出てしまう。絶対に四条より上なんはまちがいない。それにしてもこの辺風俗だらけになってしもてからに、ひょっとしたらつぶれたんとちゃうやろか。かと言うてぽっと飛び込んでヘタ喰らうかもしらんし。と、表に掲げられた墨書きのメニューに「利休弁当」と。ここだぁー!なんや、これ四条から一筋目やないの。「しる幸」。どこが「いも棒」やねん。それでもおそるおそる店をのぞいてみた。ここです、ここです。さぁなんでも食うてんかと利休弁当を注文。
なんと関東には白味噌がないと。あっても「京都料亭の味」というごたくがついているらしい。その白味噌の味噌汁に夫婦ともにいたく感動していただいて、大汗かいて探し回ったかいがあった。京料理特有のちょこっとだけよ、へぇおおきにって具合で、ん?こんだけで2400円とゆうたら、あかしまへんえ。美味しおすやろ。鱧でっか、高おすえ、あ、お客さん、鱧きらしてしもて、かんにんどっせ。ほとほと鱧には縁のない二人であった。(鱧ととこリの巻参照←勝手に作ってる)
(なぜかまだつづく)







■2004/09/21 Tue■  京都3P散策=行き着く果て [長年日記]

こっちに来るときに新幹線乗り遅れたそうです。だから帰りの新幹線は絶対に乗り遅れることができない。第一、東京から先の足がなくなってしまうからね。それよりも何よりも往きも帰りも乗り遅れたら恥ずかしいもんな。だから〆に考えていた六曜もパス。六曜の前を通って、ここが高野悦子がよく通っていた喫茶店だよとだけ教えて、地下鉄の三条で
「じゃ、また」
「東京来たら連絡してくださいよ」
と、そのあとボクはやっぱり一人で六曜でコーヒーをすする。

ぶらぶらと先斗町を抜けて円山公園まで歩く。を、阿必館でもブレッソンやってんだ。駐車場から車を出して、東大路を左に曲がればいいものを、ふいと右に曲がってしまった。この前からちょっとはまっている開放で夜の町を写してみたかった。南禅寺に車を向けて、さすがにもう8時になると、このあたりもひっそりとしているのだ。写そうと思っていたあてはあった。が、ちょうどそのとき後ろに車がついてしまって仕方なく走り過ぎる。そしてまたしてもふいと携帯に手を伸ばして、さっきばったり出会った所クンに電話を入れる。何となくこのまま帰りたくなかったのかもしれない。「今から遊ぼか」「あ、いいですねぇ、遊んでくださいよ」「どこにいてるん?」「鴨川です」(をっとぉー、18歳美少女と鴨川で、むふふふ、まんまと邪魔してやった)

三条川端で二人を拾う。本日2度目の3Pプレーの始まり、始まり。

「どこ行く?」「どこって、あ、何か食べさせてくださいよ」「いーや、いま食べたとこやもん」「あ、ボクらも食べたところです」 あてもなくただ車を走らせる。北山通りに行ったらこじゃれてて車駐められる店あるかもと北山に向かう。その間に二人の関係を詰問してやる。「ただの後輩ですよ」って、あのね、ただの後輩を鴨川の河原で何もせんのか。最低限、手ぇぐらい握るだろ。肩ぐらい抱くだろ。周囲の雰囲気がそういうベクトルをもってるだろうに。あ、そうか、仮にそうだとしても言えないよな。
北山通りに着いた。「どこ行く?」「わかりませんよ。てきとーに」あ、あのね、キミ、京都在住でしょ。若いんでしょ。夜遊びしてんでしょ。ボクから言うのも何だが、この所クン、甘いマスクで女がほっとくわけがない。現にいまも18歳美少女を鴨川で…、「お前は童貞かぁ〜」と思わず叫びそうになった。どんどん車は北山通りをはずれたほうに行く。あ〜、めんどくさい、こうなったら、ほんやら洞に戻って、(そのすぐ近くに住んでいる)川上やら小渕やら呼び出そう。
というわけで、再びほんやら洞。川上や小渕が来たら18歳美少女がと案じる所クンを脅して無理っくり呼び出す。さらに川上の彼女のキンちゃんも呼び出して、くんずほぐれつの乱交パーティー。それから3時間近く、所クンが案じた通りに、川上・小渕のタッグチームに所クンの甘い夜は消えてしまったのである。揚げ句の果てに、ボク、18歳美少女と携番交換やっちゃったし(爆) だいたい酔狂にも河原町なんぞで後ろから携帯入れてきたキミが悪いのだ。
さて刻々と時は過ぎて、さすがにボクも大阪まで帰らないかん。さぁ帰るぞとなって、18歳美少女、帰る足がないことが判明。願ったり叶ったりじゃんか。ボ、ボクが送ったルぅ〜ん♪ あわれ所クン、今度テニスしよなぁ〜
あぅ、リミッターが……









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■2004/09/22 Wed■  悩みとはすべからく(人妻へのレス) [長年日記]

悩みないのか^_^;
うん?これ、最近誰に言われたんだっけ。あ、そっか、そっか、メールね。そのレスをここに書いちゃおうってんだからやっぱり悩みなんてないのかもしれない。
その昔、まだ学生だったころに塾でバイトしてたら、女の子に「せんせ、悩みないん?」と同じこと聞かれた。「悩み?悩んでるヒマなんかないって」と答えたの覚えてる。そしてそれから20年以上経っても、相変わらず悩んでるヒマなどないのかもしれない。
悩む、思い悩むというと、全くないわけじゃないんだよ。バイク乗ってるときは、とにかくヒマといえばヒマだし、一人だし、車のように音鳴らしまくるわけにもいかなくて、とにかく何もできないから、悩みまくってました。でも、悩むって実際どういうことなのか、よくわからないのだ。あれこれ考えて夜も眠れないってんも、いっちょまえに年に一度はあるけど、それが悩みっていうのかな。ちがうな、きっと。
Aを取るのか、Bを取るのか、決断に迫られて悩む。それだったら、いつだって即断だから、悩むヒマも無い。Aを取ったら、それともBを取ったらどうなるか、思い悩むより、なるようにしかならないんだから、なすがままにまかせるしかない。そう考えてしまって、次の瞬間には答えが出ている。だから悩む間も無い。同じように悩んでほしいのかもしれないけど、さっさと決まってしまうから、人から見たら、なに?この人ってことになるんだろうな。取ってしまってから悩んでしまったりはするけど、もう遅いんだって。

やっぱり悩みなんてないや。

こないだとこり夫妻と京都行ったときのこと、
《それにしても、源光庵の窓の前でのまご兄のまじめな顔つきは、なかなか忘れがたい印象を残しております。》(INPUT★OUTPUT blog版 9/22
とな。「迷いの窓」に「悟りの窓」ね。そのことはまご日記の9/19にも書いたのだが、「迷いの窓」に吸い込まれて行くのか「悟りの窓」に吸い込まれて行くのか、それがこないだは「悟りの窓」に引力を感じてしまってる。不思議だなぁと思ってた。決して禅宗でいうところの「悟り」などとはほど遠く、相も変わらず煩悩だらけで生きてるはずなのに。少しは悟れよということなのか、どうして「悟り」なんだろうと考えこんでしまってた。
そしてそのあと大徳寺に行って、ちょっと美人のお姉さんが石庭を前にひとりで想いに耽ってるのを見て、ボクもつい感情移入してしまってる。《いつものエロギャグ炸裂のおちゃらけおじさん》(ほっとけ!)にもいろいろ想うところはあるのだよ。
悩みとはすべからく煩悩なり。






■2004/09/23 Thu■  デカ声女 [長年日記]

声のでかい人間はどうも苦手だ。
比喩的にいう「声がでかい」つまり押しが強くて強引に自分の意見を通してしまうというのも困り者だが、物理的に大きい声というのがどうも生理的に受けつけない。声が大きければよく聞こえていいだろってもんだが、これは生活習慣上、大きな声というのに馴らされてなくて、小さい声、つまりウィスパーボイスというのに心地よさを感じているからかもしれない。
ははは、大越クン、耳痛いだろ。人が話をしているときに話をしている相手というものがあって、その相手のいる範囲に通じる声だけで十分なんだよ。その話を聞いている人間以外にとってはどうでもいい話であることのほうが多くて、その話が漏れ伝わったりすると、そこから「紆余曲解」が始まったりもする。
いや、いま言いたいのは「紆余曲解」のことじゃなくて、単純に聞きたくもない話が聞こえてくるというのがたまらない。そして突如、意味もなくかっかっかっという笑い声に変わったりすると目の前にあるもの投げつけてやろうかという気になるのだよ。ごるぁ〜、そこのおばはん、おまえのことぢゃあああ。

あのですね、携帯にしたって同じことな。電車の中の携帯通話が疎ましがられるのは、周囲の人間はすべてその会話からあらかじめ疎外されてんだよ。そこへでかい声でしゃべる。聞こえてくるのは聞かされるものにとって100%どうでもいい話。みんながみんな、必要最小限の大きさでしゃべっていたら、こんなに車内での通話が禁止されることなどなかったはず。実際通話じゃなくて話している相手が目の前にいるならある程度は我慢もする。それでもある程度な。

ところで昼飯を食いに外に出たのだよ。淡い期待をもってね(9/17参照)。ところが、同じように幼稚園に子どもを迎えに行った帰りのオカンだろうか、子どもをそれぞれに積んだ2台の自転車。その一方のオカンが、物理的にでか声女。ほんと艶気もへったくれもあったもんじゃない。自転車を走らせながら、もう一人のママさんにでっかい声でしゃべっている。
「ボタン、ぽんと押すだけで、だーっと合計出てくんねんで」
「うちはなぁ、なんちゅうの、いまどきの家庭やねんわ」
アホか。そんなことでっかい声でしゃべるようなことか。パソに、牛乳168円、豆腐58円とか打ち込んで、家計簿つけてんでしょ。あ〜、情けなぁ〜。家計簿、必死につけて、10円でも安いスーパーに駆け回ってる。イケテナイ。そんなものをなんぼパソにぶちこんで、どうせ安〜いだけのウィンでしょ、それを自慢気にでっかい声でしゃべってるの、恥ずかしいと思いなさい。そんなパソで家計簿つけてるの自慢してないで、そのパソで出会い系にでも行けや。そしたら、ちとは男が群がってきて、おしゃれのひとつでもしたくなるはず。そして、その恥ずかしいデカ声も直るんとちゃうか。




■2004/09/24 Fri■  苦悩苦労苦境苦行苦言苦笑苦情苦節苦悶苦汁 [長年日記]

とこりさんから、09/22にツッコミが入った。まご日記のほうは友人からのくだらないツッコミ入るとうざいので非表示にしている。ほんとは単日表示にすると現れるツッコミのフォームを消したいのだが、どうもtDiaryの仕様になっていて消せない。だからいくらそのフォームに書き込んでも表示はされないのだが、いちおうツッコミがあったというメールは来る。ツッコミ経由のメールなわけで、直接にメールをもらったのでないから、公開してしまいます。だめ?
大学生の頃、ゼミの先生に「生きて行くためには苦悩が大事だ」と言われ、「私だっていろいろ悩んでいます」と言ったら、「おまえのは苦悩じゃなくて苦労だ」と言われたことがあります。あれから10年以上たった今も「苦悩」と「苦労」の違いがよくわかっていない、ノー天気なワタクシです。
「悩み」に輪をかけたような「苦悩」かい。苦悩という言葉でベートーヴェンを連想してしまうボク。そんなボクに苦悩なんてとんでも、とんでも。苦悩どころか、苦労さえもない。苦境に陥ることはあるけれど、苦行などしたことはなく、苦言を呈されようが、苦笑するだけで、苦情は山ほどあれど、苦節何分で終わってしまい、苦悶とは無縁なれど愛悶(こんな言葉あるのか?)なら日常茶飯事で、苦汁は吐き捨て愛汁を舐めている。新辞林を参考にいたしました。
春樹の『風の歌を聴け』を開くと、いきなり「絶望」ということばが飛び込んできて、ほんと「苦悩」も無縁ならば、「絶望」も無縁だなとしみじみ思う。
たしかに女と別れたなんて、しばらくの間、いじいじしてたりしたこともこれまでにあるけれど、はたしてそんなものは悩みでも何でもなくて、どう悩もうが、別れちゃったという事実だけ残っている。いかに自分の気持ちの整理をつけるかだけのことで、その先、また会うことがあって縒りが戻るかもしれないけれど、そんなことは会ったときのこと。先のことなんか知るか。そんなことは悩みでもなんでもなくて夢想っていうんだよ。
悩みっていうと、色恋沙汰しか思い浮かばないっていうのも問題ありかもしれない。が、実際、生きて行くのに苦悩なんか必要じゃないね。

きのうテニスの帰りにみんなでガストに行ったら、各テーブルにコンピューターまがいのものが置いてあって、
《悩んでいるとき、一人で悩むほう?友だちに相談するほう?》
という質問が現れた。それをいじっていたのが
「そんなん、友だちにしゃべってしまうけれど、答えは先に決まっている」
と、あれ?どっちと答えよったんやろ。




■2004/09/25 Sat■  ご冥福をお祈りします [長年日記]

高校の同期生が亡くなった。つい4か月ほど前の同窓会ではニコンのD70を持ってきていて元気そうだったのに。
彼とは高2のときに同じクラスだった。ボクの出身高校ではボクなんかはアウトローエンドだったので、その彼などとはそれ以後、つきあいもなく、訃報を聞いたてもそうたいした思いなども生じない。不謹慎でしょうか。
数年前にも先輩が亡くなったときに、電話がかかってきて、「あんまり驚かへんねぇ」と言われたことがある。先輩だといっても、高校現役時代だけのことで、以後顔を合わすこともなかったから、ふーんという程度にしか思えなかった。あまりにも醒めているのか。
これから先こういう訃報をよく聞くような齢になってしまったんだなぁなどというのが正直なところ。でもやっぱりなんだかもったいないなぁ。ボクなんかは、きのうも書いたように何の苦悩も苦労もなく、ただただ自分のやりたいように生きてきたから、と言っていますぐ死んでもいいやなどとは思っていないのだけれど、きっと彼なんかは真面目に勤めて、きっとボクみたいに好き勝手やってきてるわけないよな。その分、ボクなんかよりずっとカメラ道楽だったようだけれど、やっと子どもの手が離れ、会社でもそろそろ先頭に立って突っ走らなくてもいい年になって、ころっと逝っちゃうなんて、何とも言い様がないなぁ。「ご冥福をお祈りします」なんて、ボクはよう言わんだけに、やっぱりなんだかなぁ。
こうした訃報を聞くたびに、生きてるうちに好きなことしとかなアカンと、ますますスイッチ入れてしまって、そのほうが悲痛な顔してるよりずっと供養になるだろうと思うのだった。きっと自己中なんだろ。う〜ん、もうちょっと書きたいことあるけど、さすがWEB上で公開してるからやめとこ。

1988年近鉄-ロッテ最終戦、いわゆる「10・19 川崎劇場」、10回裏の守備に着く近鉄ナインの様子の実況がラジオから流れてきたのでうるっときちゃった。79年日本シリーズのかの「江夏の21球」もあったしねぇ。



■2004/09/26 Sun■  ♪〜片隅で聞いていたボブ・ディラン [長年日記]

ってなにがボブ・ディランやねんとへそを曲げていたのは、その当時のことで、『学生街の喫茶店』で一番それらしいと思っていたのは、百万遍の駸々堂だった。別に駸々堂でボブ・ディランがかかっていたわけでなくて、たしかあそこは音がかかっていたという記憶がない。ディランがかかってるとしたら出町のほんやら洞だろ。イメージ的に喫茶店と京都が結びつくのも変だけど、それはそれで意味があるかもな。
学生時代を札幌で過ごしていたボクにとって、喫茶店というと19条にあった「オニオン」で玉ねぎ顔のまきえさんがやっていて、毎週、交換を通した長距離の電話をかけに行ってたのもオニオンだったし、上村一夫の『同棲時代』を毎週必死になって読んだのもこのオニオンだった。『あしたのジョー』はどういうわけか、オニオンじゃなくて、クラ館下のエルムのほう。たぶんに『同棲時代』がオニオンにつながってしまうのは、店にやってくるまきえさんにみなが話を聞いてもらいにやってくるからだったんじゃないか。ところが彼女がいろんな人のことを知り過ぎていると感じだしたころからぷっつり行かなくなってしまった。誰がどうしたこうしたという話に嫌気がさしてきたのも事実。ある種のコミュニィティーという雰囲気だったんでしょ。だから、まぁその当時、誰もが議論好きなんだけど、ちょこちょこああでもない、こうでもないと、言い合ってるのがいたりもした。まさに時代ですなぁ。
もうひとつ喫茶店というと、ジャズ喫茶。デビューは道頓堀の5Spotだったけど、このジャズ喫茶でいちばんよく行ったのが札幌東映の横のジャマイカ。ジャズ喫茶の雰囲気ってのははじめちょっと不良っぽかったりして憧れみたいなものもあった。暗い目の照明の中で、当然のことながら相席で、オニオンとは逆にまったくそこにやってくる関係性は断ち切られていた。音によって、個々人の空間が確保されていて、その中でボクは主に読書と睡眠に励んでいた。よくあの暗さの中で本を読んでいて目が悪くならなかったのか不思議だよ。

どうしてこんなことを書き出したかというと、いわゆる喫茶店というのが衰退して、スタバやドトールなどに変ってきた。それは…という話をどこかで少し前に読んだから。
すべてにおいてシステム化して、コーヒー一杯の単価を安くする。その時点で、コーヒーは単なるモノとして扱われてしまって、その後ろにあるものが切り捨てられた。それはコーヒーに限ったことでなく寿司でもそう。そして本もブクオフのように単なるリサイクル品としてしか存在しなくなった。
それだけじゃない、人間そのものもシステム化され単なる労働力だけを吸い取られ、背後にあるものは置き去りにされているじゃないか。
一見、それはしごく真当で、合理的である。が、それは企業や経営者にとってだけの合理性の追及であって、ボクたちの側にとっては合理的でもなんでもない。遅かれ早かれ、そうして突き進んだツケがやってくるだろう。行き着くところまで行けばいい。必ずその反動はやってくる。ボクはそういう日が来るのを楽しみにしている。




■2004/09/27 Mon■  はいねさんの『 勘。』での盗用事件をめぐって [長年日記]

はいねさんの『 勘。』で、盗用事件が起こった。
盗まれた先のサイトを見に行ったが、文言がまるっきり同じ。これは強烈だね。開いた口が塞がらない。そして何よりも醜悪なのは、これもどこかでパクってきたんだろ、ドラえもんをパロった2chヲタ好みの画像を貼り付けている。見ていて反吐がでそうになった。
一方、ピーさんの《P.C.P. ありきたりな日常に関する2,3のノート》という写真ブログでは、アップしてある写真画像を、「わたしが写しました」とばかり盗んでいったのがいる。そのせいで最近の写真画像は隅っこに小さくサインが入っている。
うちでもかつてP-Funkのマザーシップのgifアニメをパクられたことがある。パクられた先はアメリカのP-Funkサイトだったので苦笑いして済ましやったけど。
盗作というより、まさに盗用。人が書いたものを、まるっきりそのまんま自分のサイトにアップして、自分で書きました,自分が撮りましたという顔をする。恥ずかしくないのか。著作権うんぬんの法律上の問題以前にモラル上の問題だろう。

でもボク自身、あまり厳しいことは言えない。というのは、うちのトップページの通称チンポコにしたって、実は"THE ELECTRIC SPANKING OF WAR BABIES"のペドロ・ベルのイラストを切り抜いただけだから。P-Funk知ってるのは、にやっと笑ってくれるんだけれど、「まごさん、あんな素敵な絵も描けるんですか」と聞かれて困ってしまった。ちゃんと"Drawn by Pedro Bell for FUNKADELIC" と入れておくべきだな。
まごぽんでも、文章をまるごと引用しているが、ありゃ、出版社のほうから見ると、完全に著作権法上アウトだよな。ここで言い訳、少し言い訳しとくと、まご本を始めるときにも書いたけれど、大学時代、本に傍線を引くかわりにノートに書き写してた。専門の勉強はしない分、ヒマだったからね。それをデジタルでやってしまおうって始めた。始めると、せっかくだから公開してるだけ。もしあのページを読んだ人が、その本を読んでみたくなったというのなら、それはそれでボクはうれしいし、著者や出版社にとってはプラスだと思う。ちゃんとisbnでAmazonに飛ぶようにしてるだろ。
もちろんクレームがついた時点で引き下げますが、きっとパーソナルモードにしてこっそり続けるよ。出版社によっては表紙をスキャナしてアップすることさえ許可しないと言ってるらしいが、なんと心の狭い。それならヤフオクに出回ってる画像からチェックするべきだな。だってそっちのほうが明らかに金銭関係で成り立ってるんだから。ちなみにボクがいくら書いたって、一銭も入ってこないよ。

話は飛んだけれど、とにかく、盗用は下衆だとしか言いようがない。オリジナルはどれなのか、それは神のみぞ知ることになってしまうが、そんなものは著作権法などという法で守るべきものじゃなく、個々人のモラルで守るよりほかに方法はない。いくら著作権法によって守ろうが、盗っ人は現れ、簡単に盗んで行く。が、何がオリジナルかをいちばんよく知っているのは盗っ人本人なのだ。






■2004/09/28 Tue■  『ニキータ』 艶女とは [長年日記]

地下鉄の車内吊りでちょいと目を惹いたのが、きょう創刊だという『ニキータ』という雑誌。

    《モテる艶女は「テクニック」でコムスメに勝つ!》

というコピーのすごさ。そして乗り換えた地下鉄には同じ『ニキータ』の車内吊りで《コムスメに勝つ!》の部分が《モテる30オンナの作り方》に置き換っていた。
「艶女」のルビとして「アデージョ」がふられている。ところで「アデージョ」って何語なん? たぶんきっと《あだ【婀娜】 女の,色っぽくなまめかしいさま。「ーな年増(としま)」(新辞林)》から作った造語なんでしょ。イタリア語じゃないよな。
それで、気になるのが「アデージョ」もそうだけれど、「コムスメ」「モテる」「30オンナ」というカタカナ語。古〜っと言われるだろうけれど、カタカナってのは外来語にあてられるというふうに教わってきた世代としては、をー、ここまで来たかって気になる。「パクる」とか「サボる」とかいうような遣い方はボクもよくしてしまってる。「パクる」はわからんけれど、「サボタージュ」を日本語の動詞化させたものじゃないのか。「怠ける」というのはあっても「さぼる」という日本語はなかったような気がする。それに対して「コムスメ」「モテる」「30オンナ」というのは元々、「小娘」「持てる」「30女」日本語としてあったのに、わざわざカタカナにしてるのだ。そのような遣い方が良くないなどという考えはさらさらないのだが、車内吊りの少ない語数の中でこれだけ連発されるのもなぁって気がする。

言語なんて優柔不断でいいじゃないかと思っているので、国語がどうとかいう気はあまりない。そのことよりファッション雑誌が30代にシフトされてきたほうが興味深い。それで思うのはエロビデオ界でもいっときコムスメ(=ピチピチギャル)一辺倒だったのに、最近は「熟女」モノがずらーっと並ぶ。コムスメがアヘアヘ喘ぐエロビデオが行き着くところまで行き着いてしまって、いい加減食傷気味になってるのも事実だけれど、やっぱり、結婚する気のない女、男もそうだけれど、そういう人種が増えてきて、彼女達がこぞって30代になったことによるんじゃないか。
ちょっとその当の主婦と生活社の『ニキータ』のサイトを見てみると、

    《熟恋メイク虎の巻 厚化粧を恐れるな!》

だよ。うんうん、なるほど、当たり前じゃんか。「もう歳なのだから」なんて言ってる女ははなから失格。そそられない。だけれど、その一方で、《ブランドクイーン》なんて言葉が出てくるようじゃねぇ。所詮、スポンサーあっての雑誌だね。ターゲットが変ったところで、ファッション雑誌としてのつまらなさがほの見える。
ほんとの「アデージョ」は、こんな雑誌に振り回されることもなく「アデージョ」として存在するんだよっ。あ、だから《モテる30オンナの作り方》なんだ。作られた「アデージョ」ってのもねぇ、諦めた30オンナなんかにくらべりゃ、努力しようってことではるかにいいオンナだけど。
ちなみに、『ニキータ』というタイトルからすぐ連想できたことだが、

    《『ニキータ』の編集長は3年前に『レオン』を立ち上げ、実売80%を越える好調ぶりを持続する岸田一郎氏。》

この岸田というのはどんな敏腕編集長だか知らないが、『レオン』に『ニキータ』ですか。安易すぎるだろ。お先が見えてるな。




■2004/09/29 Wed■  季節の変わり目 [長年日記]

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』――これなんてあっという間に読んでしまえるはずだよねぇ。見た目、すこすこで、斜め読みでもすれば1時間で読めるんじゃないか。なのに、気がついたら寝てしまってる。夜もベッドで読もうとすると、1ページすらめくらないうちに寝てしまってる。ほんと困ったもんだわ、季節の変わり目。
決して、『風の歌を聴け』が退屈ってわけじゃないよ。とてもいい本です。キミも読みなさい。
きっと何かの疲れがたまってんだろうな。そんなんだから、がーっと本に向かっていけない。本を読むときはやっぱり攻撃的でなとダメだな。文句つけたろかという意味じゃなくて、本の中から出てくるイメージとバトらないとね、読書は格闘技なんだって。
ふっ、やっとのことで読み終わったよ。もちろん初めて読んだんじゃなくて、20年ぶり。
せつない。こういうのは「夕暮れになって涼しい風が吹き、あたりにほんの僅かにでも秋の匂いが感じられる頃」に読むもんじゃない。とくにここ2週間ほどは。

メアリーがやってきた。むっとした湿気を多量に含んだ吐息を送り込んで。そして彼女が通り過ぎたあとには、涼しい風が彼女を追いかけた。




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